八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2008-11-22

[ラーベの日記][戦況と民衆][空襲] まるで寺内貫太郎

ラーベが瞬間湯沸器あることは確かなようですが、水に流すのも早い!
十一月二十二日
靴屋め。くたばっちまえ ! 空襲警報が鳴ると、そらきた、とばかり、かみさんや子ども、じいさん、ばあさん、それから何だかしらないが一族郎党ひきつれて逃げこんでくるくせに、防空壕が八十センチ近くも水に浸ったとなると、水汲みだといっても知らん顔。顔も出しやしない。いまに見てろ!

ローゼンから電話。空き家になった大使館で十時にここに残っているドイツ人たちで、今後の身の振り方を話し合いたい由。その前にと、うちのメンバーをかき集めた。防空壕の水を汲み出さなければ。さっきあんなふうに書いたが、靴屋のことは水に流そう。かみさんと三人の子ども、それから六、七人の親戚がかけつけてせっせと水を汲み出しはじめたのだ。とうとう水はなくなった。ところが、なんと西側の壁が崩れているではないか。がっくりした。
19日にトラウトマン大使への取り成しを夫人に依頼したが・・・
  空襲の間にドイツ大使館でローゼンと話す。それはそうと、ローゼンはあいかわらずここにいる。私の取りなしは効果がなかったのだ。(つづく)
寺内貫太郎一家

[ラーベの日記][国際委員会] ラーベ、委員長に!

この日は69年まえ、いちドイツ人ビジネスマンが、中国の首都南京の難民区の、そして軍事占領下南京の"護民Mayor"になった日でもある。あしたが55歳の誕生日。「ラーべの日記とその時代」エルヴィン・ヴィッケルト
(十一月二十二日つづき)
十七時に、国際委員会の会議。南京の非戦闘員のための中立区域設置の件。私は「代表」に選ばれてしまった。辞退したが押し切られた。良いことをするのだ、受けることにしよう。どうか、無事つとまるように。責任重大だ。
委員長になってしまった、おやっさん。だが、気負いは無い。
ドイツ大使が船で帰る直前、委員会の事務局長のスマイス教授を紹介することができた。
多分、『船で帰る』ではなく『船に乗り込む』直前が正しいと思われます。そして多分、ドイツ大使館「本館」はこの瞬間、南京から漢口へと移転したのでしょう。ローゼンたちが残ったのはドイツ大使館「南京分館」となりました。

[ラーベの日記][国際委員会] 難民区(安全区)承認を日本側に求める

(十一月二十二日つづき)
大使は委員会から日本大使にあてた電報を読んで同意してくれた。これはアメリカ大使館の無線を通じて、上海のアメリカ総領事館から発信される。イギリスとアメリカの大使にはすでに承認してもらった。話し合った結果、上海の日本大使館に届くまで、電報の内容は公開しないことになった。これが無駄にならないよう、祈るばかりだ。フランスの委員はいない。それはここにフランス人がいないからで、イタリア人も同じだ。
難民区の雛型は実は上海に有った。それは、フランス人ジャキノ神父が興した南市安全区で、のちに"戦争とはなにか"を編集し南京の殺戮を報じた英ガーディアン紙記者ティンパリーも関わっていた。上海の安全区は日本軍も公認し、神父から感謝状を貰う司令官の写真報道で、「人道主義の軍隊」を示す宣伝としていた。
英語の電報の内容は要約すると次のようになる。
デンマーク、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国の各国民によって構成される当委員会は、国民政府と日本政府に対し、南京市内ないしはその近郊で戦いが勃発した場合にそなえて、難民のために安全区の設置を提案する。

国際委員会は、次の点を国民政府に保証してもらうことを約束する。軍事交通局を含むあらゆる軍事施設を「安全区」から撤退させ、非武装地帯とし、ピストルを装備した民団警官のみを置く。また、その場合、すべての兵士およびあらゆる階級、身分の士官の立ち入りは禁止される。国際委員会は、これらが遵守され、滞りなく遂行されるよう配慮する。

国際委員会は、日本政府が人道的理由から安全区を尊重するべく配慮してくれるよう願っている。そのような慈悲深い措置こそ、責任ある日中両国政府の名誉となると信ずる。国民政府との交渉をできるだけ早く成立させ、難民保護のために必要な準備を整えられるよう、日本当局のすみやかな回答を切望する。
この日から日本軍の侵入までの20日間ラーベたち国際委員会のメンバーは、安全区を非武装地帯とするための中国軍守備隊側とのやり取りに、精力を費やされるのである。

[ラーベの日記][戦況と民衆] ボーイの張の妻

(十一月二十二日つづき)
会議から帰ると、ボーイの張が待っていて、医者を呼んでほしいという。かみさんの具合が悪いらしい。ヒルシュベルク先生の診察の結果、数日前流産したことがわかった。すぐに鼓楼病院につれて行かなければ。
おやっさんラーベの行動原理は、隣人愛!
樊遅問仁。子日、愛人。
ラーベは、ナチス党とヒトラー総統すら、隣人愛の頭領だと思っているのだから。

[warなひと人][戦況と民衆] 11月後半から12月はじめのニュース

11月
15日 第10軍幕僚会議、独断で追撃戦を行なうことを決定。
16日 国民政府、重慶遷都を宣言。
   リオン・フォイヒトワンガー「モスクワ1937」ソ連賛美で発禁。
18日 戦時大本営条例廃止され、大本営令公布。皇居内に大本営が置かれる。
20日 第10軍から「集団は全力を持って南京に向かって追撃を命令」の報告。
21日 国民政府のうち5院が重慶へ移る。
22日 蒙古連盟、察南、晋北自治政府が連合し、蒙疆連合委員会成立。
   委員長は徳王。
23日 駐華ジョンソン米国大使、漢口へ拠点を移す。
   島影盟「戦争と貞操」、自由主義であるとして発禁。
23日 蒙疆連合委員会、察南銀行を蒙疆銀行に改組することを決定。
   資本金1200万圓。
24日 中支那方面軍から「南京攻略を要す」の意見書。大本営第1回午前会議。
29日 要塞司令部令公布。イタリア、満洲帝国承認。
   政府、スペイン・フランコ政権承認。
11月     唯物論研究会京都グループ検挙される。
       企画院、物資動員計画立案を開始。
       日本産業本社、満洲に移転し満洲重工業となる。  
12月
1日 東京帝国大学教授矢内原忠雄辞職。同日、大本営は南京攻略を命令。
   日本化学を改称して日産化学設立。
    満洲帝国領事裁判権撤廃。外務省警察官1300人は満洲に移籍する。
   矢内原忠雄「民族と平和」、秩序を乱すとして発禁。
4日 政池仁「基督教平和論」、戦争否認、軍備反対で発禁。
5日 春日庄次郎ら、共産党復活を画策して、日本共産主義者団を結成。
8日 日本・シャム通商航海条約調印。

[戦況と民衆] 永井荷風の日記

昭和12年11月の『断腸亭日乗』から
  十一月十七日。天気牢晴。昨夜より向一週間禁燈の令あり。幸にして今宵も月明なれば道暗からず。晩食すまして後例の如く浅草に往き万歳小屋に入る。竹本駒若といふ娘義太夫語折から阿波の鳴門をかたりゐたり。案外上手なり。広小路にて佃煮其他食料品をあがなひて帰る。
南京を空爆して優位にあるはずのわが国でも、防空演習が国民精神動員の一大行事となっていた。防空演習
  十一月十九日。快晴。堀口君その訳著オオドゥウの小説マリイを郵寄せらる。空午後にくもる。晡下浅草に行きオペラ館の新曲を聴く。この一座の演ずる一幕物社会劇は何人の作れるにや、簡明にして人を飽かしめず、往々人情の機微を穿つ。侮りがたき手腕あり。木戸口を出づるに今宵は曇りて月なければあたりは暗し。広小路松喜に〓(食へんに卞=べん)し玉の井を歩む。ここも公園と同じく案外賑なり。帰途銀座不二地下室に入らむとするに、夜はまだ十時を打ちたるのみなるに、既に戸をとざしたり。枕上むく鳥通信をよみて眠る。
今秋より冬に至る女の風俗を見るに、髪はちぢらしたる断髪にリボンを結び、額際には少しく髪を下げたるもの多し。衣服は千代紙の模様をそのまま染めたるもの流行す。大形のものは染色けばけばしく着物ばかりが歩いてゐるやうに見ゆるなり。売店の女また女子事務員などの通勤するさまを見るに新調の衣服(和洋とも)を身につくるもの多し。東京の生活はいまだ甚しく窮迫するに至らざるものと思はるるなり。戦争もお祭さわぎの賑さにて、さして悲惨の感を催さしめず。要するに目下の日本人は甚幸福なるものの如し。
戦前の人々 ファッション
荷風さんは戦争という胡散臭いものが嫌いです。
十一月廿一日(日曜日)くもりて風甚寒し。執筆の興至らず快々として徒に時間を空費するのみ。忽にして窓暗く街上防火団の警笛をきく。燈火を点ずること能はざれば今宵も浅草公園に往き国際劇場に入り時間を空費す。安藤君所作の日高川其他のルヴユーを看る。品好くつくりたるものなれば興味少し。オペラ館の通俗卑俚却てよろこぶ可し。九時過芝口佃茂に夕飯を喫し料理番と雑談してかへる。深更雨ふる。 〔欄外朱書〕裏鄰の魚類燻製所近鄰ノ苦情甚シキ為昨日深川辺へ転居せり

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