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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2007-11-19

[ラーベの日記][戦況と民衆][国際委員会] 決断!

ラーベはついに南京残留を決断した。
十一月十九日
雨は降り続き、荷造りも続く。帳簿をしめようと思うのだが、こう用事が多くてはとてもそこまで手が回らない。韓はかなりの金額を集金してきた。私は社の金をほとんど全額、それから自分の金も二千ドル漢口へ振り込んだ。従業員には十一月分の給料を払った。これで、店がまだ開いているうちに食料品が買えるだろう。あと石炭一トンに石油を四缶貯蔵できる。いまのところそれで精いっぱいだ。使用人たちは、おびえきった目をしておろおろいている。ついに私もクトゥー号で逃げ出すと思っているのだ。どんなことがあってもここを動かないから、と言い聞かせると、ようやくみなほっとした顔をした。
安全区国際委員会がつくられた。
国際委員会が発足した。主要メンバーは鼓楼病院のアメリカ人医師、それから金陵大学の教授たち。全員宣教師だ。難民区を作ろうというのがその目的だ。つまり、城壁のなか、あるいは外に中立地域をつくり、万が一砲撃されたとき、非戦闘員の避難所にしようというのである。いっしょにやらないかといわれた。私がここに残るというのはすでに噂になっていたのだ。私は承諾し、スマイス教授の家で開かれた夕食会で、アメリカ人の参加者全員に紹介された。いまのところ、ドイツ大使館員はまだ三人残っている。ヒュルター、ローゼン、シャルフェンベルグのメンバーだ。なぜローゼンが残されたのだろう。あの人が自分から希望するはずがない。ちょうど大使が留守だったので、この命令を取り消すようとりはからってもらえないかと、夫人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。

ローゼンは、心ならずも残されたのだ。そういう人が相手ではどうしようもない。ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし、また知る必要もない。カルヴィッツ社のメルヒオールが、やはりいっしょに避難したらどうかといってきた。せっかくだが、断るしかない。

なにも私はわけもわからず飛びこもうというのではない。覚悟のうえだ。どうか許してくれ、ドーラ。こうするほかないんだ!医者のヒルシュベルグ先生一家とシュックマンさんの奥さんもまだいる。テキサス石油のハンソンさんも。何も私だけが危険に身をさらそうとしているわけではないのだ。うちの韓は私と運命を共にするといった。ぜったいそういうだろうと思っていた。けなげなやつだ!
ラーベとローゼンの関係が気にかかる。
日本語翻訳版では、十月九日、十日が既出である。
十月九日、十日
雨天。だからみな、機嫌がいい。日曜の午後、気分転換にまたクトゥー号にコーヒーを飲みに行った。すいていた。大使館のローゼンさんは近頃しょっちゅう来ている。ローゼンさんには感心した。爆撃がこわいから身の振り方を考えているといったのだ。人間、なかなかこんなに率直になれるものではない。私だって爆撃はまっぴらだ。だが、いまとなってはもう逃げ出すわけにはいかない。

※appemanさんの突っ込み、私のタイプミスです。修正しておきました。

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