八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-24 (占領12日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] クリスマスイブ


鼓楼病院
<news.jschina.com.cn
十二月二十四日
昨夜灯をともした赤いアドヴェントシュテルンを今朝もういちど念入りに箱に詰め、ジーメンスのカレンダーといっしょに鼓楼病院へもっていった。女性たちへのクリスマスプレゼントだ。
鼓楼病院で
ちょうどいい機会だからと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔じゅう銃剣の傷だらけの婦人は、流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごに一発銃撃を受け、全身にやけどを負った男性もいた。ガソリンをかけられて、火をつけられたのだ。この人はサンパンをいくつか持っている。まだ二言三言口がきけるが、明日までもつまい。体の三分の二が焼けただれている。
参照:「マギーフィルムの解説書」に映像シーンを当てはめてみる
地下の遺体安置室にも入った。昨夜運ばれたばかりの遺体がいくつかあり、それぞれ、くるんでいた布をとってもらう。なかには、両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。民間人だ。やはりガソリンをかけられたという。七歳くらいの男の子のもあった。銃剣の傷が四つ。ひとつは胃のあたりで、指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという。
参照:殺された7歳の少年のカット
この一週間、おびただしい数の死体を見なくてはならなかった。だから、こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのまま闇に葬ってなるものか!
ラーベの家(写真上と庭)の難民総数は602人。計算してみればわかるが、畳1枚に2人。それに使用人とその家族で650人。20m×30mの中に、である。
私が病院に出かけているあいだ、フィッチがわが家の見張りをしてくれた。まだ当分は兵隊たちにおそわれる心配があるので、難民だけにしておくわけにはいかない。うちの難民は三百五十人から四百人くらいだとばかり思っていた。だが、今では全部で六百二人。なんとこれだけの人間が庭(たった五百平方メートル)と事務所に寝泊まりしているのだ。韓によると男三百二人、女三百人とのこと。そのうち十歳以下の子どもが百二十六人。ひとりは、やっと二ヵ月になったばかりだ。これにはジーメンスの従業員やわが家の使用人、またその一族は入っていないので、全部入れると六百五十人くらいになるのではないだろうか。
ボーイの張のかみさんが退院
張はうれしそうだ。かみさんが今朝退院したのだ。さっき車でつれてきたが、それからずっと屋根裏部屋で子どもたちと眠っている。そこしかあいていない。
クリスマス気分を味わわせようと
私に少しでもクリスマス気分を味わわせようとして、みながはりあっている。見ていると胸があつくなる!

張はクリスマスローズを買ってきて家をかざりつけた。小さなモミの木も。私のためにクリスマスツリーを飾ろうというのだ。どこかで長いロウソクを六本買ってきて、ついさっき上機嫌で帰ってきた。突如みなが私を好いてくれるようになった。昔は、だれにも好かれていないように思ったが。はて、あれは私の思い違いだったのかな? ふしぎだ。ドーラ、子どもたち、孫たち! 今日、私のために祈ってくれていることだろう。私にはちゃんとわかっているよ。おまえたちの深い愛に包まれているのを感じる。それを思うと私はかぎりなく癒されるのだ。この二週間、ただ苦しみしか味わわなかったのだから。私もおまえたちのために心で祈っている。世にもおそろしい光景を目にして、私たちはふたたび子どものころの無垢な信仰へと立ち返った。神、ただ神だけが、この恥ずべき輩、人を辱め、殺し、火を放っている無法集団から我々をお守りくださるだろう、と。
日本軍の城内警備の組織が変わったのか
今日、新たな部隊が着任するという知らせが届いた。これでようやくいくらか混乱がおさまるだろう。法にそむく行為はすべて、みせしめのために罰せられるにちがいない。ぜひそうであってほしい! その時が来ているのだ! 我々はじきに力尽きてしまう!

神よ守りたまえ。私たちがいま味わっている苦しみを、いつの日かおまえたちが味わうことのないように! この祈りを胸に、今日の日記を終えよう。ここに残ったことを悔いてはいない。そのために、多くの人命が救われたのだから。だが、それでも、この苦しみはとうてい言葉につくせはしない。

[warなひと人] 城内警備組織の変更

秦郁彦「南京事件」(P161-162)によれば、日本軍部隊は12月16日頃から新配置に向かう移動を開始した。
  • 第10軍主力は杭州占領作戦のため反転。24日杭州占領の後、南京―蕪湖間に分散駐留
  • 上海派遣軍第13師団は津南線に沿い北上
  • 第101師団は上海地区
  • 第9師団は蘇州地区
  • 天谷支隊は楊州地区に分散駐留
  • 南京地区には第16師団と若干の軍直属部隊が残った。
南京城内の警備と軍政は十二月二十一日、南京地区西部警備司令官(*)に就任、城内粛清委員長(二十二日付)と宣撫工作委員長(二十六日付)を兼ねた佐々木到一少将に一任される形となった。
  • 南京地区西部警備隊(歩三〇旅団、独立機関銃2大隊など)は主力を南京城内に、一部を江寧鎮、麟麟門、尭化門付近に配置、東部警備隊(歩一九旅団、騎二〇連隊など)は主力を湯水鎮に、一部を句容、淳化鎮などに配置した(中沢三夫資料)。
佐々木はかつて南京駐在武官の経歴を持ち『支那軍隊改造論』の著書もある中国通であり、適任者と見なされたのであろう。

ところが、この人選はとんでもたいミスキャストであった。往年は、陸軍随一の国民党通とされ、その同情者でもあった佐々木は、いつの間にか熱烈な反蒋論者、中国人嫌いに変っていたのである。城内警傭に関し、南京憲兵隊と特務機関、その他の軍直轄都隊を指揮下に入れ、第十六師団を実働部隊として与えられた佐々木は、すでにその必要はなくなったと思われるのに、苛烈な便衣狩りを再開した。
(秦郁彦「南京事件」P164-165)
第16師団(中島今朝吾中将)
 −歩19旅団(草場 辰巳少将)
     −歩兵第9連隊(京都)
     −歩兵第20連隊(福知山)
 −歩30旅団(佐々木到一少将)
     −歩兵第33連隊(久居)
     −歩兵第38連隊(奈良)

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] 女子学院のクリスマス

一二月ニ四日 金曜日
 あしたはクリスマス。一〇時ごろわたしの執務室に呼び出されて、一師団の高級軍事顧問と会見することになった。さいわい、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。
「高級軍事顧問」、売春婦100人を選別したい、と
 ここの避難民一万人のなかから売春婦一〇〇人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった。彼らの考えでは、兵士が利用するための正規の認可慰安所を開設することができれば、何の罪もない慎みある女性にみだらな行為を働くことはなくなるだろう、というのだ。

 以後は女性を連行しないことを彼らが約束したので、物色を始めることを承知した。その間、軍事顧問はわたしの執務室で腰を掛けて待っていた。かなりの時間が経過してから、彼らはようやく二一人を確保した。

 こうした物色がおこなわれることを聞きつけて逃げ出した女性や、いまなお身を隠している女性もいると彼らは考えている。大勢の少女が次つぎにわたしのところへやってきて、残り七九人は品行正しい少女のなかから選ぶのか、と質したが、わたしとしては、わたしが言って阻止できるのであれば、そういうことにはならないはずだ、と答えるのが精いっぱいだ。
兵士用売春宿、つまり軍慰安所設置の責任者は、上海派遣軍参謀二課長・長勇中佐だが、この「高級軍事顧問」すなわち参謀とはだれだろうか。

ささやかなクリスマス礼拝
 クリスマス礼拝のため、メリーは午後ずっとクリスマスツリーと部屋の飾り付けをしている。二階の北向きの部屋を選んだ。その部屋の窓のグリーンの厚手のカーテンが使えるからだ。いま部屋は、美しい竹やクリスマスツリー、それに赤い飾り紐で飾られ、とてもすばらしい。

夜六時三〇分からその部屋で、わたしたちのほか、程先生の嫁とその子ども四人だけのささやかなクリスマス礼拝をおこなった。子どもたちはほんの気持ちばかりの贈り物をもらって大喜びだった。子どもたちのおばあちゃんは賛成しなかったけれども、何もプレゼントを用意しないのは感心しない。あすは別のグループのためにその部屋を四回使用する予定になっている。
多くの女性が恐ろしい窮地に直面している
 何人かの女性が涙ながらに話してくれた報告を確認するため、四時三〇分、金陵大学に出向いた。避難民のなかから何人かの男性が選別されたが、彼らは、すぐに身分が確認されない場合には殺される運命にある、というのだ。

 多くの女性が恐ろしい窮地に直面している。夫といっしょに家にとどまれば、夫は銃剣を突き付けられて家から追い出され、妻は兵士に強姦される。夫を家に残して金陵女子文理学院にくればきたで、夫は連行されて殺害される危険にさらされる。

 校門に警備隊や警邏隊を配置してからは、うろうろと入ってくる兵士のグループはほとんどなくなった。おかげで精神的負担が大いに減った。

 大きな火災がいまだに南と東の空を照らし出している。どうやら、どの商店も徹底的に掠奪され、焼き払われたようだ。南京を見たいとは思わない。荒れ果てた街になっているにちがいないからだ。

 城内の状況はいくらかよくなっているそうだ。きょうアメリカ大使館を訪れてわかったが、外界との接触は依然として断たれている。
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