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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2009-01-09 (占領28日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] ドイツ大使館員復帰の日

1月9日
  1. 自治委員会、通称ジミーとの談合
午前十時。自治委員会のメンバー、王承添(通称ジミー)との談合。数日前、日本軍が国際委員会の活動を力ずくでやめさせようという計画を立てていたと聞かされる。結局それよりマシな案になったようだが、我々は今後、難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというのなら、異存はない。
  1. 帰還者のためにドイツ大使館、ローゼン家、ヒュルター家の下見(略)
  2. クレーガーとハッツが見た小規模の処刑
十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にするはめになった「小規模の」死刑について報告した。日本人将校一人に兵士が二人、山西路にある池のなかに中国人(民間人)を追いこんだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとりが近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。
山西路は安全区の北側。
  1. ドイツ大使館員、ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルクの三人が復帰した!
ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルクの三人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人三人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏もいっしょだった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったといいがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。

午後二時、クレーガー、ハッツ、私の三人で、ドイツ大使館にいった。三時に、日本大使館の田中、福田両氏といっしょにローゼンたち三人がやってきた。我々はクレーガーがどこからか接収してきたシャンパンで歓迎の意を表した。ローゼンは、盗まれた車の代わりに、豪華なビュイック一台と、ドイツ大使館用の公用車を一台、日本から借り受けた。ぜったいに返すものかと息巻いている。それからみなでシャルフェンベルクの家に行ってみた。家中ひっかきまわされ、目も当てられない状態だ(写真23)。大切にしていた品のなかでも彼がとくに残念がったのは、シルクハットとネクタイだった。なにしろ四十本もあったのだ。今度また休暇で日本へ行ったら、みなでぬかりなく目を光らせ、シャルフェンベルクの高級ネクタイをしている奴をとっつかまえてやろうということになった。

それを除けば、シャルフェンベルグは冷静だった。怒り狂うのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。三十七年間中国にいる間に、めったなことでは動じない人間になっていたのだ。
シャルフェンベルグの家は安全区の外にあったので、荒らされ放題荒らされていた。(1月8日の日記参照)
  1. 三人とクレーガーを夕食に招く(略)
  2. 近所の家から火の手
いよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。外交官が来ていようと、放火を命じられた日本兵にはすこしも気にならないようだ。 外交官たちの到着も、日本兵による放火作戦遂行を止めさせることができなかったようだ。
近所の火事に対する「放火作戦だ」というラーベの確信の根拠はなにか?
12月22日、23日連日の同一箇所の火災も理由の一つか? ラーベは明言を避けているが、どうやら、ラーベに対する威嚇のための放火と受け取っているようだ。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] 夜に泊まりにきて日中は帰宅

1月9日
  1. 晴れているが、相当に寒い
一月九日 日曜日
 晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。
  1. 中国人内部の問題
 気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。
やはり厳しい状況の中では、内部対立も起こる。
  1. 鼓楼教会へ礼拝に行く。残念ながら露天の商品は盗品だ。
 王さん、李さん、薜さんといっしょに鼓楼教会へ礼拝に出かけた。上海路、とくに寧波路(アメリカ大使館)から北に向かって金銀街までの地区の雑踏ぶりは想像を絶する。いまや道路の両側に何百人もの物売りが露店を出し始めている。残念ながら、彼らが売っている品物はほとんどが商店からの盗品だ。わたしたちの使用人も誘惑に負けて、そうした品を買い始めている。
ヴォートリンの中国人を見る眼は女性らしいリアリズムで、ラーベよりも厳しいかもしれない。
  1. 中山路の交通量の多さ、ほとんどが日本軍のトラックと車
  2. 南音楽教室での女性の集会
  3. マギーが主宰した礼拝でアメリカ砲艦パナイ号の沈没をきく
 わたしたち一四名は四時三〇分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスビー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船二隻も沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。

 どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。わたしが接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人にたいしては友好的なようだが、しかし、ロシア人とイギリス人にたいしては気をつけるようにと、きまって警告する。
日本軍のイギリスに対する敵対心は、いったい何が原因なのだろうか?
  1. 三人のイギリス外交官も着任
  2. 程先生は料理メモを見つけたので、ケーキをつくらせてわたしたちにふるまってくれた。
  3. 中山路に日本の店が一軒開店
トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、また、ソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。

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