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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-31 (占領19日目)

[ラーベの日記][戦況と民衆][所行無情] 連れていかれた難民の救出

12月31日。1937年大晦日の日記である。

「うちの人を助けて!」
十二月三十一日
今日、うちの難民がふたり、外をぶらついていたところを日本兵に連れていかれて、略奪品を運ばせられた。昼、家にもどると、かみさんのひとりがひざまずいて訴えた。「お願いです! うちの人を連れ戻してください。でないと、殺されてしまいます!」みるも哀れな姿だった。しかたなく私はそのかみさんを車に乗せて、中山路でようやく連中を見つけた。
《参考写真》「買い込んだ食料品を支那人に運ばせて帰営する兵隊さん。1月20日撮影」(東中野et sl.「南京事件」証拠写真を検証するp67)

上海戦役から南京占領まで、日本軍が“徴発”したのは、「食糧」「燃料」「女性」そして、「苦力(クーリー)」。この頃、年末年始のラーベの日記とヴォートリンの日記には、拉致された男性の話が頻繁に出てくる。
武装した兵隊二十人とむきあう。案の定二人を引き渡そうとはしない。私の立場はちょっと具合の悪いものだった。なんとか連れ戻すことができたときには心底ほっとした。
二人のおろか者をみなの前で叱りとばした
家に戻ってから難民を集めて、この二人のおろか者をみなの前で叱りとばした。ばかなことをして捕まっても知らんからな。六百三十人もいる人間のあとをそのたびに追っかけちゃいられない。いったい何のためにここに逃げてきたんだ? また私が助けに行くと思ったら大まちがいだ。こんなことが続いたら、いずれ取り返しのつかないことになる……。
きょうもラーベは「自治委員会」のことを記述している。ラーベの日記を非難する人たちは、ラーベが「自治委員会バンザイ」を三唱しないことが気に食わないのだろうか?
日本兵は、新年に三日、休みをもらう。兵たちがうろつかないように安全区を封鎖するとかいっていたが、あてになるもんか。明日は、一九三八年一月一日。いよいよ「自治委員会」がおごそかに樹立される。
「目出度さも中ぐらいなりオラが春」と詠んだ俳人がわが国にもいたが、1938年の南京の正月もせめて、中ぐらいとまではいかなくても、多少の目出度さは、あって欲しい!

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] 避難民女性の登録

ヴォートリンの大晦日の日記は、
  • 女性の登録
  • 男性の登録も再開
  • 糸を巻き取る作業以外は何もしなかった(疲労と倦怠感)
  • 太平路の花牌楼の現状
  • 旧年を送り出し新年を迎え入れる礼拝
  • 遠藤という憲兵がきた
といった内容である。

女性の登録の情景は初めてだから引用しよう。
一二月三一日 金曜日
 けさ登録がおこなわれた。学院にいる女性二六〇人ではなく、一七歳から三〇歳までの避難民女性およそ一〇〇〇人の登録だ。彼女たちは九時には中央棟の前に整列させられ、まず日本軍将校の、次には蕷標氏の訓示(いずれも中国語)を聞かされた。いろいろな事項が申し渡されたが、わたしには聞こえなかった。

 ただ、こんなことが耳に入った。「結婚にさいしては旧来の慣習に従い、両親に段取りを決めてもらわなければならない。劇場へ行ったり、英語を学んではならない・・・・。中国と日本が一体になることによって強くなるのだ・・・・。」

 訓示が終わると、彼女たちは一列縦隊で一部は南に、一部は、米飯売り場としてわたしたちが囲いをした場所を通過して北へ進んで行った。ほとんどの婦女子が第一段階の切符をもらったが、髪の毛がカールしていたり、身なりがよすぎるなど、目立って見えるという理由で二〇人ほどが選び出された。

 母親か、さもなければ他のだれかが保証人になるということで、後に、全員が解放された。おりにふれて「神の御意みを感じる」ことがある。きょうの御意みは、女子学院の学生や女子中学校の生徒がキャンパスに一人もいなかったことだ。
英語を学んではならない、という訓示にはあきれかえる。

そんなヴォートリンだが、日本人の中にも希望を見出したいと願っている。
 けさ、とてもすばらしい日本人がやってきた。遠藤という人で、彼の司令部は、かつての首都飯店にある。遠藤氏だけでなく、いっしょにきた憲兵もたいへん好感が持てた。両人とも、やさしく思慮深そうな顔つきをしていた。遠藤氏は、難民救済の業務に深い関心があると言い、援助を申し出てくれた。

 新年には中国に、南京に、そして金陵女子文理学院にどんなことが起こるのだろうか。信念を失ってはいけない。

[you&me] 先をお読みになる方は、

ラーベの日記(日本語訳)「南京の真実」講談社
ラーベの日記(英語訳)The Good Man of Nanking
ラーベの日記(ドイツ語原著)Der gute Mensch von Nanking
ヴォートリンの日記南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記

映画「南京」プロモートサイト
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