八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

検索サイトからいらっしゃった方へ、まず日記Namazu検索(左)をしてください!


"Don't kill, don't be killed"
«前の日記(2007-12-06) 最新 次の日記(2007-12-08)» 編集

2007-12-07

[warなひと人] 南京攻略包囲網

南京付近戦闘経過要図
D は師団、i は連隊
南京付近戦闘経過要図

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 蒋介石の別れの挨拶

十二月七日
昨夜はさかんに車の音がしていた。そして今朝早く、だいたい五時ころ、飛行機が何機もわが家の屋根すれすれに飛んでいった。それが蒋介石委員長の別れの挨拶だった。昨日の午後会った黄もいなくなった。しかも、委員長の命令で!
・Q1:城内の飛行場とラーベの家は近いのか?
あとに残されたのは貧しい人たちだけ。それから、その人たちとともに残ろうと心に決めた我々わずかなヨーロッパ人とアメリカ人だ。
・昨日、南京脱出のためアメリカ軍艦に欧米人の多くが乗った。
そこらじゅうから、人々が家財道具や夜具をかかえて逃げこんでくる。といってもこの人たちですら、最下層の貧民ではない。いわば先発隊で、いくらか金があり、それと引き換えにここの友人知人にかくまってもらえるような人たちなのだ。
・この描写は、関東大震災の体験談を思い出します。関東大震災では、被服廠跡の広場に逃げ込んだのに殆どの人が焼け死にました。大八車に積んだ家財道具に火がついたのです。
これから文字通りの無一文の連中がやってくる。そういう人たちのために、学校や大学を開放しなければならない。みな共同宿舎で寝泊まりし、大きな公営給食所で食べ物をもらうことになるだろう。約束の食糧のうち、せいいっぱい頑張って、ここに運び入れることができたのはたった四分の一だ。なにしろ軍がたえず徴発するので、車輌が足りなかったのである。
日本語版は、「約束の食糧のうち、ここに運び入れることができたのはたった四分の一だ。なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に徴発されてしまった。」だが、
(英文)"We've been able at best to get a quarter of the food promised us into the Zone, because we don't have enough vehicles, which are constantly being commandered by the military."
軍が徴発したのは、食糧ではなく車輌。
今日の午前中に、軍にトラックを二台取り上げられた。これまでに一台しか取り返していない。もう一台、塩が二トン積んであったほうはいまだに返ってこない。いまゆくえを探しているところだ。最高司令部から、たったいま、さらに二万ドル、私のところに払いこまれた。約束の十万ドルの代わりに、全部で四万ドル受け取ったことになる。これで満足しなければならないのだろう。献金の分割払いのことなど、おそらく蒋介石は知らないだろうから文句もいえまい。
・ラーベの日記も読まずに有事立法を語る政治家に彼の爪の垢を煎じてあげたい!
明日、城門が閉められ、いままで残っていたアメリカ人も船に乗る。今日ジーメンスに電報を打った。満期になった生命保険料を保険会社からもらってくれるように頼んだのだ。
完全なる陸の孤島になるのだ!
Radio Shanghaiは・・・
「彼の和平案が、蒋介石に拒否されたといっている。」は誤報か聞き間違いだろう。拒否したのは日本側だ。⇒外務省東亜局長石射猪太郎日記
上海放送は、トラウトマン大使が、今日漢口に到着したと伝えていた。彼の和平案が、蒋介石に拒否されたといっている。ローゼンからの極秘情報によれば(すでに書いたが)、もうそれは蒋介石に受け入れられたということだが。そのいっぽうで、目下最後の戦闘準備がすすめられている。最後の一兵が倒れるまで戦う。兵士たちは口々にこういい張っている。

城門の外では家が焼かれている。火を放たれた郊外の住民は安全区に逃げるやう命令されている。安全区は結局、何の表明もなく承認されたことになっていたのだ。たったいま、クレーガーが中華門のちかくのシュメーリング家から帰ってきた。こじ開けられ、ところどころ荒らされていたという。現実家の彼は、とりあえず残っていた飲み物を失敬してきた。
日本語版は「城門の近くでは家が焼かれており、そこの住民は安全区に逃げるように指示されている。」だが、焼かれたのは城門の外。
英訳本では、"Houses outside the gates are being burned down.The popuration from the surburbs that have been set on fire is being ordered to flee to our Safty Zone, which has quietly been accorded recognition after all."
「おそらく何の表明もなく承認」とは、昨日12月6日の黄上校の暴言に対してのコメントだろう。あれほど軍は「安全区など認めない」といっていたのに・・・。
十八時、記者会見。馬市長は欠席、外国人も半数くらいしか出席していなかった。残りはもう発ったのだろう。

門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂がひろまり、中華門の近くに住む人たちはパニックに陥っている。何百という家族が安全区に押しよせているが、こんなに暗くてはもう泊まるところが見つからない。凍え、泣きながら、女の人や子どもたちがシーツの包みに腰かけて、寝場所を探しに行った夫や父親の帰りを待っている。今日、二千百十七袋、米を取ってきた。明日もまた門を通れるかどうかはわからない。
中国軍は家を焼いた。だから日本軍は焼かなかった。ということにはならない。

中国軍は防衛作戦として家を焼いた。日中戦争スタディーズ「中国軍の清野作戦」 民衆の苦しみ悲しみは並大抵ではない。

日本軍も家を焼いた。・・・薪として。・・・掠奪、強姦の証拠を消す為に。・・・あるいは戦果を誇るためにか。それ、放火は作戦命令ではなかっただろう。だが、そうした非行を放置すること事態が『作戦以前の作戦』だったのかもしれない。
[]

Namazu検索の方法
記事の権利と責任はすべて下記にあります。クレームなどは直接メールでどうぞ。
Copyright © 2003-2004 late-mhk[hamasa7491@hotmail.com]. All rights reserved.
2007年
12月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31


目次




Search

     



訂正・追記
中国地名・都市間距離
安全区の地図
ラーベの家と周辺
南京市街図1937・9・1(大阪毎日)
南京附近1937・12・1
現南京MAPBAR
現南京城内街路
現南京地図
ゆがめられたラーべの人物像
ラーベ『南京の真実』の誤訳



アンテナ
WEBアンテナ
tDiaryアンテナ


リンク
ja2047_memorial
15年戦争資料 @wiki
「南京事件」143枚の写真&読める判決「百人斬り」
日中戦争スタディーズ
ホドロフスキの記録帳
*なんでも質問箱
Apes! Not Monkeys!
クッキーと紅茶と
思考錯誤
南京事件小さな資料集
ザ★20世紀1937年
南京事件FAQ
tDiary.Net
落書き part-4


今月のタイトル