八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-16 (占領4日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 略奪を受けなかった店はない

十二月十六日
朝、八時四十五分、菊池氏から手紙。菊池氏は控え目で感じの良い通訳だ。今日の九時から、「安全区」で中国兵の捜索が行われると伝えてきた。
菊池氏:
入れ替わり立ち代り新手の「担当者(と称する)」があらわれる。これは現代でいえば、誰が責任者なのか判らないように、会議の度に入れ替わり面子をかえる○通とか○報堂とか、大手広告代理店の打ち合わせのようなものだ。
いまここで味わっている恐怖に比べれば、いままでの爆弾投下や大砲連射など、ものの数ではない。安全区の外にある店で略奪を受けなかった店は一軒もない。いまや略奪だけでなく、強姦、殺人、暴力がこの安全区のなかにもおよんできている。外国の国旗があろうがなかろうが、空き家という空き家はことごとくこじ開けられ、荒らされた。福田氏にあてた次の手紙から、そのときの状況がおおよそうかがえる。 ただし、この手紙に記されているのは、無数の事件のうち、我々が知ったごくわずかな例にすぎない。 ただし、この手紙に記されている事件は、我々が知つた無数の事件から抜き出したホンの数例にすぎない。
"and the cases mentioned in the letter are only a few out of a great many that we know about"
在南京日本大使館福田篤泰様

拝啓
安全区における昨日の日本軍の不法行為は、難民の間にパニックを引き起こし、その恐怖感はいまだに募る一方です。多くの難民は、宿泊所から離れるのを恐れるあまり、米飯の支給を受けたくとも近くの給食所にさえ行けないありさまです。そのため宿泊所まで運ばなければならなくなり、大ぜいの人々に食料をいきわたらせることは、大変むずかしくなっています。給食所に米と石炭を運びこむ苦力を十分集めることすらできませんでした。その結果、何千人もの避難民は今朝、何も口にしていません。

国際委員会の仲間が数人、なんとかして難民に食事を与えようと、今朝がたトラックを手配しようとしましたが、日本軍のパトロール隊に阻止されました。昨日は委員会のメンバー数人が、私用の乗用車を日本軍兵士に奪われました。ここに日本兵の不法行為リストを同封します。(ただし、ここにはリストは掲載されていない)

この状況が改善されない限り、いかなる通常の業務も不可能です。電話や電気、水道などの修復、店舗の修繕をする作業員はおろか、通りの清掃をする労働者を調達することすらできません。

……私たちは昨日は苦情を申し立てませんでした。日本軍最高司令官が到着すれば、街はふたたび落ちつきと秩序を取り戻すと考えていたからです。ところが昨晩は、残念ながらさらにひどい状況になりました。このままではもうどうにも耐えられません。よって日本帝国軍に実情をお伝えすることにした次第です。この不法行為が、よもや軍最高司令部によって是認されているはずはないと信じているからです。    敬具

代表 ジョン・ラーベ
事務局長 ルイス・S・C・スマイス
門内に入れさせてください
ドイツ人軍事顧問の家は、片端から日本兵によって荒らされた。中国人はだれひとり、家から出ようとしない! 私はすでに百人以上、極貧の難民を受け入れていたが、車を出そうと門を開けると、婦人や子どもが押しあいへしあいしていた。ひざまずいて、頭を地面にすりつけ、どうか庭にいれてください、とせがんでいる。この悲惨な光景は想像を絶する。
菊池氏と下関の発電所へ
菊池氏と車で下関に行って、発電所と米の在庫を調べた。発電所は見たところ損傷なく、もし作業員がきちんと保護されれば、おそらく数日中に稼働できるだろう。手を貸したい気持ちはやまやまだが、日本軍のあの信じられない行為を考えると、四十〜四十五人もの労働者をかき集めるのはむずかしい。それに、こんななかで、日本当局を通じてわが社のドイツ人技術者をこちらに呼ぶような危険なことはごめんだ。
またまた武装解除した中国人兵士の連行と銃殺。
ああ、これが控えめで感じの良さそうな通訳菊地氏が通告した『中国兵の捜索』だったとは!!
たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出され、銃殺されたという。そのうち、五十人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されたという。
これではラーベ達の代りに処刑されたようなものだ。


実はこれ、南京事件否定派で独立軽装甲車隊小隊長だった畝本正巳氏によれば、翌日の入城式に備えた『便衣兵の摘出』であったという。
〔検証〕北部掃蕩地区(難民区)担当の歩兵第七連隊は、十六日、難民区に潜入した約七千人の便衣兵(ゲリラ)の徹底的摘発を開始した。速隊命令によると、十五日までに捕えたものは、殆んどが下土官・兵であり、将校は便衣に着替えて外国の建物に隠れており、明十七日の入城式のために安全確保が必要であった。憲兵の協力を求め、一般市民の巻き添えを防止したのである。

 ラーべの日記によると、略奪だけでなく、強姦、連行殺人、暴力が安全区内に及び、極度の恐怖におち入ったと述べているが、日本軍側の目的ぱ「便衣兵の摘出」であった。(真相・南京事件―ラーベの日記を検証してp98)
このあと畝本氏は過酷な掃蕩戦に参加した兵士の日記・私記を引用しているが、その過酷さは目に余る。追って、それらを引用するつもりだ。---ラーベの日記に戻る。
下関へいく道は一面の死体置き場と化し、そこらじゅうに武器の破片が散らばっていた。交通部は中国人の手で焼きはらわれていた。〓(手偏に邑)江門は銃弾で粉々になっている。あたり一帯は文字どおり死屍累々(ししるいるい)だ。日本軍が手を貸さないので、死体はいっこうに片づかない。安全区の管轄下にある紅卍字会(民間の宗教的慈善団体)が手を出すことは禁止されている。

おそらく(その代わりに)、武装解除された中国軍兵士たちが銃殺される前に、その仕事をさせられたのかもしれない。我々外国人はショックで体がこわばってしまう。いたるところで処刑が行われている。一部は軍政部のバラックの外で機関銃で撃ち殺された。
英文では、 "It may be the disarmed Chinese will be forced to do the job before they're killed" 
ドイツ語原文では"die entwaffneten chinesischen Soldaten"(Apeman さん情報)。そして "outside of the barracks"

外交官の気休めのウソ
晩に岡崎勝男総領事が訪ねてきた。彼の話では、銃殺された兵士が少数いたのはたしかだが、残り大部分は揚子江にある島の強制収容所に送られたという。

以前うちの学校で働いていた中国人が撃たれて鼓楼病院に入っていた。強制労働にかり出されたのだ。仕事を終えた旨の証明書をうけとったあと、家に帰る途中、なんの理由もなくいきなり後ろから二発の銃弾を受けたという。かつて彼がドイツ大使館からもらった身分証明書が、血で真っ赤に染まっていま私の目の前にある。
※ "a few soldiers", "the rest"

日本兵という悪霊(evil)を退治する悪魔(devil)
いま、これを書いている間も、日本兵が裏口の扉をこぶしでガンガンたたいている。ボーイが開けないでいると、塀から頭がにゅっとつきでた。小型サーチライトを手に私が出ていくと、サッといなくなる。正面玄関を開けて近づくと、闇にまぎれて路地に消えていった。その側溝にも、この三日というもの、屍がいくつも横たわっているのだ。ぞっとする。

女の人や子どもたちが大ぜい、庭の芝生にうずくまっている。目を大きく見開き、恐怖のあまり口もきけない。そして、互いによりそって体を温めたり、はげましあったりしている。彼らの切なる希望は「外国の悪魔」である私が、日本兵という悪霊を追い出すことである渡辺さんによる訂正訳)。
英文では、"Their one hope is that I, the "foreign devil," will drive these evil spirits away."

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] ヴォートリンの日記12月16日

金陵女子文理学院難民所

一二月一六日 木曜日

 夜、ジョージ・フィッチに、状況はどうだつたか、城内の治安回復はどの程度進捗したかを尋ねると、「きょうは地獄だった。生涯でこの上なく暗澹たる一目だった」との答えが返ってきた。わたしにとってもまったくそのとおりだった。

 昨夜は静かで、外国人男性三人は落ち着いて過ごすことができたが、きょうの日中は平穏どころではなかった。
金陵女子文理学院にたいする査察
 けさ一〇時ごろ、金陵女子文理学院にたいする公式の査察がおこなわれた。徹底した中国兵狩りである。一〇〇人を超える日本兵がキャンパスにやってきて、まず〔一語脱落〕棟から査察を開始した。

 彼らは、すべての部屋を開示するよう要求した。鍵がすぐに間に合わなかったときのことだが、彼らはひどくいらだち、兵士の一人が、力ずくでドアを開けようと斧を手にして待ち構えていた。
焼却するに忍びなかった綿入れ軍服
 徹底した捜索が始まると、気が滅入ってしまった。というのも、二階の地理科準備室に負傷兵用の綿入れ衣類数百着が収納されていることをわたしは知っていたからだ。まだ処分していなかった全国婦人救援会製の衣類である。この冬に、貧しい中国人が暖かな衣類をたまらなく欲しくなることはわかっていたので、焼却するに忍びなかった。
日本兵の好色が危機を救った
 その運命の部屋の西隣りの部屋に兵士を案内したところ、彼らは、それに隣接するドアから中に入ろうとした。しかし、わたしは鍵を持ち合わせていなかった。幸運なことに、屋根裏部屋に兵士たちを案内すると、そこには婦女子二〇〇人ほどがいて、それが兵士たちの気をそらしてくれた。 ( 夜暗くなってから、わたしたちは問題の衣類を地中に隠した。陳さんは、彼が所持していた小銃を池に投げ捨てた。 )
収穫ゼロでは帰れない敗残兵狩り
 日本兵は学院の使用人を二度にわたって掴み、この男たちは兵隊だと言って連行しようとしたが、わたしがそこに居合わせ、「兵隊ではない、苦力です」と言ったことで、彼らは、銃殺ないしは刺殺の運命から免れた。

 日本兵は、避難民のいるすべての建物内を捜索した。根性の卑しい将校が兵士三人を連れてやってきて飲み物を要求したので、程先生の寄宿舎に連れて行った。さいわい、そのときは知らなかったことだが、六人もの兵士がキャンパスで機関銃の訓練をしており、さらに大勢の兵士がキャンパスの外で警備につき、少しでも逃げようとする者がいればいつでも発砲できる態勢をとっていた。
「婦女子しかいない」証明書
 階級がいちばん上の将校が立ち去るさいに、ここには婦女子しかいない旨の証明書を残してくれた。これがその後、小人数でやってくる日本兵たちをキャンパスに入らせないようにするのに役立った。
一からげに縄でつながれて
 正午を少し回ったころ、小人数の一団が校門を通り抜けで診療所へやってきた。わたしがそこに居合わせなかったら、彼らは唐の弟を連れ去ったことだろう。そのあと彼らは通りを先へ進んで行き、洗濯場に押し入ろうとしたが、まさにそのときわたしが追いついた。だれでも日本兵から嫌疑をかけられようものなら、一からげに縄でつながれて彼らのうしろから歩いていく四人の男と同じ運命を強いられたであろう。日本兵は四人を、キャンパスの西にある丘へ連れて行った。そして、そこから銃声が聞こえた。
ありとあらゆる罪業が今日
 おそらく、ありとあらゆる罪業がきょうこの南京でおこなわれたであろう。昨夜、語学学校から少女三〇人が連れ出された。そして、きょうは、昨夜自宅から連れ去られた少女たちの悲痛きわまりない話を何件も聞いた。そのなかの一人はわずか一二歳の少女だった。

 食料、寝具、それに金銭も奪われた。李さんは五五ドルを奪われた。城内の家はことごとく一度や二度ならず押し入られ、金品を奪われているのではないかと思う。

 今夜トラックが一台通過した。それには八人ないし一〇人の少女が乗っていて、通過するさい彼女たちは「助けて」「助けて」と叫んでいた。

 丘や街路からときどき銃声が聞こえてくると、だれかの− おそらくは兵士でない人の− 悲しい運命を思わずにはいられない。

 日本兵の一隊をキャンパスの外につれ出すよう、校内のどこかから呼び出しがかかったとき以外は、わたしは警備係として一日の大部分を正門の前に腰をおろして過ごしている。
我が家が占拠されたのか?
 夜、南山公寓の使用人の沈〔音訳〕師伝がやってきて、公寓内の電燈が全部点いていることを知らせてくれた。兵士たちにわが家が占拠されたと思い、気が滅入ってしまった。二人で行ってみると、サ ールとリッグズ氏が前の晩に電燈を消し忘れていたことが判明した。

 理科棟の管理人の姜〔音訳〕師伝の息子がけさ連行された。貌はまだ戻ってこない。何かをしてやりたいのだが、どんなことをしたらよいのかわからない。というのも、城内の秩序が回復していないので、キャンパスを離れるわけにいかないからだ。
壊れてしまった惨めな貝殻
 ジョン・ラーベ氏は、自分としては電気・水道・電話の復旧を手伝うことができるが、城内に秩序が回復されるまでは静観するつもりだ、と日本軍の司令官に伝えた。今夜の南京は、壊れてしまった惨めな貝殻にほかならない。通りに人影はなく、どの家も暗闇と恐怖に包まれている。

 きょうは無辜の勤勉な農民や苦力がいったい何人銃殺されたことだろう。わたしたちは四〇歳以上の女性すべてに、娘や嫁だけをここに残し、帰宅して夫や息子といっしょにいるようしきりに促した。

 今夜はわたしたちには、約四〇〇〇人の婦女子にたいする責任がある。こうした緊張にあとどのくらい耐えることができるのだろうか。それは、ことばでは言いあらわしがたい恐怖だ。
日本軍にとってこれは勝利か?
 軍事的観点からすれば、南京攻略は日本軍にとっては勝利とみなせるかもしれないが、道徳律に照らして評価すれば、それは日本の敗北であり、国家の不名誉である。このことは、将来中国との協力および友好関係を長く阻害するだけでなく、現在南京に住んでいる人びとの尊敬を永久に失うことになるであろう。 いま南京で起こっていることを、日本の良識ある人びとに知ってもらえさえしたらよいのだが。

 神さま、今夜は南京での日本兵による野獣のような残忍行為を制止してくださいますよう。きょう、何の罪もない息子を銃殺されて悲しみにうちひしがれている母親や父親の心を癒してくださいますよう。そして、苦しい長い一夜が明けるまで年若い女性たちを守護してくださいますよう。もはや戦争のない日の到来を早めてくださいますよう。あなたの御国が来ますように、地上に御国がなりますように。
明日の威風堂々の代償として今日の悲惨があった。

[程瑞芳日記][所行無情][戦況と民衆] 程瑞芳日記12月16日

熊猫さんの試訳
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=283587143&owner_id=6258915
ヴォートリンの日記にもあった、敗残兵狩り
 今朝の8時半に大勢の日本兵が調査にやって来たので、ヴォートリンさんの側で私も彼らを接待した、彼らが何の調査するか分からなかった。彼らは最初に中国兵を探すのだと話を始めた、兵隊がいないことを知っているので、私達は彼らが兵を探すことを恐れてはいない。しかし兵隊のみならず、もし兵隊の服と見えたならば、彼は直ぐにお前は兵とみなすと言った。

 彼らは皆300号棟にいて、自分が外から取り寄せた多くの麻袋に、多くの負傷兵の服とベストが全て300号棟の上の階の地理学系の部屋の中にあるため、私とヴォートリンさんは少し心配になった。私はその扉に立ち止まり、ヴォートリンは先に彼らを連れて別の部屋に行った。その時の難民はとても多く、それから彼らを連れて3階へ行き、あの部屋を歩かずに、彼らを連れて降りて行った、その時に私の心はやっと静まった。

 彼らはとても凶悪で、およそ灰色の服は全て兵隊が着たので、あの時の人は灰色の服を全て池の中に投げ捨てた、まったく鬼が現れたようだ。

 ヴォートリンは彼らを400号棟に連れて行きお茶を飲み、1人は私といっしょに100号棟を見て、私には方法がないので、彼といっしょに入って行った。本来なら私は彼らに会わないのだが、人が多いためヴォートリン一人では面倒見切れないからだ。

 彼らは文字を書いて、ここに兵隊はいないのかと私に聞き、私がいないと答え、ヴォートリンもいないと言った。
飢えた兵隊
 ヴォートリンはお茶だけではなく、さらに彼らが食べるお菓子を出した。私は本当にヴォートリンを恨んだ、彼らを少し接待すると、大勢の兵が寄って来る。

 彼らはまた文字を書き私達に承諾をもとめた、我兵がここに来ることを許可しない誓いを立てることを、ヴォートリンは彼らに承諾した。

 特に言葉が分かるかを、更に文字を書いて私に聞いた。彼らは表門を出て行きヴォートリンに、日本兵が来たら彼らに見せれば、日本兵は入ってこない1枚の紙を渡した、実は役に立たない。

 午後また来た兵が童ちゃんの兄弟が兵隊だと言って連れて行く、彼は少し雰囲気があるので、2度ともヴォートリンが守りに来た。

 彼ら労働者の噂によれば、長髪は日本兵が捕えていく。一部の労働者は髪を全部剃った、知らずに日本兵と会ったこのような人は更に耐え難い、彼らは髪を剃ったら敗残兵と思い込んでいる、これらの労働者は後悔しても遅い。

 この兵が行けば、またあの兵が来るので、ヴォートリンは死ぬほど忙しかった。
現金とニワトリ
 今度の兵は李さんに出会うと、彼の体を調べ彼の50元を取り上げて行き、更に彼にビンタを1発打った。彼は多くのお金を身に持つべきではなく、昼食の頃に彼にお金には注意するように言った。朝、700号棟の李師傅からも10元を取り上げ、まだ少し良心がある日本兵は1元を返して、彼は1元の残りを使う。

 また兵隊がニワトリを求めて来たので、ヴォートリンはまた駆けつけて彼と協議する。ヴォートリンは怒りを抑えられず、これらの鶏・アヒルを全部殺し、彼らが持ち帰って食べれないようにすると言った。今日一日何度も兵隊が来た、また兵は南山へ物を奪い取りに行くので、ヴォートリンは本当に死ぬほど走り回った。

 私はまた日本兵が彼女に害を及ぼすことを心配して、労働者と彼女をいっしょに行かせ、たとえ何をすることも出来なくても、人は彼らの挙動を知っていて、また私は走れないので、本当に焦る。今、難民は7,8千である。

※50元盗られた李さんと10元盗られた李師傅は別人。

【ベスト】ヴォートリンの日記では「綿入れ」と訳されています。原文は「背心(bei4xin1)」でランニングシャツのような袖の無い服を意味する言葉。中国の「ちゃんちゃんこ」か?
『掃討戦』『便衣兵狩り』の実態である。ヴォートリンさんというDevilが居なかったら、難民達はどうなっていたのだろうか? 「保護すべし」と厳重注意が行なわれた安全区ですらこのありさまである。安全区の外で家に隠れていて見つかった女たち、男たちがどうなったかは想像がつく。
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