八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
最新 追記

2009-01-01 (占領20日目)

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] ハラハラ元旦

平和が訪れますように
一月一日 土曜日
 元旦! 一九三八年の最初の日だ。「新年おめでとう」ということばは、喉元から出かかっても消えてしまう。「平和が訪れますように」とだけ挨拶する。七時三〇分からのスタッフの礼拝集会には九人が参加した。いまではつとめて毎日、この礼拝集会をおこなうようにしている。いまなお外界から完全に遮断されていて、友人たちがどのような状況にあるのかわからないので、想像をめぐらしながら祈っている。
このような悲惨と落胆の日々にあって、「新年おめでとう」ということばほどむなしいものはないのであろう。ヴォートリン女史は本当に自分の心を偽れない人のようだ。 1938年1月元旦のヴォートリンの日記はつづく
  • 悲嘆に暮れている程先生
  • 元旦早々2つの事件
  • 軍事視察員3人がやってきた
  • キャンパスでの男性の登録をやめさせることができるか
  • 火災と略奪
  • 重大な不行跡のかどにより兵士7名逮捕
  • 自治委員会発足の集会への動員
元旦早々の事件とは?
 午後、わたしが交替して執務室に詰めていると、四時までに二つの事件があった。三時ごろ使用人の一人が慌ただしく入ってきて、キャンパスに避難している少女一人を兵士が連れ去ろうとしていることを知らせてくれた。急いで出て行き、図書館のすぐ北の竹林に少女といっしょに兵士がいるところを見つけた。兵士はわたしの声を聞きつけると、慌てて逃げ出した。このあと、ときを同じくしてキャンパスにやってきた兵士二人を追い返した。
やはり恐れていた正月となってしまった。正月お屠蘇気分の日本兵がやはりやってきた。安全区にも難民収容所にも近づかない、という日本軍の規範はどこに行ったのだろうか。
 今夜は北里門橋の方角で大きな火災が発生している。掠奪が続いているのだ。二、三日前に聖経師資培訓学校内で女性二七人が強姦されたが、それでも、強姦事件は減少してきていると思う。
ヴォートリンは、日本軍の規範遵守を諦めてはいないのだが・・・
 きょう憲兵−たしかに優秀なようだ−が、重大な不行跡のかどにより一般兵士若干名(七名)を逮捕したそうだ。彼らは銃殺されたと、人びとは憶測している。
さあて、日本軍の記録に残っているだろうか?
コメント

自治委員会発足の集会への動員。
ヴォートリンにとっても「自治委員会」のことは気にかかる。
 午後、鼓楼広場で大きな集会があり、そこで市の新しい役人が任命された。わたしたちの地区は、一〇〇〇人の代表を送るよう求められた。五色旗と日本国旗が盛大に並んでいた。細かな事情は聞いていないが、心痛のあまり食事も喉を通らなかった代表を知っている。あなたがたは、この新体制を自発的に、そして熱烈に歓迎している〔かのごとき〕写真をきっと目にすることでしょう。
ハイ、そのとおりでしたね。「南京自治委員会の成立を祝福する市民の旗行列
なお、このリンク先記事の筆者である田中正明氏は、1月3日の出来事だと間違った理解からラーベたちを批判しています。1月1日のことであることは、南京自治委員会をお膳立てし指導した、日本軍の特務機関の文書(参考サイト)でも確認されています。ラーベやヴォートリンの方が正しいのです。

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] ラーベ1938年元旦

ラーベの元旦の日記は、
  • 疲労困憊の大晦日パーティー
  • 張のかみさんを鼓楼病院へ
  • ラーベの庭での新年祝賀
  • シュペアリングとリッグズに葉巻を進呈
  • 日本兵の“恥”初め
大晦日の夜
一九三八年一月一日
昨日の夜九時半、七人の同志が年始に来た。アメリカ人のフィッチ、スマイス、ウィルソン、ミルズ、ベイツ、マッカラム、リッグズの面々だ。手元に残った最後の赤ワインをあけ、一時間ほどおしやべりした。日頃は意気軒昂のベイツが、疲れはてて眠りこんでしまったので、はやめにお開きになった。(後略)
張のかみさんの容態が悪化して
朝七時ごろ、張がきた。かみさんの容態が悪化したという。私は大急ぎで服を着て、鼓楼病院へ連れて行った。三回目だ。
畝本正巳氏は、鼓楼病院へいったのだから、「自治委員会発足祝賀旗行列」を見たはずなのに記載していないとラーベを非難しているが、はたして、朝九時過ぎに旗行列は始まっていたのだろうか?

避難民達のラーベに対する感謝の挨拶。ラーベと避難民との人間関係がよく分かるので、少し詳しく引用したい。
家に戻ると、盛大な歓迎が待っていた。うちの難民たち「老百姓(ラオバイシン)」(中国語で名もなき民の意)はずらりと両側に並び、私に敬意を表して、日本軍からもらった何千もの爆竹をいっせいに鳴らした。こうして新しい自治政府を祝うのだ。それから六百人全員で私を取り囲み、白い包装紙に朱液で書かれた年賀状を手渡し、いっせいに三度お辞儀をした。ありがとう、とうなずいて私が年賀状を折り畳み、ポケットにつっこむと、まわりから歓声があがった。残念ながら、大きすぎてとてもこの日記帳にはおさめられない。中国人の友人が訳してくれたところによると、
  ラーベさん
 どうか良い年でありますよう
  一億があなたのそばにいます!
      収容所の難民たち
        一九三八年
(中略)
火花の雨のあとは、使用人とジーメンスの従業員が総出で行列をつくり、おごそかに慣例の新年の叩頭の礼をした。
着の身着のままで集まった難民達が、最大限の礼をつくして新年の挨拶をラーベに送った。しかし、人間と人間との心の通い、心温まるこの日によりによって、
夜の九時に日本兵がトラツクに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている。私は庭の見張りをいっそう厳重にして、不寝番に警笛を持たせた。こうしておけば、いつお越し下さってもすぐに馳せ参じられる。だが、ありがたいことに、今晩は無事に過ぎた。
日本人としては情けない、“恥”の掻き初めであった。
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2009-01-02 (占領21日目)

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] 正月らしい礼拝

一月二日 日曜日
 小春日和。家を消失したり、夜具を盗まれた人たちにとっては何よりの恵みだ。
1月2日のヴォートリンの日記は
  • 粥の配給中に、年配の日本人女性三人、国防婦人会の代表が車で乗りつけた
  • メリーと交替で参加した鼓楼教会での礼拝。「宗教は、日々の生活のなかで多くの人びとを勇気づける活力となっている。そう、ヴォートリン自身にとっても。
  • キャンパスでも三回の礼拝
  • あす城内八ヵ所で中国人の登録がおこなわれるとのこと
  • 中国軍機五機が飛来
  • サール<ベイツ)は妻りリアからの手紙を受け取った
    ※サール・ベイツの妻リリアは、戦火の南京から非難して日本の東京の世田谷区上北沢に息子と一緒に住んでいた
この日の鼓楼教会での礼拝の描写を引用します。ヴォートリン自身の心境をよく映しています。
 一〇時、李さんといっしょに鼓楼教会へ行った。それは、じつにすばらしい礼拝だった。話をしたのは、かつて南門で日曜学校活動に携わったことがあるが、その後は宗教活動からまったく離れて実業に就いた人だ。たいへん利己的な人だったが、苦難を経て深い宗教的な知恵を学んだことが、彼の説教から察せられた。礼拝には八〇人は参集していたにちがいない。宗教は、日々の生活のなかで多くの人びとを勇気づける活力となっている。ジェイムズ・マッカラムの話では、先週もすばらしい礼拝がおこなわれたそうだ。教会には赤い色の飾りが取り付けられ、いかにも正月らしい雰囲気だった

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] アトロシティーの街にも市は立つ

1月2日のラーベの日記。昨日は、女を出せと騒いだだけだったが、今日はついに、“押し入り”初めとなってしまった。こんな記録を読まねばならないとは極めて残念なことである。
一月二日
本部の隣の家に日本兵が何人も押し入り、女の人たちが塀を越えてわれわれのところへ逃げてきた。クレーガーは、防空壕の上からひらりと塀をとび越えた。塀はひじょうに高いのだが、警官がひとり手伝ってくれたので、私もあとを追おうとした。ところが二人ともバランスを崩して落ちてしまった。さいわいかなり太い竹の上だったので、竹が折れただけで、けがをせずにすんだ。その間にクレーガーは兵たちをとっっかまえた。やつらはあわてふためいて逃げていった。ただちょっと様子を見にきただけだというのだ!
銃剣でのどを突かれた近所の奥さんが
十日前、銃剣でのどを突かれた近所の奥さんを鼓楼病院に運んだが、今日ようやく退院が許された。入院費は一日当たり八十セント。お金がないというので、私がかわりに払った。
昨日1月1日の、自治委員会の集会について。英文と対比してみる。
(日本語訳)日本軍の略奪につぐ略奪で、中国人は貧乏のどん底だ。自治委員会の集会がきのう、鼓楼病院で開かれた。演説者が協力ということばを口にしているそばから、病院の左右両側で家が数軒焼けた。軍の放火だ。
(英語訳)The common people have been plundered and poorer than ever. Yesterday, while the orators of the new Autonomous Government were speaking of cooperation, several buildings torched by the Japanese were burning to the right and left of Kulou Hospital where the ceremony took place.
(その逐語訳)通常の人びとは略奪を受けて前よりもずっと貧しくなってしまった。昨日、自治委員会の弁士が「協力」についてスピーチしているそのとき、日本兵に放火された建物が、式典の行なわれた鼓楼病院の左右で炎上していた。
  • ちなみに田中正明という人は、「自治委員会の設立集会という重要事項を書いてないラーベの日記はインチキだ」といっています。ここにちゃんと書いてあるんですけど! ・・・もっとも田中正明さんは、集会が3日にあったと間違った思い込みをして、ラーベの日記をめくったようです。・・・

「ある重要な件につき、近いうちにお話ししたいのですが」
自治委員会の代表でありかつ紅卍字会のメンバー、孫氏がもつたいぶつて私にいつた。「ある重要な件につき、近いうちにお話ししたいのですが」どうぞどうぞ! とっくに心づもりはできている。お宅たちがなにを狙ってるのかなんざ、お見通しだよ!
ラーベの日記はその後、
  • 安全区の道路の両側には行商人が鈴なり
  • 藁小屋が所せましと建ち並び、難民村ができている
  • 昨夜の日本兵の乱暴をスマイスが書きとめ、抗議書として日本大使館に提出した
  • 中国の爆撃機がやってきた
と続いている。中国機の爆撃は気になる。
我々がひそかにおそれていたことがついに起こった。中国の爆撃機がやってきたのだ。といったからといって、けっして「友人」としてではない。「敵」としてだ! かつての日本軍のように、時間どおりに爆弾を落としていく。だが、いままでのところ、幸いなことにたいていは同じ場所、つまり南の飛行場かその近くに限られている。日本の対空砲火もその存在を示したが、僅かで弱かった。

(中略)いまの安全区の混み具合ときたら、日中は上海よりすごい。そんなところに一発爆弾が落ちたが最後、ものすごい数の人命が失われるのだ。そう思っただけでぞっとする。
※(日本語訳本)「日本の防空部隊が姿を現したが、人数も少なく、いとも手薄だった。」
『日本の防空部隊が姿を現した』とは、まさか、ラーベ邸の前を防空部隊が布陣したとでもいうのか? 現象として余りにも奇妙奇天烈です。誤訳だと思います。

(英文)Japanese anti-aircraft fire was also in evedence, but only just a little and very weak.

日本語訳「南京の真実」のなかで日本語として首をひねるところは、確かめてみると誤訳というケースが多いようです。
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2009-01-03 (占領22日目)

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] 金陵女子文理学院でも“登録”再開

正月休みは昨日で終ったようです。「登録」が再開されました。
この日のヴォートリンの日記は、
  1. おそらく八ヵ所で登録再開
  2. 男子収容所で登録が少ないわけ
  3. 五人の女性の夫を捜し出すのに嘆願書を書く
  4. メッセンジャーボーイ魏少年の拉致被害体験
  5. 若い女性二人の夫探し
  6. 女性たちは、並んで順番に米を買うようになってきている
  7. 上海路の市のようす
となっている。 2〜5は、失われた男たちの関連する物語である。

男子収容所である金陵大学で登録が少ないわけ
 午前中に金陵大学に行ったところ、そこでも農学部棟で登録がおこなわれていることを知ったが、群衆の人数は女子学院に比べると少ない。そのために、女子学院では粥の配給が一日一回に減らされており、子どもたちにはとてもつらい思いをさせている。しかし、兵士であるとして連行されそうになった場合、ここでは、自分の連れ合いに兵士ではないことを証言してもらえるせいか、男性たちは、女子学院で登録するほうがよいと思っているようだ。
五人の女性の夫を捜し出すのに嘆願書を書いた
 キャンパスで登録がおこなわれているかぎり、うろつき回る兵士による事件は起きていない。五人の女性の夫を捜し出すのに力を貸したいと思い、きょうは彼女たちのために手紙というか、嘆願書を書いた。
夫たちだけでなく少年たちも。安全区委員会のメッセンジャーボーイだった魏少年も被害を受けた。
   今夜、使い走りの魏少年が彼の体験をつぶさに話してくれた。

 一二月一四日、少年は最初に国際委員会に、次に大学病院に手紙を持って行く途中のことだった。鼓楼の近くで二人の兵士に制止された。一人が腹部に銃剣を突き付け、もう一人が背後で銃を構えていた。彼らは、少年が腕に巻いていたアメリカ大使館の腕章を引きちぎり、わたしの書いた手紙を奪い取って破り捨て、少年が携帯していた身分証明書を投げ捨ててしまった。そして、もちろん、自転車は取り上げられた。

 少年は無理やりに下関へ行かされ、そこでは一〇日間、彼らのためにもっぱら掠奪を働いたり、盗品をトラックに積み込んだりして過ごした。少年は、何百人という中国人が殺害されるのを目撃したそうだ。兵士もいれば民間人もいるし、老人もいれば若者もいた。いたるところに死体が転がっていた。

 倒壊をまぬがれた建物はほとんど残っていないようだ。残っているものとしては揚子江賓館と聖公会の建物を少年は記憶していた。運び出されなかった家具は薪に使われたそうだ。ストーブで燃やすのではなく、焚き火に使ったようだ。

 その後二日間、少年は中央大学のすぐ西隣りの家に連れて行かれ、またもや掠奪品の運搬をすることになった。最後は掠奪品を句容に運ばされた。夜明け前に出発し、まる一日飲まず食わずで、日がとっぶり暮れてから句容に到着した。

 そこに到着してから、男性一八人に放免が通告されて、南京に戻ってもよいと言われた。暗闇の中を移動するのは危険だったが、彼らは思いきって出発することにした。何度となく銃剣を突き付けられて制止されながらも、ついに南京に到着した。結局のところ、彼らのうち二人以外はみな、またもや運搬の仕事をさせられるために連行された。

 道すがら、沼はどこも、人間や動物の死体でいっぱいだったが、それでも、喉の渇きを癒すためにはその水を飲まなければならなかった、と少年は語った。一二月二八日、彼は、痩せ細り憔悴して帰宅した。いまなお疲れがとれず、動くこともできないでいる。
拉致された魏少年の足取り
  • 一二月一四日 国際委員会の手紙を運んでいるときに、鼓楼近くで訊問をうけ、手紙、自転車、身分証明書を廃棄させられた上で、拉致連行される。
  • 下関で一〇日間、24日ごろまで、掠奪の手伝いをさせられた。民間人を含む殺害現場を目撃。
  • その後二日間、中央大学のすぐ西隣りの家に連れて行かれ略奪の手伝い。
  • 最後は掠奪品をに運ばされた。下関を夜明けに出発し、日暮れに句容に到着。
  • 男性一八人に放免が通告されて、南京に戻ってもよいと言われた。
  • 彼らのうち二人以外はみな、またもや運搬の仕事をさせられるために連行された。
  • 途中の沼は人間や動物の死体でいっぱいだったが、その水で喉の渇きを癒し、一二月二八日、彼は、痩せ細り憔悴して帰宅した
またまた夫捜し
   午後、若い女性二人がわたしの執務室にきて、夫を捜し出すのに力を貸してほしい、と訴えた。三人兄弟のうち二人が一二月一四日に連行されたという。その一家は、南門の近くで鴨肉屋を経営していた。
この日のあと、日記には連日のように夫探しの記事が出てくる。彼女達に諦めなさいといえないヴォートリン女史の苦しみ。

そして、苦しみと同居する、生きるためのがむしゃらさ。
   きょう、女子学院に近い上海路は、さながら中国の旧正月の夫子廟のようだった。いまでは食品によっては買えるものもある。わたしたちと使用人が食べるため、袁〔音訳〕博士の山羊を殺した。肉はいまだに買えない。
夫子廟:中華門から約1Km北東にある孔子廟。周囲は南京有数の歓楽街。

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 最悪な正月の夜

 新年の2日目だというのに、ラーベの日記もむごたらしい事件の聞き取りから始っている。
  1. 妻を守ろうとして日本兵に射殺された劉培坤事件
  2. 1月5日に、ドイツ人3人がやってくる! バンザイ
  3. クレーガーの紫金山探検
  4. 水が出た、電気も一旦ついたが
  5. 給食所と収容所の決算報告
  6. 法外な野菜売りを追っ払った
と続くが、1を中心に、4にも触れることにする。

劉培坤事件、暴行されそうになった妻を守ろうとして日本兵に射殺された
一月三日
きのう夜七時に、スマイスがフィッチあての報告書を手に医者の許伝音氏のところからやってきた。
フィツチ様!
  本日午後四時三十分ごろ、劉培坤は、暴行されそうになった妻を守ろうとして日本兵に射殺されました。
  近所の家が日本兵に占領されているため、わが家はいま、逃げてきた婦人たちでいっぱいです。私はシュペアリング氏に手紙を書き、すぐにこちらへきて我々を守って下さるようお願いしました。シュペアリング氏の体があかない場合、ここ寧海路五号に、だれか他の外国人をさしむけていただけないでしょうか?            敬具
                     許伝音
本部に泊まりこんでいるはずのシュペアリングをスマイスが探しに行っている間、私はマギーといっしょに日本大使館へ行った。マギーはすでにこの件について詳しい報告を受けていた。田中氏に軍部に出向いてもらい、この事件を調査するよう要求してもらうのだ。これは実に計画的で残虐な犯行だ。

劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子どもがいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった。
計画的で残虐な犯行である。もし、この事件がラーベの言う通りの経過をたどったものなら、一罰百戒、この日本兵は憲兵隊が逮捕し、軍法会議にかけて処刑すべきではなかったか。
田中氏は、ただちに軍部に報告すると約束した。私も氏が約束を果たさなかったとは思っていない。だが結局、沙汰やみだ。兵士の処罰といえば、いつだってたかだか平手打ちどまり。それ以上こらしめたという話を聞いたことがない。

なお、水道や電気の問題は、シーメンス支社長ラーベにとっては無視できない問題である。
今日は二階の風呂場で水がでた。正午には、ところどころ、電気もついたのだが、一時ごろになってまたとまってしまった。たぶん、我々にラジオのニュースを聞かせないためだろう。
そういえば、日本人の要請で、工人50人を派遣したのは12月29日だったはず。日本に送る正月のニュースに電気の復旧を載せたかったのだろう。『平和甦る南京』というプロパガンダに欠かせない要素として。
[]

2009-01-04 (占領23日目)

[ラーベの日記][所行無情][国際委員会] 下関の発電機は無事なはずなのに

正月3日のラーベの日記は、市内の状況、放火と停電。憲兵に対する期待と不安を述べている。
一月四日
あいにく、わが家は安全区のはじにある。そのうち、火の手がのびてくるのではないかと不安でたまらない。きのう、またしても近所で三軒放火された。いまこうしているうちにも、南の方で新たに煙がたちのぼっている。それはそうと、市内はあい変わらず闇に包まれている。下関の発電機は無事なはずなのに。幾度も日本側に抗議しているが、さっぱりだ。
そのうち火の手がのびてくるのではないかという不安は、何も今日の日記だけではない。12月22日と23日の日記にも繰り返し書かれている。中国側の警察も消防も機能しない中で、日本軍は組織的に放火を防止する措置を、なぜとらないのだろうか?
住民のための送電復旧が後回しにされていると、ラーベは抗議しているのか?
取り締まりのため憲兵がおかれてからは、治安は全体的にはたしかによくなったといえるだろう。けれども憲兵のなかにもいかがわしい連中がいる。そいつらは見て見ぬ振りをするだけではない。いっしょになって悪事を働くことさえあるのだ。
南京に17名しかいないといわれていた憲兵も、ようやく増員されたのか。それは何時から、どのようにか?(要調査)。
 この頃になると、憲兵は大幅に増員され、1月初めには定員400名の中支那方面軍憲兵隊(長、大木繁憲兵大佐)が編成され、監視網も強化された。
(秦郁彦「南京事件」p178)
とはいえ、憲兵増員が余りにも遅すぎる。

  ところで、平野訳「軍事警察」も間違いではないが、通常日本語では「憲兵」というはずだ。

[warなひと人] 第十軍の憲兵増員(=補助憲兵)

憲兵の増員といえば、南京から杭州に転戦した第十軍の命令が有名だ。
陸軍省受領 陸支密受第六〇四一号
丁集参一第一四五号
杭州占領ニ伴フ秩序維持及配宿等ニ関スル件
十二月二十日 丁集団参謀長

杭州攻略ニ関シテハ特ニ左記諸件ヲ十分諸隊ニ徹底励行セシメラレ度依命通牒ス 左記

一、掠奪、婦女暴行、放火等ノ厳禁ニ関シテハ縷次訓示セラレタル所ナルモ本次南京攻略ノ実績ニ徴スルニ婦女暴行ノミニテモ百余件ニ上ル忌ムヘキ事態ヲ発生セルヲ以テ重複ヲモ顧ミス注意スル所アラントス
  1. 杭州及莫干山付近ニハ外人ノ権益又ハ別荘等相当ナル数ニ上ルヲ以テ作戦行動上万已ムヲ得サル場合、外厳ニ之ヲ犯ササルコト
     又諸隊ニ於テ戦闘ノ必要上其ノ権益ヲ犯シタルトキハ努メテ現地解決ノ手段ヲ講スルト共ニ機ヲ失セス集団司令部及最寄憲兵ニ報告及通帳スルコト
  2. 杭州ノ攻略ニ方リテハ城壁占領後直ニ主力ヲ市街ニ投入スルコトナク各一部ヲ以ッテ市内ノ掃蕩ヲ実施シ概ネ秩序ヲ恢復シタル後宿営警備地域ニ進入スルコト
  3. 第十八、第百一師団ヨリ歩兵各一中隊ヲ速ニ日本領事館附近ニ出シ集団憲兵隊長上砂中佐ノ指揮ニ入リテ補助憲兵タラシムルヲ以テ之ト密ニ連絡スルコト
    本件ニ関シテハ別命ス
  4. 市街ノ諸設備ハ占領後ノ駐屯ニ必要ナルヲ以ッテ無用ノ破壊ヲ戒ムルハ固ヨリ失火等ニ拠ル火災ヲ発見シタル時ニハ速ニ鎮火ノ手段ヲ講スルコト
  5. 杭州市街ノ作戦地域ハ各部隊ニ於テ特ニ之ヲ厳守シ自戒互譲ノ精神ヲ以テ事ヲ処理スル如ク部隊ヲ指導セラレ度

    二、杭州市内ノ占領後ニ於テル配宿ノ細部ハ追ッテ定ムルモ之ヲ概定スルコト左ノ如シ
    • 集団司令部 岳坂及中山公園附近
    • 第十八師団(配属部隊ヲ含ム) 作戦地境(含マス)以南ノ杭州市街
    • 第百一師団(配属部隊ヲ含ム) 同
    • 軍直属部隊 南星車站(杭州市南端附近)ヨリ江干附近ニ亘ル地域
    • 第一後備歩兵団 拱震橋及湖墅鎮附近
    但シ第十八師団ヨリ歩兵各一大隊ヲ集団司令部附近及粛山ニ出サシムル予定ナルモ細部ハ後命ス
    (アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C04122536200)
これは、師団ごと部隊ごとそれぞれ勝手に全体の計画性なく入城して、統制が取れなくなってしまった南京の事例を反省した結果下された命令です。(丁集団は第十軍を表わす符牒。)

[ヴォートリンの日記][所行無情] 登録が終わったからといって帰る家はあるのか?

一月四日 火曜日
 晴天の暖かい日が続いているところをみると、天にまします神は、きっと弱者に手心を加えてくださっているのだろう。
1月4日ヴォートリンの日記は、
  1. キャンパスではひきつづき「登録」
  2. 送信設備のあるアメリカ砲艦が到着するのを待っている
  3. 火事の目撃は2件、少ない方だ
  4. 帰る家はあるのか?
最後の問題は、日本軍によって突きつけられた
・安全区と国際委員会の解消
に関する問題として大きくクローズアップされる。安全区の外が安全なら、避難民は自分の家に帰れるのであり、まだ安全でないなら、欧米人が難民達を守る安全区がなおも必要だ、ということになる。
 登録が終わりしだい、避難民は、安全であるという保証のもとに、自宅に帰るよう強く促されるだろう。かわいそうに、帰る家のない人が大勢いるし、たとえ幸運なことに家があっても、これまで何度となく掠奪をこうむっているというのに。

[人名録] ヴォートリン日記に登場する人物

http://latemhk.tdiary.net/19371201.html

[人名録] ラーベ日記に登場する主な人物

http://latemhk.tdiary.net/19370901.html
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2009-01-05 (占領24日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 果てしなく長い行列


1月5日のラーベの日記
  1. ジーメンス・キャンプの芳しくない評判と衛生状態
  2. 「登録」のための果てしなく長い行列。きびしい寒さの中、どうやって耐えているのか?
  3. 外国人を城壁の外に出したがらないのはなぜ? 漢中門のそばの側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。南京の実態がばらされたら困るからか。
ジーメンス・キャンプ(ラーベ家の庭)の今
一月五日
わがジーメンス・キャンプはほかの収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴりよけいに米を配るからだ。なにしろ韓は気がいいから! いくらなんでも五百平方メートルの庭に六百二人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、だれも出たがらない。まあ、しかたないだろう!
韓:韓湘林
ラーベやその仲間たちが難民たちから信頼されていることを、心から誇りに思っているようだ。
衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病がひろがらないといいが。今日の午前までは水が出たのだが、午後になってとまってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
水、電気、そして火災。さらに、城内には無数の死体が放置されている。都市の危機がつづいている。

果てしなく長い行列
登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳のみ児をかかえて五列に並んだまま、もう六時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。このきびしい寒さのなか、いったいどうやって耐えているのかと思う。
これも「暴支膺懲」、中国人を懲らしめようとする目論見の1つなのか?

[ヴォートリンの日記][所行無情] せっかく長時間並んだのに

  長時間の行列が強いられるのは、女子文理学院でも同じようだ。
一月五日 水曜日
 登録業務のため、けさは七時三〇分(通常は八時) に朝食をとった。

 中国人警官と立ち話をしていると、八時三〇分までに五〇〇〇人ないし一万人の女性がわたしの前をひっきりなしに通り過ぎて行った。何と哀れな光景だったことか。女性たちは、たいてい四人一組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。
高齢者、病弱の女性も
 通達では、三〇歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。四人のなかには、きまって他の三人よりも元気な人がいて、まるで生死にかかわる問題であるかのようにその三人をせきたてていた。

 病弱そうな女性が夫に運ばれていた。息子に抱えられた初老の女性もいた。また、どうやら心臓を患っているらしい女性が、力尽きてわたしの近くで倒れ、登録しようと試みたのはこれで六度目になる、と言った。
ところが、せっかく長時間並んだのに・・・
 九時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、だれも登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝四時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。登録所の警備兵にひきつづき焚き火を提供しているが、あと少しで薪が底をつくところだ。
むなしいが、反抗することはできない。

ヴォートリンがいう「登録」とは、男性にとっては「査問」であり、兵士の疑いがあるとして命が奪われる危険に満ちた「粛清」であった。「登録」が突然中止になったのは、南京地区西部警備司令官、城内粛清委員長そして宣撫工作委員長を兼ねた佐々木到一少将が、粛清人数の目標を達成して査問の終了を宣したからであろう。英米独の外交官の南京帰任の日を明日に控えての宣言であった。

この日のヴォートリンの日記には、
  • 「登録」が中止となって、暖をとる兵士の為にとテーブルや椅子が燃やされずに済んだこと。
  • 程先生、ブランチ呉さん、王さんの三人が午後風邪と疲労で寝込んでいる
  • 警官の配置を要請
などが書かれているが、相変わらず、難民女性達の悲劇が綴られている。

【強姦されたという五六歳の女性】
 しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。午後、P・ミルズが、昨夜強姦されたという五六歳の女性を戸部街から連れてきた。
【私には娘しか残っていないという男性】
 夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「わたしにはいまは娘しか残っていない。三日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、そのうえ、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。これも午後のことだった。
【夫を捜してという2人の新妻】
 わたしが執務室にいると、新婚一八日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立屋で、一二月一五日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。さらに別の新婚二カ月の若い花嫁がやってきて、一二月一六日に夫が連れ去られたと話し、わたしに援助を求めた。
 いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。
 前者は一〇人家族を、後者は八人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話がたえず耳に入ってくる。
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2009-01-06 (占領25日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 米大使館員が戻ってきた

 
一月六日
ばんざい! アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディェンの三氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに十二月三十一日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。
1月6日のラーベの日記は、
  1. 日本軍から米、小麦粉、そして石炭を買うことにした。(軍が略奪したものだが)
  2. 中国軍は南京を奪還したら無駄になるという韓に、そうはならないといいきかせる
  3. 日本軍のトラックがきて、うちの収容所から下関の発電所の作業員を十五人連れていったが
  4. 資産を自治委員会に引き渡してもらいたいというが冗談ではない。
午後五時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、その資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後われわれの仕事を引き継ぐことになっているからだという。資産を引き渡す? 冗談じゃない。私はただちに異議を申し立てた。

「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ。」
(中略)
5、どういう提案をするか会議
さっそく委員会の会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序をとりもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。つまり、「国民政府からもらったのだから、おれたちの物だ!」というわけだ。
結局、自治委員会に引き渡さず、戻ってくる大使館員の後押しを織り込んで、安全区国際委員会としての責任を果たそうという結論になったようだ。

[ヴォートリンの日記][所行無情] 女性の登録は中国人の手で

 
一月六日 木曜日
 きのう午後おそく中国人の登録計画がどうやら変更されたらしい。というのも、ひきつづき女性の登録は金陵女子文理学院で、男性の登録は金陵大学でおこなうという通知を受け取ったからだ。しかし、今度は軍ではなく行政職員の指揮でおこなわれることになった。

 八時にはふたたび女性たちが押し寄せてきた。今回は訓示はなかったが、彼女たちは一二列ほどの縦隊に並ばされた。各列の先頭付近にはテーブルが二脚置かれ、最初のテーブルで許可証を、二番目のテーブルで登録カードを受け取るようになっていた。
登録は、すべて中国人によっておこなわれたため、大層はかどった。
 日本の新聞記者数人がその場にいて写真を撮っていた。にっこり笑って嬉しそうな顔をするよう注文をつけられると、女性たちは努めてそうしようとしていた。
考えただけで病気になった人がいるほど面倒なことが、簡単におわった。

その他、
  • 田中氏から米外交官3人の到着をきく
  • 晩餐会用に卵を10個プレゼントする
  • 岡中佐とルイスが手紙を持ってきてくれた。ルイスは、あす正午までにアメリカ大使館に手紙を持って行けば、午後には船で上海に届けてもらえることも教えてくれた。
  • 避難民の警護方法を変更することには気が進まなかった。困ったことに、警備兵と一般兵士とを見分けることができない
  • 自治委員会の責任者陶宝晋からの電話
 新しい〔南京市政府〕自治委員会の責任者陶宝晋からけさ電話があった。彼は六二歳〔実際は七〇歳〕で、彼の最後の公職在任時期は、斉燮元の配下にあったころ(一九二四年ごろ)である。

 比較的に年齢の高い避難民は徐々に帰宅しているが、若い人たちは大部分がいまなおキャンパスにとどまっている。賢明な選択だと思う。帰るべき家のない人たちのことを思うと胸が痛む。そのような人たちが大勢いる。
陶宝晋=陶錫山
世界紅卍字会
「1937年の日本軍による南京占領の際には、日本の法政大学に留学した経験のある南京分会会長・陶錫三(陶宝普、陶錫山)が南京自治会長に任命された。ただし、病気を理由に執務はしなかった。」
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2009-01-07 (占領26日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] すべて自治委員会が担当すべし?

  1月7日のラーベの日記
  1. 東京からの厳命
  2. 死体埋葬について福田氏に釘を刺す
  3. 女たちが悲鳴をあげながら
  4. リッグスの視察報告「中華門近くでの虐殺」
1、東京からの厳命
一月七日
福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーべの「市長職」も?)も我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。
そういわれてしまっては、手も足もでない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。
占領軍の方針には逆らえない!

2、死体埋葬について福田氏に釘を刺す
(中略)「市内にはいまだに何千もの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この二十八日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。
死体の野ざらしほど、治安状態の悪化を物語るものはない。なのに日本軍は不感症になっている。南京を「戦場」のままにしておきたいのだろうか?

3、女たちが悲鳴をあげながら
きょう午前十時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。屋根裏部屋まで追っていったところで、この日本兵は、たまたま私を訪ねてきた通訳の日本人将校に取り押さえられ、放り出された。(中略)
日本人将校による厳罰とは、いつもせいぜい放り出すかビンタである。どうせやるなら、見つからないようにやれ、という意味か。

4、リッグスの視察報告「中華門近くでの虐殺」
リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。うつろな目をした女性がひとり、通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上を話した。十八人家族だったが、生き残ったのはこの人ひとりだという。残りの十七人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と三人の子どもをなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった。
「安全区以外には住民はいなかったのだから、虐殺はなかった」というのは、東中野修道さんらが60年以上立ってから拵えた荒唐無稽な屁理屈。「夏淑琴さん事件」も城内南部で起きた事件。安全区でない城内に残っていた人間はすべて「敗残兵」として殺戮してよかったのか? 

[ヴォートリンの日記][所行無情] 国際委員会の男性たちは素晴らしい働きをしている

  1月7日のヴォートリンの日記
  1. 今日も登録は早く終った。
  2. 西方一七華里からの女性の一団
  3. 郵便業務に関係している将校の一団がきた
  4. 日なたで暖
  5. 大使館に到着した三人に頼まれて、報告書を作成
  6. 上海への手紙をもっていく
  7. 中国赤十字会による米飯給食
  8. 漢口についてのラジオニュースのメモ
  9. ロッシング・パック邸へ
  10. 漢口が心配な男たち
1、今日も登録は早く終った
一月七日金曜日
 きょうの登録は三時に終了した。ここ二日間の登録方法は最も満足のいくものだった。作業はすべて中国人がおこなったので、緊張感や恐怖感が取り除かれた。(後略)
2、女性の一団
 正午に小人数の女性の一団が慌ただしく入ってきた。南京の西方一七華里〔八・五キロメートル〕のところからきたという。彼女たちは、登録したらもう安全、と思っている。
3、日本人将校の一団
福音書を求める日本人将校。佐々木元勝「野戦郵便旗」に記事はあるだろうか?
 午前中、日本人将校の一団が憲兵を伴って訪れた。彼らは、郵便業務に関係している、と言っていた。そのうちの二人がわたしの執務室を出ようとしたときに中国語の福音書を見つけ、持って行ってもよいか、と尋ねた。
4、日なたで暖
(中略)相当に寒いが、まだ晴天が続いている。大勢の人が建物の南側にたむろし、日なたで暖をとっている。
7、中国赤十字会による米飯給食
《粥場》が増えたということだろうか。
 きょうキャンパスで中国赤十字会が新しい方式による米飯給食を始めた。これまでは中庭の二ヵ所で給食がおこなわれていた。これからは教職員庭園の真北で、道路をはさんで反対側にある粥場で売られることになっている。
8、漢口についてのラジオニュースのメモ
 きょうは久びさにラジオニュースの切り抜きを受け取った。わたしたちが恐れていたことについて情報を伝えてくれるものだった。ここ数日、月明かりの夜に漢口が激しい空襲に見舞われている、というのだ。

 あのような人口密集都市ではひどいことになっていることだろう。漢口は、南京と同様、恐怖の都市に化したと伝えられる。神さま、不幸な人びとにどうか哀れみを。わたしたちが南京でこうむった一〇日間の恐怖の支配を彼らが味わわずにすみますように。
10、漢口が心配な男たち
 男の人たちは奥さんがたのことを案じている。とくにP・ミルズと L ・スマイスが。 ( 彼女たちは以前桂林にいたが、その後は漢口に移っている。 )

 安全区国際委員会の男性メンバーは、すばらしい働きをしている。彼らは自分たちの家は掠奪されるがままにまかせながらも、中国人の大集団を救済するため、もてる時間とエネルギーすべてを捧げている。ドイツ人ビジネスマンたちもとてもよくやっているし、チームワークが抜群だ。委員長のラーベは恐れを知らない。
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2009-01-08 (占領27日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 暴動など起こさないで欲しい


ラーベの日記の日本語訳、「南京の真実」(講談社・平野響子訳)1月8日の項には、ちょっと不可解な誤訳があります。暴動なんか起きていません(笑)。そこで、英訳本をまず引用することにします。
8 JANUARY

  Mr. Fukui brings me news that Dr. Rosen, Htirter, and Scharffenberg will be arriving tomorrow with two gentlemen from the British embassy Dr. Rosen's and Hürter's houses are in good shape, as is the German embassy All that was stolen at Dr. Rosen's were his automobile , a bicycle, and various bottles of liejuor. I don't know how things look at the Englishmen's homes. Scharfenberg's house, which lies outside the Zone, has been badly looted. Scharfenberg will have to live at Hurter's. The unpleasant part is that neither of these houses has water or electricity. I wrote Fukui another letter to that effect. I've heard that the gentlemen from the American embassy are also without water or light. They're all freezing, sitting around a large fireplace at the embassy It's beyond me why they don't simply demand that the Japanese proviide water and power.

一月八日
ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルクの三氏が、明日イギリス大使館の二人といっしょに南京にくると福井氏が知らせてくれた。ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本< いろんな酒が盗まれた。イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルクの家は安全区の外だったこともあって、ひどい荒らされようだった。ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。こまったことに、どこも電気や水がとまっている。そこで福井氏にまた手紙を書いた。アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。 単純に要求すればいいのにしないのは、わたしには理解できない
ラーベは、これまでの日記で分かるように再三、安全区の電気と水の供給を要求している。アメリカ大使館の人たちも要求すべきだ、と。

  I've already received Fukui's assurance that the Japanese embassy will allow new automobiles to be brought from Japan for the gentlemen at our embassy and presumably at other embassies as well, to replace the cars that were stolen.

福井氏が確約していうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。ドイツ大使館に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。

  The rumor has spread among the Chinese again today that Chinese soldiers are about to retake the city. In fact, the claim is that Chinese soldiers have already been spotted inside the city. The first result of this was that all the many little Japanese flags decorating the huts and houses inside the Zone vanished; even the Japanese armbands that all Chinese wear disappeared, and as Mills has just told me, a sizable group of refugees has come up with the idea of attacking the Japanese embassy.

今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろまった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。噂のせいでまず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていた 考えるようになったという。

  The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. We're happy that thus far our Zone has remained perfectly quiet and can only hope that we are spared such tragic events.

(誤訳):このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。
このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。 中国人側のものならみな、どんなに小さな反抗でも死をもって罰せられる。(暴動など起こらず)いままで安全区が平穏でいられて、本当によかった。どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。
"will be punished by death" 暴動は起きていない。

この、誤訳による「ささやかな暴動事件」はwebでも話題になったようです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=3854;id=sikousakugo#3854


なお、英語訳本には日本語訳本にない記事があります。日本の12月15日付けの記事をベーツ氏から貸して貰ったとのことです。
LATER
  In a Japanese newspaper lent me by Dr. Bates, I found the following article:
The Tokyo Nichi Nichi of 17 December 1937 Returning Normalcy
Chinese Merchants Prepare for Business:

  Nanking, Dec. 15. With the city of Nanking having been cleared of the Chinese looters, an early return to normalcy is expected as the Chinese merchants, now back from the refugee zone, are busy preparing for reopening their shops. Peace and order in the city is maintained by the Japanese Gendarmerie authorities, who posted guards at the important Chinese government structures including the Executive and Legislative Yuans, the Finance Ministry, the Central Military Academy and the Central Aviation School.
(南京12月15日。中国人略奪者の手で何もかも空っぽになった南京の街が早くも正常化したことは、中国人商人たちをみればわかる。難民区から戻って店の再開準備に忙しい。都市の平和と秩序の維持は日本軍憲兵司令部の手で進められているが、司令部では次のような主要中国側政府建造物に護衛兵を配置している。立法行政院、財務省、中央軍官区学校、中央航空学校など。)
※)護衛がついた建物は日本軍が接収使用した建物。

軍新聞班発表の内容とはいえ、まるで御伽の国のお話、ラーベはさぞかし腰を抜かしたことでしょう。
思い出すのは大本営発表、そして間近では、イラク情報相サハフ氏がバクダット陥落直前の空爆下、西欧側記者たちを案内して記者会見した姿。(彼は自殺した)。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] ヴォートリンの耳には別の噂

1月8日のヴォートリンの日記
  1. 帰宅する人は増えているが・・・
  2. 男性でさえ、いまの居住地域に留まるのは不可能
  3. 金がなければ若いきれいな娘をだせ
一月八日 土曜日
 きょうは寒く、陽が出なかった。十分な夜具や衣服をもっていない人たちは病気に罹るだろう。
 キャンパスの外はあまり落ち着いた状況ではないが、帰宅する人はますます増えている。キャンパスにはいまでは五〇〇〇 人ほどが残っているだけだ。

 キャンパスの西に住んでいる陶は、家族とともに東の中庭で生活していたが、けさ家から戻ってきて、いつなんどき兵士たちが押し入って金銭を要求するかもしれないので、男性でさえ、いまの居住地域に留まるのは不可能だ、と言っている。

 渡す金がない場合は、兵士たちは、「花姑娘」〔中国語は妓女の意味〕つまり若いきれいな娘を見つけてこいと強く要求する。彼の話では、家には何一つ残っていない。ドアや窓ぐらいは残っていてほしいと念じながら帰宅したのだが。
  1. キャンパスから三つの方角に火災
  2. ベーツが見せてくれた電報と金陵大学職員の移転
  3. 日本大使館の高頭氏(ラーベ日記では高玉氏)が被害届けを出せと
 午後、日本大使館の高頭が訪ねてきて、学院や個々のアメリカ人がこうむった損害の賠償請求を出すようわたしに促した。彼が同伴してきた通訳は、中国人教職員の被害については考慮しないことを明言した。学院の被害は軽微だった(おそらく、全部でドア六枚が打ち壊された程度)ので、請求に加えるつもりはないことを伝えた。

 個人的な被害については、損害をこうむったのはアリス・モリス一人だけだ。他の外国人の財産はすべて南山公寓の屋根裏にしまい込んだので、見つけられなかった、というか、まだ見つけられていない。
  1. 高頭氏に街路の警備を要請。要するに警備兵はキャンパス内に入るな、ということ。
 きのうアメリカ大使館代表の接待用の卵一〇個を贈って高頭〔日本大使館〕に思を売ったので、思いきって彼の力を借りることにした。警備兵が漢口路と寧海路を警備してくれれば、キャンパスはわたしたちが責任をもっということを、彼から上手に警備兵に伝えてもらおうと考えた。昨夜九時から一〇時までの聞に警備兵二人が養鶏場に行き、殺すぞとばかりに使用人を脅かしたので。
  1. 日本兵が『便衣』を欲しがっているという噂
    ラーベが聞いた噂とは違う。
 いろいろな噂が野火のように広がっている。中国軍が南京の近くまできている、日本軍が、変装して逃げられるように中国人の衣服を借り集めている、などなど。なるほど、民間人の衣服を欲しがっているのだろうが、おそらく、もっと真実に近い動機をいくつかわたしは知っている。
  1. 2日たてば良くなると、何の根拠もなくいう高頭氏。
 高頭に、いつになったら南京に平和が回復し、避難民が帰宅できるようになるのか、と尋ねると、「二日ぐらいしてからだ」という答えだった。農村からやってきた女性たちが言うには、ぞっとするような状況になっていて、彼女たちは、ともかく身の安全を図るため、自分の体を実際に地中に埋めなければならなかったそうだ。
  1. 王師伝を捜しにいく
  2. 新街口のありさま
 後ほど、わたしたちは新街口に行った。目抜き通り(中山路)の両側にあった多くの店が焼けてしまい、焼けずに残った店は軒並み掠奪に遭ったようだ。道路にトラック二台が停まっていたが、掠奪品が積み込まれている最中だった。
  1. キャンパス内の警備は私たちがやってる、と伝える
 六時三〇分から七時三〇分までおこなわれたスタッフの礼拝集会のあと、王さん、トゥワイネンさん、それにわたしとで警備兵に会うため校門まで出向いた。警備兵は毎日交替している。主な目的は、キャンパス内の警備にはわたしたちが当たっていることをそれとなく彼らに伝えることだ。
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2009-01-09 (占領28日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] ドイツ大使館員復帰の日

1月9日
  1. 自治委員会、通称ジミーとの談合
午前十時。自治委員会のメンバー、王承添(通称ジミー)との談合。数日前、日本軍が国際委員会の活動を力ずくでやめさせようという計画を立てていたと聞かされる。結局それよりマシな案になったようだが、我々は今後、難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというのなら、異存はない。
  1. 帰還者のためにドイツ大使館、ローゼン家、ヒュルター家の下見(略)
  2. クレーガーとハッツが見た小規模の処刑
十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にするはめになった「小規模の」死刑について報告した。日本人将校一人に兵士が二人、山西路にある池のなかに中国人(民間人)を追いこんだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとりが近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。
山西路は安全区の北側。
  1. ドイツ大使館員、ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルクの三人が復帰した!
ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルクの三人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人三人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏もいっしょだった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったといいがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。

午後二時、クレーガー、ハッツ、私の三人で、ドイツ大使館にいった。三時に、日本大使館の田中、福田両氏といっしょにローゼンたち三人がやってきた。我々はクレーガーがどこからか接収してきたシャンパンで歓迎の意を表した。ローゼンは、盗まれた車の代わりに、豪華なビュイック一台と、ドイツ大使館用の公用車を一台、日本から借り受けた。ぜったいに返すものかと息巻いている。それからみなでシャルフェンベルクの家に行ってみた。家中ひっかきまわされ、目も当てられない状態だ(写真23)。大切にしていた品のなかでも彼がとくに残念がったのは、シルクハットとネクタイだった。なにしろ四十本もあったのだ。今度また休暇で日本へ行ったら、みなでぬかりなく目を光らせ、シャルフェンベルクの高級ネクタイをしている奴をとっつかまえてやろうということになった。

それを除けば、シャルフェンベルグは冷静だった。怒り狂うのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。三十七年間中国にいる間に、めったなことでは動じない人間になっていたのだ。
シャルフェンベルグの家は安全区の外にあったので、荒らされ放題荒らされていた。(1月8日の日記参照)
  1. 三人とクレーガーを夕食に招く(略)
  2. 近所の家から火の手
いよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。外交官が来ていようと、放火を命じられた日本兵にはすこしも気にならないようだ。 外交官たちの到着も、日本兵による放火作戦遂行を止めさせることができなかったようだ。
近所の火事に対する「放火作戦だ」というラーベの確信の根拠はなにか?
12月22日、23日連日の同一箇所の火災も理由の一つか? ラーベは明言を避けているが、どうやら、ラーベに対する威嚇のための放火と受け取っているようだ。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] 夜に泊まりにきて日中は帰宅

1月9日
  1. 晴れているが、相当に寒い
一月九日 日曜日
 晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。
  1. 中国人内部の問題
 気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。
やはり厳しい状況の中では、内部対立も起こる。
  1. 鼓楼教会へ礼拝に行く。残念ながら露天の商品は盗品だ。
 王さん、李さん、薜さんといっしょに鼓楼教会へ礼拝に出かけた。上海路、とくに寧波路(アメリカ大使館)から北に向かって金銀街までの地区の雑踏ぶりは想像を絶する。いまや道路の両側に何百人もの物売りが露店を出し始めている。残念ながら、彼らが売っている品物はほとんどが商店からの盗品だ。わたしたちの使用人も誘惑に負けて、そうした品を買い始めている。
ヴォートリンの中国人を見る眼は女性らしいリアリズムで、ラーベよりも厳しいかもしれない。
  1. 中山路の交通量の多さ、ほとんどが日本軍のトラックと車
  2. 南音楽教室での女性の集会
  3. マギーが主宰した礼拝でアメリカ砲艦パナイ号の沈没をきく
 わたしたち一四名は四時三〇分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスビー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船二隻も沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。

 どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。わたしが接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人にたいしては友好的なようだが、しかし、ロシア人とイギリス人にたいしては気をつけるようにと、きまって警告する。
日本軍のイギリスに対する敵対心は、いったい何が原因なのだろうか?
  1. 三人のイギリス外交官も着任
  2. 程先生は料理メモを見つけたので、ケーキをつくらせてわたしたちにふるまってくれた。
  3. 中山路に日本の店が一軒開店
トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、また、ソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。

コメント

http://latemhk.tdiary.net/20070109.html#c01

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2009-01-10 (占領29日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] こっそりの頼みごと


南京の安全区は相変わらず不安のなかにあるが、取り巻く状況に少しづつ変化があらわれている。
  • 日本軍は安全区国際委員会を無力化しようとしているが、ドイツ、アメリカ、イギリスの外交官の復帰で逆に、安全区国際委員会の難民保護のための存在感も高まってきている。
  • 日本軍は安全区の難民に安全区外の自宅に戻れというが、果たしてそこは安全なのか? なかなか自宅に帰らない住民の姿が、南京の治安状況を反映している。
  • 日本軍内部でも変化が起こりつつある。日本大使館を通じて、南京の日本軍の残虐非行は東京にも伝わり、大本営・参謀本部からその対策がとられるようになった。南京占領の中心であった第16師団は交替させられ、松井石根大将率いる中支那方面軍自体も、改編と司令部交替が計らようとしている。
そうした動きの中での1月10日のラーベの日記。
  1. ローゼンが妻や子供達からの手紙と贈り物を持ってきてくれた。
  2. 日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。
九時
クレーガーが、石田少佐から返事をもらって帰ってきた。日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。はっきり約束したくせに。自治委員会だけに売ろうというのだ。我々のほうでは、言われたとおり今朝早々と米の販売を中止してしまった。難民たちはひどくがっかりした。自治委員会がまだ専用の販売所を開いていないからだ。これは大変なことになる!
  1. 日本側のこっそり頼みごと
ローゼンが本部に訪ねてきた。日本軍は、私にだけでなくローゼンにも、報告書に少し手加減してもらいたいといってきたという。ローゼンはいった。「だから、『あなた方に水と電気をとめられたと報告しておきましょう』といってやりましたよ」
  1. 自治委員会は、我々の本部の近くに販売所をつくった
  2. アメリカ大使館でリソン氏にあう。日本大使館に毎日提出してきた日本兵の犯罪に関する報告書を代って作ってくれることになった。
  3. クトゥー号の船内でのドイツ人同士の決闘まがいの諍いを聞いて・・・
まったくなにをかいわんやだ。われわれはここで、命がけで他人の命を救おうとしているというのに、同じドイツ人が自分の命をもてあそんでいるとは。

[ラーベの日記][所行無情] ローゼンのドイツ外務省への報告

英語版のラーベの日記にはローゼンの報告が添付されている。こうした報告によって日本兵による犯罪が防止されるとラーベは期待している。

以下、拙訳にて失礼します。

Report from the Nanking Office of the German Embassy (Rosen) to the Foreign Ministry

15 January 1938

On 9 January after an interruption of one month, the Nanking office was reopened upon our arrival here after a two-day journey without incident aboard the British gunboat Cricket.

1月9日、英砲艦クリケット号の2日間の無事航海によって、1ヶ月の中断のあとの南京オフィスの再開が実現しました。

According to reports of my German and American informants, when it became known that foreigner representatives were intent on returning to Nanking, feverish operations were began to remove the corpses lying about the streets-in some places "like herrings"-of civilians, including women and children, slain in a campaign of pointless mass murder.

ドイツ人アメリカ人の報告に依れば、外交官たちの帰任が知られるようになってからは、まるで鰊のように街頭に横たわっていた市民の死体が慌しく運ばれ始めたという。女性や子供を含む無差別の作戦によって殺戮されたものだ。

In a reign of terror lasting several weeks, including massive looting, the Japanese have turned the business section of the city, that is the area along Taiping Street and the entire section south of so-called Potsdamer Platz, into a heap of rubble, in the midst of which a few buildings whose exteriors appear somewhat less damaged are still standing. This arson, organized by the Japanese military, is still going on to this day-a good month after the Japanese occupied the city-as is the abduction and rape of women and girls. In this respect, the Japanese army has erected a monument to its own shameful conduct.

数週間の恐怖の支配の中で、大規模な略奪をともない、日本軍はビジネス街を襲った。被害は太平街に沿ってポツダム広場の南側全体に及んだ。瓦礫の中で外観が損なわれていない建物だけが立っている。日本軍が計画して行なう放火も、占領がほぼ1ヶ月経ったいまもなお続いている、女性や少女に対する拉致や強姦も同様だ。この点において日本軍は恥ずべき非行によって悪名を上げた。

Just within the so-called Safety Zone, which thanks to the Rabe committee has essentially been saved from destruction, there have been hundreds of cases of bestial rape, all incontrovertibly documented by Germans, Americans, and their Chinese coworkers. The file of letters that the committee has sent to the Japanese authorities contains a plethora of truly shocking material. As soon as time allows, I shall forward copies, with reference to this report. I would, however, like to note at this point that foreign nationals, and above all Herr Rabe and Herr Kröger, both functionaries of the NSDAP, as well as Herr Sperling, have caught Japanese soldiers in flagranti at such violations and have risked their own lives in scaring them away from their victims.

ラーベの委員会によって破壊から基本的に守られた安全区と呼ばれる地区でも、何百という強姦事件がおきた。これらは、ドイツ人、アメリカ人、中国人スタップによって記録されている。日本当局に送られた手紙には山のようにショッキングな出来事が書かれた。私はできるかぎり早くコピーをつくり、よく調べてみるつもりだ。しかし、どうしても特筆しなくてはならないことがある。それは、ナチ党員であるラーベ、クレーガー、そしてシュペアリングが、外国人でありながら、自らの犠牲を省みず危険を覚悟で暴力非行の日本兵をとっ捕まえてきたということである。

In many cases, members of Chinese families who attempted to resist these fiends were themselves killed or wounded. Even within the offices of the German embassy the employee Chao was ordered at gunpoint to hand over any women present on the property. Having previously lived in Dairen, Chao can speak a little Japanese and was able to explain to the Japanese that this was the German embassy and there were no women present. The threats continued even after Chao had explained to them that this was the German embassy.

多くの場合、家族のために狂人達に抵抗を試みた中国人は殺されたり怪我を負わされた。ドイツ大使館オフィスの中の於てさえ雇員の張が銃をつきつけられ、女性を貢物として差し出せと要求された。張は前に大連にいたから日本語が少し話せたので、ここはドイツ大使館で女性の贈り物はないと説明できた。しかし脅迫は、ここがドイツ大使館だと説明したあとも続いた。

At the American Mission Hospital women are constantly being admitted, the most recent case occurring only yesterday, who have suffered grave bodily harm from rape committed by packs of men, with the subsequent infliction of bayonet and other wounds. One woman had her throat slit half-open, a wound so severe that Dr. Wilson himself is amazed that she is still alive. A pregnant woman was bayoneted in the belly, killing the unborn child. Many abused girls still in their chldhood have likewise been admitted to the hospital, one of whom was violated 20 times in succession.

アメリカ系慈善病院には女性たちが収容されているが、ごく最近、昨日おこったことだが、一団の男たちにレイプされた女性たちが、銃剣によって深刻な怪我を負った。そのうちの一人は、喉が半分切り裂かれている。ウイルソン医師は。彼女が生きているのが不思議だと驚いていた。妊娠していた女性は腹部を銃剣で刺され、胎児は死んだ。まだ子供に過ぎない娘たちが暴行を受け入院しているが、その一人は20回も連続して銃剣でさされた。

On 12 January, my English colleague, Consul Prideaux-Brune, the English military attache Lovat-Fraser, and the English air-force attache Commander Walser visited the house of Mr. Parsons of the British-American Tobacco Company and discovered there the body of a Chinese woman into whose vagina an entire golf club had been forced. There are documented cases in which accomplices have forced the husbands and fathers of victims to witness the violation of their domestic honor. In several instances, officers are known to be accessories, as was the case when Reverend Magee attempted to protect a group of Chinese Christians in the house of an absent German military advisor.

1月12日、英国人の仲間である、プリドウ・ブリュン領事、ラボ・フレーザー陸軍武官、空軍武官ワルサー中佐が、英米タバコ会社のパルソン氏を尋ねたところ、ゴルフクラブで膣を貫かれた中国婦人の死体を見つけたという。レイプの共犯者が、被害者の夫や父親に、凌辱の現場を目撃させるということさえ記録されている。いくつかの事例では、将校すら共犯であった。レバレンド・マギー牧師がドイツ人軍事顧問の家で中国人信者を守ったときが、まさにそのケースだった。

There is no evidence that any action has been taken-or if so, of what sort-by higher authorities against individual perpetrators, since the Japanese are silent about these matters and refuse to understand that a ruthless cauterizing of these offenses would accomplish more than all attempts to cover them up.

軍上層部がそれら加害兵士に対して、とるべき対処をとる兆候は全く見られない。沈黙を続け、加害によって巻き起こす悲惨を放置することが、それをカバーするいかなる努力よりも勝る、ということを理解しようともしない。

It is considered a self-evident matter of honor for the Japanese army to murder without further ado (indeed, there are thousands of such cases) every enemy soldier no longer actively engaged in combat, as well as any man judged to be such by some noncommissioned officer, whose decision cannot be appealed.

もはや戦闘に拘わっていない敵兵や、抗議を受け付けつけない下士官の判断で兵士と見なされた人びとを、日本軍が何の骨折りもなく殺したことは、その名誉とはどんなものかを自ら露呈している。

Given such a collapse of military discipline and order, it should therefore come as no surprise that no respect is shown the German flag. Thus various German buildings have been deliberately torched, others looted terribly, and almost all of them subjected to more or less minor theft. Given the cult status that the Japanese accord pictures of their emperor, it is perhaps especially remarkable that the looters did not shy from taking pictures of the Führer and Field Marshal General von Hindenburg.

軍の規律も秩序も崩壊したのだから、ドイツ国旗への尊重を示さないからといって驚くには当らない。様々なドイツ人の建物が故意に放火され、他は乱暴に略奪され、殆どすべての家がすくなからぬ盗難にあっている。天皇の写真を奉げることを誇りにしているくせに、特筆すべきは、総統やヒンデンブルグ将軍の写真を持ち去って全く恥じないことである。

I have left no doubt in the minds of the Japanese that we demand full restitution for all such losses, since there was no military necessity whatever for them and indeed some of them are the deliberate result of Japanese actions taken well after the occupation of the city, and likewise that I regard the term "consolation money" (solatium) favored by the Japanese as perhaps one that may sound better to them, but is in no way acceptable as an expression of partial payment.

我々が全ての損失に対して完全賠償を求めることに私は何の疑問も残さない。なぜなら、日本軍の軍事的必要性もなく、占領以来故意になした行動の結果でもあるからだ。日本人にとって多分響きのいい大好きな言葉、「慰謝料」のようなものだ。それが値切りの意味なら絶対に受け入れられないが。

ROSEN ローゼン

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] じつにすばらしい一日だった

一月一〇日 月曜日
 じつにすばらしい一日だった。とりわけ、一日も終わるころがすばらしかった。
ヴォートリンの日記の内容
  1. ル−スから一月五日付けで分厚い手紙が届いている
  2. 上海支部がより強力になってきているのがわかり
  3. 金陵女子学院の今後について議論した
 わたしたちは呉博士とルースの手紙を読んだあと、金陵女子学院の今後の計画についてどんなに議論したことか。現時点ではキャンパスに中学校を開設する案はまったく問題外だが、無残にも夫を殺害された女性たちのための職業訓練学校の開設は大いに必要であり、また、現実味があるように思われる。

 けさ、明徳における小学校の開設を促進することについて程先生と話し合った。しかし、それは可能性すらないかもしれないが、様子を見ることにしよう。
  1. 新しい警備兵と顔見知りになり
  2. 程先生がケーキを持ってやってきた
  3. 程先生がフローレンスの手紙をよみあげた
  4. 蝋燭の明かりで分け前のケーキを残さず食べてしまった
 メリーとわたしは、蝋燭の明かりで分け前のケーキをたっぷりいただいた。あとの楽しみにとっておこうかとも思ったけれど、今夜は明るい気分になっているので、残さず食べてしまった。
  1. 城内にはアメリカ人、イギリス人、ドイツ人がそれぞれ三人、計九人の外国の外交官がいる
 上海に運んでもらうため、午後四時前、たくさんの手紙をアメリカ大使館に持って行った。考えてもごらんなさい。現在、城内にはアメリカ人、イギリス人、ドイツ人がそれぞれ三人、計九人の外国の外交官がいる。生活はほとんど正常に戻ったようだ。
  1. ところが
 もっとも、午後、遠方に見えた煙は、掠奪が続いていることを示す無言の証拠であろうし、キャンパスからほど遠くないところでけさ少女が二人強姦された。
  1. 好感がもてる日本兵
 午後、兵士四人が様子を窺いにやってきたが、みな好感のもてる人たちだった。隊長はわたしと切手を交換したり、妻と赤ちゃんの写真を誇らしげに見せてくれたりした。敵兵をすべて友だちに変え、彼らがいまのありのままの自分の姿を見ることができるように一役買えたら、と思う。
[]

2009-01-11 (占領30日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 本部が家宅捜索される

一月十一日
イギリス大使館を訪ね、プリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、アリソン、ヒュルター各氏と会う。イギリス、ドイツ、アメリカの大使館で私の頼みを引き受けてくれた。頼みというのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。こうしてもらえれば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。

今日の昼、日本軍に米の輸送を禁止された。これは我々が自治委員会のために計画したものだ。
家宅捜索という圧力。日本語版平野訳では「脱走兵が略奪した古着」とあるが、英訳本では "refugee" だから、脱走兵ではなく難民である。また、"a bundle of old clothes" だから「古着の包み1つ」。

平野サンが難民を「脱走兵」と訳したのは、一体全体彼女、どういう料簡なのだろうか?
午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。 難民の一人が盗んだ古着の包みを探しているという。その包みは、数日前、その難民の手を離れ本部のフィッチの事務所にしまってあった。たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。 警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、はいよ、と包みを渡した。

まったく日本の警察のやりかたはわけがわからない。おだやかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。なにも完全包囲することなどないのだ。中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて 中国人難民が服を盗まれたと聞いて、それをネタに「事件」をでっちあげようとしたらしい。今度こういう目に 警察の襲撃あったときのために、大使館と連絡をとって 緊密にしておかなければ。
これは、中国人難民の中からの密告か? 1月9日のヴォートリンの日記の「2.中国人内部の問題」参照。
なお今後、大使館への通告無しの欧米人への捜索は認められない旨を申し入れたはずだ。

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[warなひと人] そういえば「完全包囲」

「完全包囲」といえば、2.26事件の報道写真や劇映画の場面を思い浮かべます。そうクーデターの図。
2.26事件
たむたむページ:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nini.htmより

また日本軍は、中国人に外交上の「協定」とかに署名捺印させるときには、やはり「完全包囲」したそうですね。国際クーデターでしょうか?
朝鮮に対してもそうだったんでしたね。日韓併合。それが今日の竹島=独島問題まで尾を引いているのでしたね。

1905年(明治38年)に調印された「第二次日韓協約」は、外交権を日本に渡したものとして有名であるが
  ・・・十一月十七日〜十八日、歩兵一大隊・砲兵中隊・騎兵連隊が王宮まえや目抜き通りの鐘路で演習と称する示威をおこない、日本兵が物情騒然とした市中を巡回し、市民をおびやかした。(海野福寿著 韓国併合)
・・・大臣の途中逃亡を防止するため、護衛の目的で憲兵づきで諸大臣と林が参内した。(同上)
・・・慶雲宮内も日本兵が満ちていた。『大韓季年史』は『銃刀森列すること鉄桶の如く、内政府及び宮内、日兵亦た排立し、其の恐喝の気勢、以て言に形し難し』と述べている。窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう。(同上)
・・・気落ちした韓圭萵参政に皇帝の裁可を求めるよううながし、拒否するなら『予は我が天皇陛下の使命を奉じて此任に膺る。諸君に愚弄せられて黙するものにあらず』と恫喝した。しかし、あくまで反対の韓圭萵参政は、涕泣しながら辞意をもらして退室した。伊藤は『余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ、と大きな声で囁いた』(西四辻公堯『韓国外交秘話』)という。(同上)
で調印。

[warなひと人] これも「完全包囲」?

この「包囲」は目的が違うようです。軽機関銃を据え付けていませんから。
(写真の大元のソースは不明ですから、利用の仕方には充分にご注意ください)

The Good Man if Nanking, p123 より
a makeshift brothel
(英文キャプション):"Japanese soldiers waiting to take their turns in a makeshift brothel" 

手に銃剣を持っているみたいだから、ここは "a makeshift brothel" であっても、"a brothel shop" ではないかもしれません。

[ヴォートリンの日記][所行無情] 困難な諸問題

一月一一日 火曜日
 就寝の準備もできたり、キャンパスに避難している女性難民の大集団が無事に朝を迎えるだろうと思えるような、そんな平穏なここ数日の夜がどんなにありがたいことか、当事者でない人には十分にはわかってもらえないだろう。
  1. 警備態勢についての悩み
 ここ二、三日は、新たに任命された憲兵五名が夜間警備に当たっているし、それ以前の八日間は、アメリカ大使館の警官一名が毎晩門衛所に詰めていた。女子学院の正規の夜間警備員のほか、元警官二名が補助要員としていまは民間人の服装でキャンパスを警備している。

 それ以前の五日間は、一般兵士の一隊(約二五名)が警備に当たったが、彼らには少なからず悩まされた。というのは、わたしたちとしては精いっぱいのことはしたのだが、彼らは、キャンパスの外だけでなく中も警備すると言って聞かなかった。彼らがキャンパスにきた最初の夜、避難民二人が強姦されたので、その後すぐに大使館の警官にきてもらうようにした。
  1. 警備態勢についての悩み
 城内全域にたいして憲兵は一七人しかいなかった。憲兵がもっと大勢いたら、状況ははるかによかったであろう。というのは、憲兵は一般の軍人よりもはるかに優秀と思われるからだ。わたしが会った憲兵は少数だが、みな非常にすばらしい人のようだ。
  1. 国際委員会本部の会議
   午前九時から正午までの聞に F ・陳といっしょに国際委員会本部に出かけた。難民収容所の責任者全員が初めて一堂に招集された。すばらしい会議だった。

 初めのうちラーべ氏がわたしたちといっしょにいて、さまざまな収容所 ― たぶん二〇ヵ所くらいある ― の責任者の努力にたいして心からの謝意を表した。

 出席者は三五人ほどだった。わたしたちが共通に抱えている困難な諸問題について、ともに考え、話し合った。金陵女子文理学院が抱えている通常の問題は、男女両方の避難民を受け入れている収容所での問題に比べれば、はるかに扱いやすいものだ。それらの収容所では、阿片常習者や博徒といった不品行な連中が数かずの問題を引き起こしている。
  1. 程先生を説き伏せ、劉先生への手紙を書いてもらった
  2. 夫の捜索に力を貸してほしいという女性たち
四時から五時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。数週間前から、つまり、一二月一四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。
  1. 夕食後、警備兵と話をする
  2. 避難民数の調査
このあと薜さんといっしょに文科棟へ避難民数の調査に行った。文科棟には、当初の見積もりで四九〇人ほどを割り振ったが、それでも詰め込みすぎだと思った人もいる。しかし、ピーク時には、間違いなく、一棟に二〇〇〇人はいたと思う。
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