八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2007-11-17

[ラーベの日記][戦況と民衆] 首都移転

「雨がまだ降っていてよかった。空襲は来て欲しくなかった。みんな同じ気持ちだった。」(中文)に続いて・・・
  十一月十七日
メインストリートは一晩中騒々しかった。乗用車、トラツク、なんと戦車まで。どれもがのろのろ通っていった。政府の大がかりな移転が始まったのだ。国民政府主席の林森氏はすでに発ったという話だ。韓の家族のことが心配だ。早くしなくては・・・・・。

荷物をうずたかく積んだ力車が何百となく、下関へ向かっている。まだいくつか運行されている汽船に乗るつもりなのだ。それにしても新たに徴集された新兵、かれらはなんというひどい格好をしているのだろう。程度の差こそあれ、みな、ぼろの平伏をまとって、荷物を背負い、さびついた猟銃をかついでいる。

今聞いたのだが、蘇州付近で張学良の指揮下のおよそ五千人の兵士たちが蒋介石に対する服従を拒んだのだそうだ。それでようやく、なぜ日本軍があんなにやすやすと侵攻できたのかわかった、なんでも、蒋介石委員長がみずから蘇州に赴き、精鋭部隊に命じて反抗的な一団から武器を取り上げさせたという。委員長も楽ではない。その精力に脱帽!

その結果、蘇州の前線部隊は再び踏みとどまったとの話だ。とはいっても、「ヒンデンブルク・ライン」は、日本軍が迂回してしまったために失われてしまったが。そして、おそらく、それとともにファルケンハウゼン将軍が練りあげたみごとな防衛計画も。
日本軍の増援部隊第10軍が杭州湾に上陸(11月5日)したことを、南京に住むラーベたちはいつ知っただろうか? また白茆口(はくぼうこう)〔白茆江とも書かれる〕に第16師団が上陸(11月13日)したことは?

上海・南京間作戦要図(16師歩33連隊史)
上海・南京間作戦要図

第10軍の編成は、第6師団(熊本)、第18師団(久留米)、第114師団(宇都宮)および国崎支隊(福山市)。第4艦隊(司令長官豊田副武中将)護衛のもとに約100隻からなる大船団に分乗して、長崎県五島列島沖を出発し、11月5日杭州湾に上陸。 翌6日「日軍百万杭州湾上陸」のアドバルーンが上海の空にあがったそうだ。

第16師団は10月末石家荘から列車にて天津に終結、奉天を経て大連着、昭和12(1937)年11月10日大連発、11月13日、14日、白茆口の北除六経口および許浦鎮に上陸。ただちに常熟、無錫を占領した(11月29日)とのこと。
http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/2_06.html のキャッシュより
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