八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2007-12-19 (占領7日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] あいかわらず野放しの兵隊

十二月十九日

わが家では静かに夜が更けていった。寧海路にある本部の隣の建物には防空壕があって、二十人ほどの女性がいたが、ここへ日本兵が数人暴行しに侵入してきた。ハッツは塀を乗り越え、やつらを追い払った。広州路八十三〜八十五号の難民収容所からは助けを求める請願書が来た。
南京安全区国際委員会御中

ここに署名しました五百四十人の難民は、広州路八十三〜八十五号の建物の中にぎゅうぎゅうに押しこまれて収容されています。

今月の十三日から十八日にかけて、この建物は三人から五人の日本兵のグループに何度も押し入られ、略奪されました。今日もまたひっきりなしに日本兵がやってきました。装飾品はもとより、現金、時計、服という服、何もかもあらいざらいもっていかれました。比較的若い女性たちは毎夜連れ去られます。トラックにのせられ、翌朝になってようやく帰されるのです。これまでに三十人以上が暴行されました。女性や子どもたちの悲鳴が夜昼となく響き渡っています。この悲惨なありさまはなんともいいようがありません! どうか、われわれをお助けください!

   南京にて、一九三七年十ニ月十八日
      難民一同
いったいどうやってこの人たちを守ったらいいのだろう。日本兵は野放し状態だ。これでは発電所を復旧しようにも、とうてい人手が集まらない。今日そのことでまた菊池氏がやってきた。私はいってやった。

「作業員は逃げてしまいましたよ。そりゃそうでしょう、私たちヨーロツパ人さえひどい目にあっているというのに、自分たちが安全なわけがないと思ってるんですよ」

すると菊池氏はいった。

「ベルギーでもまったくおなじ状態でした!」
菊池氏のフルネームは不明。1914年のドイツによるベルギー侵攻のことらしい。

飢えた夜盗。
十八時

日本兵が六人、塀を乗り越えて庭に入っていた。門扉を内側から開けようとしている。なかのひとりを懐中電灯で照らすと、ピストルを取り出した。だが、大声で怒鳴りつけ、ハーケンクロイツ腕章を鼻先に突きつけると、すぐにひっこめた。全員また塀を乗り越えて戻っていくことになった。おまえらにはそれで十分だ。なにも扉を開けてやることはない。
大火事
わが家の南も北も大火事になった。水道はとまっているし、消防隊は連れていかれてしまったのだから、手の打ちようがない。国府路ではどうやら一ブロツクがそっくり燃えているようだ。空は真昼のように明るい。

庭の難民は、三百人だか四百人だか正確にはわからないのだが、筵や古いドア、ブリキ板で掘ったて小屋をつくって、少しでも雪と寒さを防ごうとしていた。だがこまったことに、なかで料理をはじめてしまったのだ。火事が心配だ。禁止しなければ。大きい石油缶が六十四個もおいてあるので、気が気ではない。けっきょく二ヵ所だけ、料理をしても良い場所をきめることにした。

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] ヴォートリンの日記12月19日

一ニ月一九日 日曜日

 けさも怯えた目付きをした女性や少女が校門から続々と入ってきた。昨夜も恐怖の一夜だったのだ。たくさんの人が脆いて、キャンパスに入れてほしいと懇願した。入れはしたものの、今夜はどこで寝てもらうことになるのだろう。

 八時、一人の日本人が日本大使館のTeso氏といっしょにやってきた。避難民用の米が十分にはないと聞いていたので、安全区本部へ同行してほしいと頼むと、彼はそのとおりにしてくれた。安全区本部からドイツ車で、米の配給の責任者であるソーン氏のところに行くと、彼は、九時までには米を届けると約束してくれた。

 このあとわたしは車で寧海路まで戻らなければならなかった。いまや外国人が乗っていないかぎり、車の被害を防ぐことができない。

 歩いて学院へ戻ってくると、娘をもつ母親や父親、それに兄弟たちが、彼女たちを金陵女子学院に匿ってもらいたいと何度も懇願した。中華学校の生徒を娘にもつ母親は、きのう自宅が何度となく掠奪をこうむり、これ以上は娘を護りきれない、と訴えた。

 それからは、日本兵の一団を追い出してもまた別の一団がいるといった具合で、キャンパスの端から端まで行ったりきたりして午前中が過ぎてしまった。南山にはたしか三回行ったと思う。

 そのあとキャンパスの裏手まできたとき、教職員宿舎へ行くようにと、取り乱したような声で言われた。その二階に日本兵が上がって行った、という。教職員宿舎二階の五三八号室に行ってみると、その入り口に一人の兵士が立ち、そして、室内ではもう一人の兵士が不運な少女をすでに強姦している最中だった。

 日本大使館に書いてもらった一筆を見せたことと、わたしが駆けつけたことで、二人は慌てて逃げ出した。卑劣な所業に及んでいるその二人を打ちのめす力がわたしにあればよいのだがと、激怒のあまりそう思った。日本の女性がこのようなぞっとする話を知ったなら、どんなに恥ずかしい思いをすることだろう。

 このあと呼び出されて北西の寄宿舎に行ってみると、そこの一室で日本兵二人がクッキーを食べていた。彼らも慌てて出て行った。

 午後おそく二つの日本軍将校グループが別々にやってきたので、ふたたび、金曜日夜の出来事やけさの事件のことを伝える機会を得た。

 今夜は四名の憲兵がキャンパスにきているが、あすは一名にしてもらいたい。今夜、城内の少なくとも三カ所で大きな火災が発生している
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