八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2007-12-30 (占領18日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] 自治委員会って?

青天白日旗から五色旗へ
十二月三十日
新しく設立された自治委員会は、五色旗(北京政府時代の中国国旗)をたくさん作った。一月一日に大がかりな公示がある。そのとき、この旗が振られることになっている。この「自治委員会」は我々に取って代わろうとしている。仕事を引き継いでくれるというのなら文句はない。だが、どうも金目当てのような気がしてしかたがないのだ。
1937年12月30日のラーベの日記の内容は、
  • 日本軍のお膳立てで発足した「自治委員会」のこと。
  • 通称ジーメンス・キャンプのわが庭で二晩続けて子供が生れたこと
  • 日本人への年賀の用意
ラーベの日記に対して、重要事項である「自治委員会」に触れてないから、インチキ日記だという人がいるが、ラーベは「自治委員会」に賛同していないだけで充分に気にしている。日記でも頻繁に記述している。ラーベの関心は、「自治委員会」と名のつくものが果たして中国人難民の生命と福祉に役立つものかどうかである。
こちらからは何ひとつ引き渡さない。あくまでも、ごり押しされた場合にかぎる。ただし、そのときもねばれるだけねばるつもりだ。思うに、日本の外交官たちは日本軍のやり方を恥ずかしく思っているらしい。だからドイツの旗がついた家が四十軒も略奪にあい、しかもそのうち何軒も焼き払われたなどということはうやむやにしておきたいのだ。
二晩続けて生れた赤ん坊には、女の子は「ドーラ」、男の子は「ジョニー」と名づけられた。
(前略)
医者も、助産婦も、看護婦もいない。おむつもない。親たちの手には汚れたぼろ切れ数枚だけ。私はそれぞれの親に十ドル贈った。「お礼に」と、女の子は「ドーラ」、男の子は「ジョニー」と名づけられた。いやあ、うれしいね!
福井氏と南京地区西部警備司令官の佐々木到一少将に渡す年賀として、松の盆栽を二つ買った。そして、手作りの年賀状をこしらえた。表には安全区のマークとラーベの署名、裏には南京にいる二十二人の欧米人全員の署名。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆] 男性の登録はいまも続いている

一二月三〇日 木曜日
 男性の登録はいまも続いている。五時前、寧海路に整列する人たちの声が聞こえた。わたしは六時三〇分に起床して、そして、すでに六時にはキャンパスの外で並んでいた男性教職員や使用人たちの列に加わった。
1937年12月30日のヴォートリンの日記は、
  • 延々とつづく登録のための行列
  • 数日中にアメリカ大使館員が戻ってくるというニュース。ただし、翻訳文面ではアチソンとあるが、1月6日に戻ってきたのはアリソン。
    ※二等書記官アチソン(Geoge Atcheson Jr)or 三等書記官アリソン(John M. Allison)?
  • 上海路の市の情景
  • 登録をすませたばかりの青年“登録番号は二万八七〇〇番”
  • 日本兵が“二四歳の娘を連れ去った”
  • あすは女性の登録
  • 日本大使館で開かれた宴会のこと
といった内容である。

上海路の市は興味深い。
 上海路を見ておかなければいけない。安全区外は「無人地帯」さながらに人通りがないとすれば、安全区内の通りはまさしく「大きな市」の日のように見えるにちがいない。人で雑踏し、ありとあらゆる商売がおこなわれている。上海路には定期的に市が立つようになってきているそうだ。日本兵が少ないときには「老百姓」(庶民)が多い。
日本にも闇市の時代があったことは知られている。市が立つのは戦闘がそこでない証拠だが、だからといって治安がいい証とはならない。

“二四歳の娘を連れ去った”
 校門を入ると、一人の母親がやってきてわたしの前に脆き、きょうキャンパスで服務していた兵士が二四歳の娘を連れ去った、と訴えた。わたしは、すぐに母親を連れて藥瓩硫箸鯔ね、そのことを報告した。農民も日本大使館員も、今夜のうちに娘を見つけるのは無理だが、あすの朝その兵士が特定されたら、厳しく処分されるだろう、と言った。

 大使館員によれば、六人の兵士がすでに厳しく懲罰されたそうだ。「処刑された」という意味で彼はそう言ったと思うが、定かではない。
実際には、婦女子の暴行や拐帯で軍紀違反で「処刑された」日本兵はいない。処罰に大甘だったことは、小川第10軍法務部長の日記にも記されている。
尚お一体人間は戦争等生命を擲たんとするが如き一大衝動線に直面したる場合には最後の一つとして婦女に接せんとするにあらずや 従って却って休戦なるとも増加を左程憂うるの必要なきと思わると答えたり
http://blog.goo.ne.jp/1937-2007/e/f4b45792c2028964cb98cbb2eabd46ba
「自治委員会」のこと。熱狂的な歓迎をするよう、根回し。
 午後、王さんと弓さんは、日本大使館で開かれた会合に出席した。元日に大掛かりな宴会、つまり歓迎会がおこなわれるらしく、熱狂的な歓迎ぶりが中国人民に期待されているようだ。各地区からかなりの数の代表を出してもらいたいそうだ。目下、「自治政府」樹立に向けて準備が進んでいる。旧来の五色旗〔中華民国旗〕が使用されるらしい。あす古い旗を探してみよう。
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