八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

検索サイトからいらっしゃった方へ、まず日記Namazu検索(左)をしてください!


"Don't kill, don't be killed"
«前の日記(2007-01-04) 最新 次の日記(2007-01-06)» 編集

2007-01-05 (占領24日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 果てしなく長い行列


1月5日のラーベの日記
  1. ジーメンス・キャンプの芳しくない評判と衛生状態
  2. 「登録」のための果てしなく長い行列。きびしい寒さの中、どうやって耐えているのか?
  3. 外国人を城壁の外に出したがらないのはなぜ? 漢中門のそばの側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。南京の実態がばらされたら困るからか。
ジーメンス・キャンプ(ラーベ家の庭)の今
一月五日
わがジーメンス・キャンプはほかの収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴりよけいに米を配るからだ。なにしろ韓は気がいいから! いくらなんでも五百平方メートルの庭に六百二人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、だれも出たがらない。まあ、しかたないだろう!
韓:韓湘林
ラーベやその仲間たちが難民たちから信頼されていることを、心から誇りに思っているようだ。
衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病がひろがらないといいが。今日の午前までは水が出たのだが、午後になってとまってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。
水、電気、そして火災。さらに、城内には無数の死体が放置されている。都市の危機がつづいている。

果てしなく長い行列
登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳のみ児をかかえて五列に並んだまま、もう六時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。このきびしい寒さのなか、いったいどうやって耐えているのかと思う。
これも「暴支膺懲」、中国人を懲らしめようとする目論見の1つなのか?

[ヴォートリンの日記][所行無情] せっかく長時間並んだのに

  長時間の行列が強いられるのは、女子文理学院でも同じようだ。
一月五日 水曜日
 登録業務のため、けさは七時三〇分(通常は八時) に朝食をとった。

 中国人警官と立ち話をしていると、八時三〇分までに五〇〇〇人ないし一万人の女性がわたしの前をひっきりなしに通り過ぎて行った。何と哀れな光景だったことか。女性たちは、たいてい四人一組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。
高齢者、病弱の女性も
 通達では、三〇歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。四人のなかには、きまって他の三人よりも元気な人がいて、まるで生死にかかわる問題であるかのようにその三人をせきたてていた。

 病弱そうな女性が夫に運ばれていた。息子に抱えられた初老の女性もいた。また、どうやら心臓を患っているらしい女性が、力尽きてわたしの近くで倒れ、登録しようと試みたのはこれで六度目になる、と言った。
ところが、せっかく長時間並んだのに・・・
 九時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、だれも登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝四時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。登録所の警備兵にひきつづき焚き火を提供しているが、あと少しで薪が底をつくところだ。
むなしいが、反抗することはできない。

ヴォートリンがいう「登録」とは、男性にとっては「査問」であり、兵士の疑いがあるとして命が奪われる危険に満ちた「粛清」であった。「登録」が突然中止になったのは、南京地区西部警備司令官、城内粛清委員長そして宣撫工作委員長を兼ねた佐々木到一少将が、粛清人数の目標を達成して査問の終了を宣したからであろう。英米独の外交官の南京帰任の日を明日に控えての宣言であった。

この日のヴォートリンの日記には、
  • 「登録」が中止となって、暖をとる兵士の為にとテーブルや椅子が燃やされずに済んだこと。
  • 程先生、ブランチ呉さん、王さんの三人が午後風邪と疲労で寝込んでいる
  • 警官の配置を要請
などが書かれているが、相変わらず、難民女性達の悲劇が綴られている。

【強姦されたという五六歳の女性】
 しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。午後、P・ミルズが、昨夜強姦されたという五六歳の女性を戸部街から連れてきた。
【私には娘しか残っていないという男性】
 夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「わたしにはいまは娘しか残っていない。三日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、そのうえ、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。これも午後のことだった。
【夫を捜してという2人の新妻】
 わたしが執務室にいると、新婚一八日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立屋で、一二月一五日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。さらに別の新婚二カ月の若い花嫁がやってきて、一二月一六日に夫が連れ去られたと話し、わたしに援助を求めた。
 いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。
 前者は一〇人家族を、後者は八人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話がたえず耳に入ってくる。
[]

Namazu検索の方法
記事の権利と責任はすべて下記にあります。クレームなどは直接メールでどうぞ。
Copyright © 2003-2004 late-mhk[hamasa7491@hotmail.com]. All rights reserved.
2007年
1月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31


目次




Search

     



訂正・追記
中国地名・都市間距離
安全区の地図
ラーベの家と周辺
南京市街図1937・9・1(大阪毎日)
南京附近1937・12・1
現南京MAPBAR
現南京城内街路
現南京地図
ゆがめられたラーべの人物像
ラーベ『南京の真実』の誤訳



アンテナ
WEBアンテナ
tDiaryアンテナ


リンク
ja2047_memorial
15年戦争資料 @wiki
「南京事件」143枚の写真&読める判決「百人斬り」
日中戦争スタディーズ
ホドロフスキの記録帳
*なんでも質問箱
Apes! Not Monkeys!
クッキーと紅茶と
思考錯誤
南京事件小さな資料集
ザ★20世紀1937年
南京事件FAQ
tDiary.Net
落書き part-4


今月のタイトル