八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-25 (占領13日目)

[you&me] ja2047さんの死を悼む

私のweb上の畏友というか師匠ともいうべきja2047さんが亡くなられました。訃報を知ったのは昨日でした。試行錯誤板へのゆうさんの投稿です。

急な知らせに、声もありません。

突然の心筋梗塞で11月17日になくなられたそうですが、ja2047さんは、11月15日までmixi日記に健筆を振るっています。私にメールを下さったのも11月14日でした。その後、書込みがないのは私の失礼によるのではないか、とも思っていました。

9月に私はja2047さんから、スキャナーのお下がりを頂きました。ja2047さんは私に「webで健筆を振るう人たちが集めた資料を集めたら膨大になるだろうな。それらを、共有できたらいいんだが。」とメールでいってきました。「15年戦争資料@wiki」はそのスキャナーをきっかけにして生れました。そうして、ここの「1937年秋冬コレクション」も誕生しました。

いわば、ja2047さんはこのサイトの産みの親なのです。

地図、写真、問い合わせ・・・、困ったときには ja2047さんにおねだりしていました。もう、いらっしゃらないなんて信じることができません。

まだ54歳といえばお若い盛りです。
謹んで、御家族のご平安とja2047さんのご冥福をお祈りいたします。
ja2047さんのWEB上の足跡です。みなさんが掲示板などに挙げたものです。 みなさんが言葉を寄せています。
  • http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3718;id=sikousakugo#atop
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300060139&owner_id=1229043
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300180630&owner_id=4968376
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300761792&owner_id=935361

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] ポケットから手を出すな

リッグス氏暴行に対する抗議書
ラーベの日記の英語版の12月15日の項の冒頭には、スマイスが日本大使館に送った抗議文が掲載されている。

日本軍兵士達によって拉致された中国人女性を救い出し、難民収容所に送り届けようとしたリッグス氏(Charles H. Riggs アメリカ人 金陵大学 )に、巡検将校が暴行を加えたという事件である。リッグス氏は殴られても蹴られてもオーバーコートに手を突っ込んだまま無抵抗であった。

日本軍将校の傍にいた日本人通訳に依れば、将校はリッグスが頭を下げれば許すということだったらしいが、リッグスは自分は米国人で日本人ではないから、と頭を下げなかったようだ。

Letter from the International Committee to the Japanese Embassy

Nanking, December 25th, 1937.
To the Officers of the Imperial Japanese Embassy Nanking.

  This morning about 10:00, Mr. Riggs found several Japanese soldiers in the house at No. 29 Hankow Road and heard a woman cry. The woman, who was about 25-30 years old, tapped herself and motioned for Mr. Riggs to come. One soldier had her in tow. Other soldiers were in the house. She grabbed Riggs's arm. The other soldiers came out of the house and all of them went on and left the woman with Mr. Riggs. The woman had been out buying things and the soldiers took her.  Her husband was taken four days ago and had not returned. She wanted Mr. Riggs to escort her back to the Refugee Camp at the Military College on Hankow Road. So Mr. Riggs escorted her east on Hankow Road and almost to the University Gardens, there they met an inspection officer with two soldiers and an interpreter. The officer grabbed Mr. Riggs hands out of his pockets and grabbed his armband, which had been issued him by the Japanese Embassy. He swatted Mr. Riggs hands when he tried to put them back in his pocket. As near as he could tell, the officer asked Mr. Riggs who he was, but neither could understand the other. He then hit Mr. Riggs on the chest hard. Mr. Riggs asked him what he meant and that made the officer angry. The officer motioned for his passport but Mr. Riggs did not have it with him. He wanted to know what Riggs was doing. Mr. Riggs told him he was taking this woman home. So the officer hit Riggs again. Mr. Riggs looked to see what armband the officer was wearing and the officer slapped Mr. Riggs in the face hard. The officer then pointed to the ground and grabbed Mr. Riggs' hat so Mr. Riggs thought the officer wanted him to kowtow to him. But Mr. Riggs would not. So the officer gave Mr. Riggs another slap in the face. Then the interpreter explained that the ofiicer wanted a card. Mr. Riggs explained he was taking the woman home because she was afraid. The officer gave an order to the soldiers and they came to either side of Mr. Riggs with guns at attention. Then the interpreter explained that the officer wanted Mr. Riggs to bow to the ofiicer. Mr. Riggs refused because he was an American. The officer finally told Mr. Riggs to go home. Meanwhile, the Chinese woman had been so frightened when she saw Mr. Riggs so treated, she ran off down Hankow Road.

  Mr. Riggs explained that he did not touch the officer and simply had his hands in his pockets (of his overcoat) walking down the road, bothering no one. The woman was walking a short distance ahead of him.

  We hope that there will speedily be such a restitution of order and discipline among the soldiers that foreign nationals going peacefully about the streets need no longer fear being molested.

        Most respectfully yours,
        LEWIS S. C. SMYTHE

こういう文章では、"Mr. Riggs" を "he" とか "him" とか代名詞にしてはいけないのだ!

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] クリスマス

十二月二十五日
昨日の午後、日記を書いているとき、張と中国人の友人たちがひっそりと小さなクリスマスツリーの飾り付けをしていた。そういえば以前、張はよくこれを手伝っていた。

小さいというのを別にすれば、このツリーは、前に飾っていたのとそっくり同じだ。なんとクリスマスの庭(キリスト誕生の瞬間を再現した厩の模型)まであった。厩をとりかこむ動物たちも。人になれているのも野生のも入り混じっている。私たち家族はみなこれを見て喜んだものだった。食堂のまん中の扉が開いて、わずかばかりのロウソクが部屋に貧弱な光を投げかけると、それでもそこはかとなくクリスマスの気分が漂った。
クリスマスの庭:"the Nativity scene"
人になれているのも野生のも:"higgledy-piggledy=ごた混ぜの"
クレーガーとシュペアリングがクリスマスツリーを見にきた。南京広しといえどもツりーがあるのはここだけだ。クレーガーは白ワインを一本提げてきた。シャルフェンベルク家の瓦礫から「救出された」ものだ。残念ながら漏れてしまって半分しか残っていなかったが。遠く離れた家族の幸福を願って、私たちは黙ってグラスを傾けた。

そのあとクレーガーとシュペアリングは平倉巷のアメリカ人の家へ向かった。そこのクリスマスディナーに招待されていたのだ。が、私は家を空けられない。
福井氏がハバナ葉巻を一箱持ってきてくれた
六百二人の難民を保護者なしでおいていくわけにはいかない。ただ、仲間がとちゅうでしばらく交代してくれることになっていた。そうすれば私もアメリカ人の同志たちとしばし楽しい時が過ごせる。入れちがいに、福井氏がやってきた。目下この人が日本大便館で一番上のポストにいる。高玉氏もいっしょだ。大使館の人たちに、クリスマスプレゼントだといってジーメンスのカレンダーを贈ったので、お返しにハバナ葉巻を一箱持ってきてくれたのだ。うーん、残念。タバコをやめてしまった! タバコ類は、いまやひじょうな貴重品だ。以前は八十五セントだった紙巻タバコ一缶が、いまでは六ドル以下では手に入らない。クリスマスのお祝いに、私はこの二人とワインを一杯飲んだ。二人ともクリスマスツリーと花を見てびっくりしていた。うちにあった花をわけると、たいそう喜んだようだった。日本人はとても花が好きだ。わが家の難民のために、この人たちとある程度親しくなっておきたい。なにしろ発言権があるからだ。
ラーベ家のクリスマス晩餐、まさかのレープクーヘン
二人が帰った後、ロウソクを飾った食堂で、クリスマスの晩餐をとった。塩づけ肉にキャベツ。これがとびきり上等の肉料理のようにおいしく思えた。韓一家がきたので、アドヴェンツクランツ(クリスマスリースの一種、テーブルに置いてロウソクを立てる)を贈った。ロウソクが四本ついている。奥さんと子どもたちには、それぞれ、モミの木にぶらさがっている贈り物から一つずつ選んでもらった。色とりどりの飾り玉、象、小さなサンタクロース。それで私が用意したプレゼントはすべてなくなった。それにしても張には驚いた。思いもよらない素晴らしいものをもって現れたのだ。ハート形のレープクーヘン(クリスマスに食べるはちみつと香料入りのクツキー)! 四つあった。私はわれとわが目を疑った。ハート形のレープクーヘンが四つも。ドーラが赤い絹のリボンで飾っておいたものに、張が若いモミの小枝をそえて持ってきた。ということは、使用人たちが一年間しっかり保管しておいてくれたことになる。私と客は大喜びで、レープクーヘンをまたたくまに飲みこんでしまった。すると、あまり行儀のいい話ではないが、のどにつかえてしまったのだ。もちろん菓子のせいではない。レープクーヘンは文句なくおいしかった。そう、のどがおかしかったのさ。
レープクーヘン
ドーラ、私たちはみな心から君を懐かしんでいる。なかにひとり、うっすら涙を浮かべていた男がいたよ。
アメリカ人の家へ
ミルズがきて、見張りを交代してくれたので、私はアメリカ人の家へと車を走らせた。果てしない闇、死体だらけの道を。もう十二日間も野ざらしになっている。
※アメリカ人の家:ロッシング・バックの大邸宅を使用してベイツ、スマイス、ウィルソン、ミルズらの金陵大学の関係者が共同生活をしていた。
仲間たちはひっそりと座っていた。みな物思いに沈んでいる。ツリーはない。ただ暖炉の赤い小さな旗に、使用人たちのせめてもの心づかいが感じられた。私たちは難民登録というさしせまった問題について話し合った。心配でたまらない。
難民登録についての悲惨な情報
難民は一人残らず登録して「良民証」を受けとらなければならないということだった。しかもそれを十日間で終わらせるという。そうはいっても、二十万人もいるのだから大変だ。

早くも、悲惨な情報が次々と寄せられている。登録のとき、健康で屈強な男たちが大ぜいよりわけられた=剔出(てきしゅつ)=のだ(※)。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別された。兵隊用の大がかりな売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう。
※日本語版では口絵写真13としているが、この写真は12月16日撮影のものです。マギーのフィルムから、東中野本写真116。マギーフィルムの解説書二の(二)。
半時間ほどして、また悪臭ふんぷんたる道を戻る。だが私の小さな収容所には平和とやすらぎがあった。見張りが十二人、交代で壁づたいに歩き回り、ときどきささやきあっている。眠っている仲間を起こさないよう、ちょっとした合図をしたり、とぎれとぎれの言葉をかわすだけだ。ミルズは家に帰った。私もやっと眠れる。いつものように、そのまま飛び出せるかっこうだが。日本兵が入ってきたら、すぐに放り出さなければならない。だがありがたいことに、今晩は平穏無事だった。苦しそうな息づかいやいびきがほうぼうから聞こえてきて、なかなか寝つかれなかった。合間には病人の咳。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] 女子学院のクリスマス

平穏な一夜
一二月ニ五日 土曜日
 クリスマス−ディナーのときにサール・ベイツが、「地獄のクリスマス」と題して記事を書いているところだ、と言った。実際のところ、この金陵女子文理学院ではそのようなことはない。このキャンパスは多少なりとも天国である。とはいえ、ことしのクリスマスは、これまで金陵で経験したクリスマスとはたしかに違う。

 昨夜も平穏な一夜だった。校門に警備兵二五人が配置され、漢口路と寧海路を巡回してくれた。ここ何週もの間で初めて朝までぐっすり眠った。

 午前七時三〇分から南音楽教室で、フランシス陳が主宰してたいへんすばらしい礼拝集会がおこなわれた。歌った賛美歌はいずれも、いまのわたしたちには意義深く、心に慰めと勇気をあたえてくれた。ビッグ王を含めてわたしたち九人が出席した。近ごろは祈祷会で語る話をあらかじめ用意することなどだれも考えない。わたしたちは、心の奥の深い思いのままに祈っている。

 八時三〇分から九時三〇分までの聞に二つの兵士グループがやってきたが、何も問題は起こさなかった。彼らは、主として発電所に関心があった。
パックの家のクリスマスディナー
 一二時三〇分、クリスマス− ディナーに招かれてブランチ〔呉〕といっしょにパックの家(※)へ出かけた。グレイス・パウアーも招待されていた。サールと C ・リッグズは再三呼び出されて、トラックや中国人男女グループなどの救出のために金陵大学や住宅へ出かけて行った。彼らは近ごろ、連日このような仕事をしている。
※(訳注)バックの家:平倉巷三号にあったロッシング・バック邸。ロッシング・バックは金陵大学農業経済学部長であったが、当時戦火を避けてアメリカに帰国していた。「大地」の作者パール・バックは彼の夫人であった。ロッシング・バックの大邸宅を使用してベイツ、スマイス、ウィルソン、ミルズらの 金陵大学の関係者が共同生活をしていた。

連れ出された少女を助ける
 出かけるさいに興味深い経験をした。校門を出ようとしたちょうどそのとき、一人の女性がやってきて、娘を救出してほしい、ついさつき家から連れ去られた、と懇願した。彼女が指し示したとおり上海路を大急ぎで南へ向かったところ、兵士たちは進路を北に変えた、と言われた。北へ向かって行こうとしたちょうどそのとき、車に乗っているミルズを見かけたので停車してもらい、母親、ブランチともども乗り込んだ。

 まもなく、兵士二人が少女を連れて歩いているところを見かけた。少女はわたしの姿を見るやいなや、引き返してきて助けを求め、そして母親の姿が目に入ると、飛び込むようにして車に乗った。兵士は事態に気づくと、わたしたちが彼に無礼を働いた、としつこく言い張り、ミルズの席に座ったまま、どうしても車から降りようとしなかった。

 英語が多少わかる将校が通りかかったが、彼は、不必要と思われるくらい丁寧な態度でくだんの兵士に車から降りてもらうと、わたしたちを通してくれた。ただし、わたしたちが少女を連れ出したのが悪かった、とミルズが言ったことで、ようやく通してくれたのだ。
避難民家族のためのクリスマス礼拝
 午後二時から、例の小さなクリスマス礼拝堂で王さんの主宰により、キャンパスの使用人たちのために、とてもよいクリスマスができた。三時から婁さんが、近隣のクリスチャンやキャンパスにいる避難民家族のためのクリスマス礼拝をおこなった。午後七時からハウチさんが、昼間学校の生徒や奉仕団で彼女の手伝いをしている子どもたちのためのクリスマス礼拝をおこなった。大人数を手がけるのは不可能なため、大多数の避難民には何もしてあげられなかった。
日本兵は城外へ撤収しているところ
 今夜は警備兵はいない。大使館から警官一名が派遣された。日本兵は城外へ撤収しているところだ。M・S・ベイツによれば、女性の拉致にかんするかぎり、金陵大学では不運な一日であったようだが、女子学院の避難民のなかには自宅に帰る者も出てきている。
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