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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2007-11-27

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆][ユダヤ人][誤訳] ローゼンから一身上の話を聞く

十一月二十七日

コックの曹はまだよくならない。良い薬を処方してもらったのだが、薬局が軒並み逃げてしまったので、手に入らなかったという。今日、五日も経ってからようやく、使用人仲間は曹のことを私に知らせなければと思いついたらしい。とりあえず、とぼしい買い置きのなかからすこしわけてやった。おまけにこの一週問、曹は火の気のない部屋で寝ている(節約のためだが)。だから石油ストーブを貸した。なぜ石炭ストーブを焚かないのかと聞くと、板金屋が全部しまっているので、室内煙突が買えないとの返事。嘘だと思うが、もうすこし事情を調べてみなければ。

曹はあまり仲間に取り入らなかつた。それでみな彼を見殺しにしたのだ。むろんそんなことがあっていいはずがない。

ローゼンは私のために献身的につくしてくれる。ここに残っているドイツ人のなかで、私がいちばん気がかりらしい。いっしょにジャーディン社の船に乗る気がないのではと心配しているが、その心配はもっともだ。船に乗れるよう、ローゼンはプリドー=ブリュン・イギリス領事発行の証明書を私の手に握らせた。この船はまもなく揚子江上流へ曳航される。かっての外交部長張群将軍の家も、使つても使わなくても構わないからといって世話してくれた。要するに、できるだけのことをしてくれるのだ。

昨日の午後、我々は胸襟を開いて語り合つた。というより、ローゼンが自分の運命について語つたのだ。おじいさんはベートーベンと親しかったたらしい。べートーベンがおじいさん(実際には曾祖父である作曲家、イグナーツ・モシェレスのこと)にあてた手紙を見せてくれた。ローゼンの家系はおよそ一世紀も外交関係の仕事についているという。お父さんは大臣だったが、ユダヤ人のおばあさんがいるため、自分は書記官のままで終わってしまうだろうといっていた。気の毒に!
以下は、編者ヴィッケルトによる注記です。日本語訳本には「ゲオルク・ローゼンの身上書より」とあるが、英語版では "From Georg Rosen's Personal File" とういう見出しです。『身上書』ではちょっと違った意味がつけ加わってしまい誤解の元になります。要するにビッケルトがローゼンの経歴を個人ファイルから要約したということです。
 ゲオルク・ローゼンの個人ファイルより
一九一二年ローゼンは外務省に入省したが、ヒトラーの全権掌握以降は「ユダヤ人と姻戚関係にある」とされ、外交官としての昇進はできなかった。一九三八年、休職を命じられたあと、イギリスヘ亡命、一九四〇年アメリカヘ渡る。戦後、帰国して外務省に入り、一九六〇年、モンテビデオ大使を最後に退官。翌年死去。

ローゼンは如才ないジョン・ラーべとは対照的で、ぶっきらぼうだった。ヒトラーの人種法による差別にひどく苦しめられていた彼は、その心情をラーべに打ち明けたのである。

「気の毒に!」とラーべは日記に書いている。ローゼンがラーべに事実を打ち明けたのは一九三七年十一月二十七日だった。その三日前に漢口の大使館にあててドイツ外務省から人事課長の署名入り電報が打たれていた。そのことを彼はすでに知っていたのだろうか?

電報(秘密の暗号による)

大使殿 親展
ローゼンに穏やかに告げられたい。休暇より戻るに及ばず。アーリア系でないため、近日中に休職を命ずるものとする。検査官
「休暇より戻るに及ばず」は誤訳です。
ここの部分の正しい意味は、「それとなくローゼンに伝えてください。休暇のあと帰国になることは間違いないこと。アーリア人でない血統のため休職者リストに入れられること。    検査官」
本国からのこのような指令にもかかわらず、ローゼンはドイツ大使館南京分館を預かって、1938年4月まで勤務し、ラーベをサポートした。ドイツ大使トラウトマンは、ローゼンの本国召還指令を握り潰したのである。
ヒットラーの天下となったドイツだが、外務省の出先である在中国大使館は思うがままにはなっていなかったようだ。

ラーベの日記に戻ります。

夕方

北平路六九号にて、十八時に会合。唐司令長官が出席し、つぎのように言った。防衛戦はいよいよ間近に迫った。その際、部隊の統制が失われる可能性がある。だが力の及ぶ限り、防衛軍は外国人を保護する覚悟である。城門は閉鎖されるが、外国人はその直前まで通行できる見通しである、と。

ローゼン、プリドー=ブリュン・イギリス領事、アチソン・アメリカ大使館書記官の三人は、今日の午後、蒋介石を訪ねた。南京の防衛について、一度、本当のところを聞かせてもらいに行ったのだ。とてもよい考えだ!

国際委員会は、いまだに日本から返事をもらっていない。そのため、アメリカ大使館を通じて上海の日本大使にもう一度電報をうった。ヒトラー総統とクリーベルにあてた私の電報になにか応答があったかどうかは、むろんわからない。私の考えでは、電報はもうベルリンに届いているはずだ。

明日の十四時に会議を開くことになった。もしも日本から返事がもらえなかったとしても、事前になんらかの行動を起こさなければならないだろう。つまり、少なくともなにかしら準備しなくてはならないということだ。

[ラーベの日記][ユダヤ人][誤訳] ローゼンの経歴

英訳書に書かれている、編者ビッケルトによるローゼンの経歴説明はもっと長いのです。 http://latemhk.hp.infoseek.co.jp/@wiki/27NOVEMBER.htm 

[ラーベの日記][ユダヤ人][追記] 11月22日の原注7

十月二十二日の日記の(原注7)は、英語訳本では、NOTES 4(p289)でした。
NOTES 4.

  This remark by someone on the embassy staff refers to a directive from Hitler. The German embassy in Nanking had telegraphed the Foreign Ministry asking whether, for their own protection, Jews of German nationality who lived outside international concessions ( as for instance in Tientsin or Shanghai ) were permitted to display the Reich flag with swastika. This suggestion had originally come from the Japanese general consul in Tientsin. In an express letter to the Reich Interior Ministry dated 9 September 1937, Legation Councilor Hinrich, an official of the Foreign Ministry, noted that he was aware that "in general there should be only a limited extension of protective measures to Jews living abroad." But then he added that conditions in China were quite different. "In practice, then, we are left with no other means by which to make the property of German nationals of Jewish blood recognizable than by displaying the German flag." Moreover, this was not in any way a "display of the flag in a legal sense." And it was the view of the legal department for overseas organizations-in effect, of the NSDAP-that there was no problem with displaying the flag of the German Reich as a way to make Jewish property recognizable. Herr Hinrich requested a reply by return mail. The deputy state secretary of the Reich Interior Ministry responded that he, too, had no objection; but just to conform with regulations, he suggested that the matter be "submitted to the Fiihrer and Reich Chancellor for decision." The director and state secretary of the Reich Chancery passed on Hitler's answer on 4 October:

 The Führer and Reich Chancellor has decided against granting German nationals of the Jewish race permission either to display our national flag because of the warlike confusions in China or to make themselves recognizable by the wearing of armbands of a similar nature.
 It is the Führer's view that German nationals of the Jewish race can protect themselves and are adequately marked by displaying white flags or armbands, on which, if necessary their association with the Reich can be indicated in German or some foreign language.

This trail of letters shows that officials at the Foreign Ministry and even the Reich Interior Ministry were less rigorous in their treatment of "German nationals of Jewish blood" than was the Führer and Reich Chancellor. A telegram reflecting Hitler's directive was then sent to the embassy in Nanking ( Federal Archives, Berlin, R 43 11/1286 ).

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