八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-26 (占領14日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 査問、登録はじまる

ラーベ家の難民は全員パス
十二月二十六日十七時
素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!なんたって六百人をこす人々の命なのだから。

新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れていかれずにすんだ。隣の金陵中学校では二十人以上引き渡さなければならなかったというのに。元中国兵という擬いで処刑されるのだという。わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。いま、日本兵が四人、庭で良民証を作っている。今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。将校が決定した以上、 もうひっぱられる心配はないのだから。 それの変更はないだろう。
(英語版)"and there'll be no altering that"

「わが軍にも、なかには酷い連中がいましてね」
忙しく葉巻とジーメンスのカレンダーを担当の将校にあげていたら、百子亭にある家からもうもうと煙が上がってきた。庭は灰の雨だ。藁小屋は大丈夫だろうか。いくぶん考え深げにその様子を眺めながら、その将校はフランス語であっけらかんと言った。「わが軍にも、なかには酷い連中がいましてね」。
そう、なかには、ね。 彼自身は何も悪くないという顔して、そこに居た。
百子亭:英訳本では、"the Pei-Tze Ting"。中国側南京防衛軍司令官であった唐智生の公館があったとされる、玄武湖に面した城内の高台。

二週間ではじめて日本兵が押し入ってこなかった
昨日からは日本兵が押し入ってきていない。この二週間ではじめてのことだ。やっといくらか落ちついてきたのではないだろうか。ここの登録は昼に終わった。しかも後から こっそりもぐりこませた もぐりこんだ二十人の新入りにも気前よく良民証(mingto)が与えられた。
英文では "since yesterday"
「こっそり潜り込ませた」は英文では、"20 more people who have smuggled themselves in here." で、ラーベが潜り込ませたのではない。

「こっそりもぐりこませたのは便衣兵に違いない」、というトンデモな人がいるけど、まあそれは日記をちゃんと読まない人だね。ラーベ達は非武装地帯化や武装解除、そして暴動防止にいかに努力をしてきたか、体を張り日記にめんめんと綴ってきた。
使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れていった。トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、新しい患者を見せられた。若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、手のひら三つぶんくらいの肉がもぎとられている。助かるかどうかわからないという話だ
安全区本部での登録
安全区本部でも登録が行われた。担当は菊池氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。安全区の他の区域から、何百人かずつ、追いたてられるようにして登録所へ連れてこられた。今までにすでに二万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。なんというむごいことを……。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無力なのだ。
領事館警察の高玉氏は信用できない
高玉が車を貸してくれと言ってきた。借用書を書くとか言っていたが、どうせ返しゃしないだろう。

そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片づけてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を十日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。

ヨーロッパ人の家をのこらずリストアップし、とられた品物の「完全なリスト」を作って提出してくれと、高玉が言ってきた。私は断った。大使館の仕事じゃないか。第一、そんな面倒なことを引き受けて貧乏くじをひくのはまっぴらだ。最後まで無事だった家があるのかどうか、あるとしたらどの家なのか、それさえ正確に知らないというのに。
難民達の状況、米は足りるか?
クリスマスの二日目の今日、私はあいかわらず家にいた。難民が心配で、家を空けられない。だが、あしたにはまた本部で仕事がある。

安全区の二十万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、私はそれほど悲観的には見ていない。

米を探して安全区にまわしてくれるよう、何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。そのくせいつ汽車や船で上海にいけるようになるのかと聞いても、肩をすくめるだけだ。「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」
我が家の食事
うちのポーイやコックが、食べものをいまだにちゃんと調達しているのにはいつも驚かされる。とくに私の家では奇跡に近いほどだった。二週間ほど前から中国人を三人泊めているので、その人たちにも食事を出している。幸運にもそれでもまだ足りているのだ。ひょっとすると、いまや私を心から愛してくれている難民たちが、いざとなると食べ物を手に入れる手伝いをしてくれているのかもしれない。私は毎日目玉焼きを食べているが、卵がどんな形をしていたかさえわすれてしまった人もいるのだ。
ヴォートリンのこと
ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、びっくり仰天して反対したそうだ。最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。
彼女にとっての恐ろしい事件
ところで、この人に恐ろしい事件が起こった! 彼女は自分が庇護する娘たちを信じて、めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所になっている大学につれていくところだった。

さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。
24日のヴォートリンの日記を思い出してください。

[飯村守日記] 長中佐、大親分黄金栄に面会

ラーベの日記にある「社会の暗部」とは裏社会のことだ。慰安所設置工作の責任者、長勇中佐の行動について、派遣軍参謀長飯沼守少将は12月25日の日記に書いている。
◇十二月二十五日 快晴
(略)
 長中佐上海より帰る。青幇(チンパン)の大親分黄金栄に面会 上海市政府建設等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整ひ年末には開業せしめ得る段取りとなれり。

 黄金栄の部下虞洽卿、王一亭等は中南支の一流の財界巨頭なりと。塩は彼等に売却し阿片を何とかして入手せしむる様考慮する筈。吐月笙等は黄の子分なるも今にては真に蒋の部下にて到底望なし、黄は之等をも討伐すへしと。
虞洽卿、王一亭は南京の人だろうか?
質問しました。 日中戦争スタディーズ
思考錯誤

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] クリスマスが過ぎて

体力が尽きてしまった。ヴォートリン自身にはクリスマスは来なかったようだ。
(前略)
けさ魏が戻ってきたが、自分の体験したことを語れないほど疲れ果てていた。

 午後、またもや体力が尽きてしまい、休息をとった。

 金陵大学のキャンパスにいる避難民全員がきょう登録をした。たぶん、一両日中には女子学院でも同じ手続きがおこなわれるだろうから、今夜、陳さんに名簿の作成を始めてもらった。

 昼間はいまでも晴れていて暖かい。依然として外界の情報は入ってこないし、わたしたちが知るかぎりでは、こちらの情報も、同盟〔通信社〕が提供するもの以外は伝わっていない。

ことしは、クリスマスなしの年になるだろう。友人たちのことを考える時間さえなかった。
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