八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-18 (占領6日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 中国軍に勝る無統制な軍隊

きのう最高司令官松井石根を迎えて「入城式」が行なわれたことは、ラーベの耳にも入ったことだろう。しかし、昨日のヴォートリンの日記にもあるように、22人の英米人は、安全区に逃げこんだ無辜の民の命を日本軍から守るために必死で、入城式のことなど話題にもできない。中国人も参列してないのだから、噂すら聞いていない

どうしてまた、これから南京の軍政をあずかる軍司令部や特務機関は、ラーベ達を「式典」に招待しないのか? 相手が応じる応じないを別にして、招待するほうが立場は優位になるのではないか。栄えある入城式を世界に知られては拙いのか? 戦争という国際政治の極限形態を遂行しながら、国際感覚がこれっぽちもない。あきれ返った自己満足国家ではないか。
十二月十八日

最高司令官がくれば治安がよくなるかもしれない。そんな期待を抱いていたが、残念ながらはずれたようだ。それどころか、ますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、私を見るとすぐにさやにおさめた。
お腰につけた銃剣

中国人蔑視に、将校のいうことを聞かない掠奪兵。
私が家にいるかぎりは、問題はなかった。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。だが、中国人に対してはそうではなかった。兵士が押し入ってきた、といっては、絶えず本部に呼び出しがあった。そのたびに近所の家に駆けつけた。日本兵を二人、奥の部屋から引きずり出したこともあった。その家はすでに根こそぎ略奪されていた。日本人将校と発電所の復旧について話し合っていたとき、目と鼻の先で車が盗まれたこともあった。何とか苦労して取り戻すことができたが。将校の言うことになど、兵士たちはほとんど耳を貸さないのだ。

中国人が一人、本部に飛びこんできた。押し入ってきた日本兵に弟が射殺されたという。言われたとおりシガレットケースを渡さなかったから、というだけで! 
日本語のお札
私は発電所の復旧の件で話し合っている将校に、なんとかしてくれと申し入れた。するとその将校は日本語で書かれた札をくれた。さっそくそれをドアに貼ることにして一緒に家に車で戻った。 
ビンタという万能薬
家に着くと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。すぐに彼は将校に追い払われた。そのとき近所の中国人が駆けこんできた。妻が暴行されかかっているという。日本兵は全部で四人だということだった。われわれはただちに駆けつけ、危ないところで取り押さえることができた。将校はその兵に、平手打ちを食らわせ、それから放免した。
ラーベ自身も略奪の被害に
ふたたび車で家に戻ろうとすると、韓がやってきた。私の留守に押し入られ、物をとられたという。私は身体中の力がぬけた。車から降りて、私はその将校にいった。「一人で先にいってください」。次から次へと起こる不愉快な出来事に、実際に気分が悪くなってしまったのだ。

しかし将校はそうはしなかった。私にあやまり、きっぱりといった。「今日のことで、あなたがたの言うことが誇張ではないということがよくわかりました。一日も早くこの事態を改善するよう、精一杯努力します」
この、発電所の復旧の件で話し合った将校の名前が知りたい!

ラーベ邸でも強姦未遂
十八時

危機一髪。日本兵が二人、塀を乗り越えて入りこんでいた。なかの一人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣をほうり出し、難民の少女におそいかかっていた。私はこいつをただちにつまみ出した。もう一人は、逃げようとして塀をまたいでいたので、軽く突くだけで用は足りた。
憲兵隊
夜八時になってハッツがトラックに案内した。隊長率いる一隊の憲兵を乗せており、金陵大学を今夜ガードしにきたと思われる。日本大使館での抗議がいくらかは役に立ったようだ。
英文では、
At 8 o'clock Herr Hatz shows up in a truck with a Japanese police commissioner and a whole battery of gendarmes, who are supposed to guard Ginling College tonight. Our protest at the Japanese embassy already seems to have helped a little.

第10軍憲兵隊長上砂勝七は、上海から南京への侵攻戦での軍紀の乱れについて
何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い。補助憲兵の配属を申し出ても、駐留中ならば聞いてもくれようが、敵を前にしての攻撃前進中では、各部隊とも一兵でも多くを望んでいるのであるから、こちらの希望は容れられず、僅かに現行犯で目に余る者を取押える程度で
と書いているが、南京占領においても軍紀の乱れは僅かな憲兵の手に負えるものではなかった。 「日本軍の軍紀」ー憲兵の認識

さらに、東京裁判の日高信六郎(在南京日本大使館参事官)証言によると、12月17日現在の城内憲兵はわずか14人とある。これは上海派遣軍所属の憲兵(長、横田昌隆少佐)と思われる。(秦郁彦「南京事件」p102)

ラーベが見た、トラックに乗った憲兵の一部隊(a whole battery)とはどんな部隊だったのだろうか?
寧海路五号にある委員会本部の門を開けて、大ぜいの女の人や子どもを庭に入れた。この人たちの泣き叫ぶ声がその後何時間も耳について離れない。

わが家のたった五百平方メートルほどの庭や裏庭にも難民は増えるいっぽうだ。三百人くらいいるだろうか。私の家が一番安全だということになっているらしい。私が家にいるかぎり、確かにそういえるだろう。そのたびに日本兵を追い払うからだ。だが留守のときはけっして安全ではなかった。もらった貼り紙はあまり役に立たない。兵士たちはほとんど気にしないのだ。彼らはたいてい塀を乗り越えてやってくる。

張のかみさんの容態が夜に悪くなり、今朝もういちど鼓楼病院へ連れていかなければならなかった。悲しいことに、鼓楼病院でも看護婦が何人か暴行にあっていた。
ああ、糸の切れた皇軍。
天皇統帥権を錦の御旗にした日本軍人の独断専行。統帥権は戦場において、軍隊組織の統制の糸を切る鋏となった。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] ヴォートリンの日記12月18日

一二月一八日土曜日
 いまは毎日が同じ調子で過ぎて行くような気がする。これまで聞いたこともないような悲惨な話ばかりだ。恐怖をあらわにした顔つきの女性、少女、子どもたちが早朝から続々とやってくる。

 彼女たちをキャンパス内に入れてやることだけはできるが、しかし、みなの落ちつく場所はない。夜は芝生の上で眠るしかない、と言い渡してある。具合の悪いことに、寒さがかなり厳しくなっているので、これまで以上の苦痛に堪えなければならないだろう。

 比較的に年齢の高い女性はもちろんのこと、小さい子どものいる女性にたいしても、未婚の少女たちに場所を譲るため、自宅へ帰るよう説得を強めているところだ。

 「アメリカの学校です。セイヨーガクインです」と叫びながらキャンパス内をあちこち走り回って毎日が明け暮れていく感じだ。たいていの場合、立ち退くように説得すればそれですむのだが、中にはふてぶてしい兵士がいて、ものすごい目付きで、ときとしては銃剣を突き付けてわたしを睨みつける。

 きょう南山公寓へ行き、掠奪を阻止しようとしたところ、そうした一人がわたしに銃を向け、次には、いっしょにいた夜警員にも銃を向けた。

   昨夜恐ろしい体験をしたことから、現在、わたしのいわば個人秘書をしているビッグ王を同伴して日本大使館へ出向くことにした。わたしたちの実状を報告すれば、何か援助をしてもらえるかもしれないと思ったからである。

 漢口路と上海路の交差点まできて立ち止まった。サール・ベイツに同行してもらおうか、自分ひとりで行こうか、それとも、アメリカ大使館へ行って、相談したほうがよいのか、どれが最善の策かわからなかったからだ。

 幸いなことに、アメリカ大使館に行ったところ、そこで中国人書記官ないしは事務員の T ・ C ・唐氏に会うことができ、大いに助かった。彼が特別の書簡を二通書いて、大使館の車で送ってくれたので、わたしは堂々と日本大使館に乗り込んだ。

 そこで、わたしたちの困難な体験のこと、また金曜日の夜の事件のことも報告し、そのあと、兵士たちを追い払うために持ち帰る書面と、校門に貼る公告文を書いてほしいと要請した。両方とも受け取ることができて、ことばでは言いあらわせないほど感謝しながら戻ってきた。

 田中氏は物わかりのよい人で、心を痛めていただけに、自らも出向いて、憲兵二名に夜間の警備をさせるつもりだ、と言ってくれた。

 降車するさい大使館の運転手にチップを渡そうとすると、運転手は、「中国人が壊滅的な打撃をまぬかれたのは、ごく少数ではあるけれど外国人が南京にいてくれたからです」と言った。もしこの恐るべき破壊と残虐が抑止されないとしたら、いったいどういうことになるだろうか。昨夜はミルズと二名の憲兵が校門に詰めてくれたので、久しぶりに何の憂いもなく安らかに就寝できた。

 わたしがこの執務室でこれを書いているいま、室外から聞こえてくるわめき声や騒音をあなたたちに聞いてもらえたらよいのだが。この建物だけで六〇〇人の避難民がいると思うが、今夜はきっと五〇〇〇人がキャンパスにいるのではないだろうか。

 今夜はすべてのホールに、そしてベランダにも人が溢れていて、ほかには場所がないため、彼女たちは渡り廊下で寝ている。いまとなっては部屋を割り当てるつもりはない。初めのころは観念的な発想から、割り当てをするつもりだったが、しかし、いまは入れる場所にいっぱい入ってもらうしかない。

 メリー・トゥワイネンもブランチ呉も実験学校へ引っ越して行った。
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