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1937年
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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-12

[名簿][warなひと人][戦況と民衆] 南京に残っていた外国人

この日、南京に残っていた外国人は、次の3つに分けられる
  1. 首都陥落を見届けようと南京に残っていた新聞記者5名
  2. 安全区や赤十字の仕事の為に残っていた22名
  3. 下関沖で停泊中の米砲艦パナイ号を避難宿舎としていた、米大使館関係者と各国報道カメラマン17名(その他将校乗務員59名)
パナイ号(拡大)
これらを次の書で確認してみる。
十二月六日から、米大使館員と新聞記者たちは、貴重な所持品をトランクに詰めてパナイ号に運び込み、夜はパナイ号に泊まり、昼は南京に上陸して仕事をするという生活になった。

 これ以上南京に停泊することが危険になったパナイ号は、十二月十一日夕方、下関港付近を離れ、長江上流へ移動を開始した。

 米大使館二等書記官アチソン(GeorgeAtchesonJr.)の懸命な説得にもかかわらず、パナイ号への避難を断って南京にとどまった外国人は二七名で、つぎのようなふたつのグループに分けられる。一つは、新聞記者.カメラマンのグループ五名である。かれらは首都陥落の歴史的瞬間を取材しようと、日本軍の爆弾と砲弾にさらされるのを覚悟して踏みとどまったのである。あと一つのグループは、南京安全区国際委員会や戦傷者救済委員会の二二名。かれらは、自己の生命が脅かされるのも顧みず、多数の難民を救済・保護するために残った人たちである。
(『アジアの中の日本軍』 「南京大虐殺の全貌はなぜ報道されなかったか」笠原十九司 p45)
新聞記者.カメラマンのグループ5名
氏名 所属団体 備 考
ダーディン F. Tillman Durdin ニューヨーク・タイムズ   
スティール Archiba1d T. Stee1e シカゴ・デイリー・ニューズ   
スミス L,C. Smith ロイター通信社   
<マクダニエル C. Yabe McDanie1 AP(共同通信社)   
メンケン Arthur Menken パラマウント映画ニュース   
南京安全区国際委員会や戦傷者救済委員会の22名
氏名 委員 国籍 所属
1.ジョン・H・D・ラーべ
  John H. D. Rabe
安全区
赤十字
ドイツ ジーメンス洋行
2.エドワルト・スペルリング
  Eduard Sperling
安金区 ドイツ 上海保険公司
3.クリスチャン・クレーガー
  Christian Kroeger
赤十字 ドイツ 礼和洋行
4.R・ヘンペル
  R.Hempel
  ドイツ 北ホテル
5.A・ツァウティヒ
  A. Zautig
  ドイツ キースリング洋行
6.R・R・ハッツ
  R. R. Hatz
  オーストリア 安全区機械工
7.コラ・ポドシポロフ
  Cola Podshivoloff
赤十字 ロシア(自系) サンドグレン電気店
8.A・ジアル
  A. Zia1
  ロシア(自系) 安全区機械工
9,C・S・トリマー
  C. S. Trimmer
安全区
赤十字
アメリカ 金陵大学付属鼓楼病院医師
10.ロバート・O・ウィルソン
  Robert O. Wilson
赤十字 アメリカ 金陵大学付属鼓楼病院医師
11.ジェームズ・H・マッカラム
  James H. MaCallum
赤十字 アメリカ 連合キリスト教伝道団
12.グレイス・バウアー
  Grace Bauer
  アメリカ 金陵大学付属鼓楼病院看護婦
13.アイヴァ・ハインズ
  Iva Hynds
  アメリカ 金陵大学付属鼓楼病院看護婦
14.マイナー・S・ベイツ
  Meiner S. Bates
安全区 アメリカ 金陵大学
15.チャールズ・H・リッグズ
  Charles H. Riggs
安全区 アメリカ 金陵大学
16.ルイス・S・C・スマイス
  Lewis S. C. Smythe
安全区
赤十字
アメリカ 金陵大学
17.ミニ・ヴォートリン
  Minnie Vautrin
赤十字 アメリカ 金陵女子文理学院
18.W・P・ミルズ
  W.P.Mi11s
安全区
赤十字
アメリカ 合衆国長老派教会伝道団
19.ヒューバート・L・ソーン
  Hubert L. Sone
  アメリカ 金陵神学院
20.ジョージ・A・フィッチ
  George A. Fitch
  アメリカ YMCA
21.ジョン・G・マギー
  John G. Magee
安全区
赤十字
アメリカ アメリカ聖公会伝道団
22.アーネスト・H・フォスター
  Ernest H. Forster
  アメリカ アメリカ聖公会伝道団
(ポウル・デウィット・トワイネン)
  (Paul Dewitt Twinem)
赤十字 (中国) 金陵女子文理学院
 一九三七年十二月十一日午後五時、南京からの最後の避難者を乗せたパナイ号は、イギリス砲艦「スカラブ」「クリケット」の二隻とともに、三?(サンズイに叉)河付近の停泊地を離れ、上流へ向かった。パナイ号の至近に何発も砲弾が落とされるのを見た艦長は、南京付近の船舶に対して、日本軍が無差別の攻撃を開始したことに気付いた。パナイ号にはスタンダード石油会社の三隻のタンカーが従った。その日は南京の上流一八・ニキロメートル地点に錨を下ろした。

 パナイ号は一九二七年に上海の江南ドックで建造されたアメリカの砲艦(gunboat)で、長江の警備を担当していた。砲艦といっても写真(次頁)に明らかなように、日本の警備艇に類似している。『N・T』37・12・14によれば、パナイ号の乗船者は七六名で、将校・乗組員五九名、駐南京の米大使館員四名、米民間人七名、英ジャーナリスト一名、イタリア人三名、その他二名となっている。民間人のほとんどが、南京を取材していた新聞記者.カメラマンである。かれらはアチソンの説得に応じてパナイ号に難を避けたのであったが、悲劇は逆にかれらを襲ったのである。かれらの名前は表2のとおりである。

 十二月十二日、すなわち日本軍が南京城内を占領する前日、南京の上流約四五キロに停泊していたパナイ号は、日本海軍機に撃沈された。これが日米開戦かと世界を驚かせたパナイ号事件である。
(同上書p50-51)
パナイ号事件・レディバード号事件発生
ノーマン・スーン「パナイ号攻撃を綴る」
THE SINKING OF USS PANAY AND ATTACK ON HMS LADYBIRD AND BEE
パナイ号乗船者(乗務員将兵を除く)17名
氏名 所属 備考
ジョージ・アチソン・ジュニァ
    George Atcheson Jr.
南京アメリカ大使館二等書記官   
ホール・パクストン
   J. Ha11 Paxton
米  南京アメリカ大使館付陸軍武官補佐官   
エミール・ギャッシー
   Emile Gassie
米  南京アメリカ大使館書記官   
フランク・ロバーツ
   Frank N. Roberts
米  南京アメリカ大使館付陸軍武官 陸軍大尉   
ウェルダム・ジェームズ We1dom James 米  UP通信社記者   
ジェームズ・マーシャル
  James Marshan
米  『コリアーズ』誌記者   
ノーマン・アレー
   Norman A1ley
米  ユニバーサル映画ニュース・カメラマン   
ノーマン・スーン
   Norman T. F. Soong
米  ニューヨーク・タイムズ・カメラマン   
エリック・メイエル
  Eric Mayei1
米  フォックス映画ニュース・カメラマン   
ゴルデイー
   D. S. Go1die
米  スタンダード石油会社社員   
ロイ・スクワイヤーズ
   Roy Squires
米  中国木材輸出入会社南京支社支配人   
コーリン・マクドナルド
   Colin M. McDona1d
英  ロンドン・タイムズ記者   
ハーバート・ロス
   Herbert Ros(伊人)
伊  南京イタリア大使館副領事   
ルイジ・バルジー二
   Luigi Barzini(伊人)
伊  『コリア・デラ・セラ』誌記者   
サンドロ・サンドリ(伊人)
   Sandro Sandri
伊  ファシスト党員
『スタンパ』紙記者
腹部に機関銃弾二発受け死亡
パナイ号空爆は、南京を情報の孤島、陸の孤島と化す事に成功した。
 パナイ号が南京駐在の外国人記者の避難所であったことは、すでに述べた。アメリカの警備艇が攻撃されるとは夢想だにしなかったかれらは、重要な所持品を同艦に保管していた。

 ダーディンは、日本軍が南京に来る三力月前から市に滞在し、取材活動を行っていた。かれにとっては命よりもたいせつであったこれら包囲戦の取材ノートや資料・写真等を詰めたトランクが、パナイ号とともに濁水に沈められてしまったのである。そのパナイ号はダーディンがニュースを上海へ送信する基地でもあったのだ。

 ユニバーサル映画のカメラマン、ノーマン・アレーも、命がけで爆撃を撮影していたそのカメラとフィルムを持ち出すのが精一杯で、他の所持晶はすべて失った。スーンやアレーだけでなく他の記者・カメラマンも同様であったのは、スーンの体験記のパナイ号放棄と脱出場面を思い起こせば容易に想像できよう。
(同上書p73)

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 南京防衛軍の崩壊

ラーベの停戦案を無視して3日たち、今頃になって・・・、でも無駄な犠牲を防ぐためには!
十二月十二日
日本軍はすんなり占領したのではないかという私の予想はみごとにはずれた。黄色い腕章をつけた中国人軍隊がまだがんばっている。ライフル銃。ピストル。手榴弾。完全装備だ。警官も、規則を破ってライフル銃をもっている。軍も警察も、もはや唐将軍の命令に従わなくなってしまったらしい。これでは安全区から軍隊を追い出すなど、とうていむりだ。朝の八時に、再び砲撃が始まった。

十一時に唐将軍の代理だといって龍上校と周上校がやってきた。三日間の休戦協定を結びたい、ついてはその最後の試みをしてもらえないかという。

休戦協定の内容は――この三日間で、中国軍は撤退し、日本軍に町を明け渡す。われわれは、まずアメリカ大使あての電報、つぎに調停を依頼する唐将軍の手紙(大使に電報を打つ前に、唐がこれをわれわれに出さなければならない)、最後に軍使に関するとりきめを、まとめあげた。

軍使は、白旗に守られて、前線にいる日本軍の最高司令官にこの手紙を渡さなくてはならない。

シュぺアリングが、軍使をつとめようと申し出た。龍と周が唐将軍の手紙をもって戻ってくるのを、昼の間じゅういまかいまかと待っていた。夕方六時近くになってようやく龍(※1)が姿を見せた。龍は言った「残念ながら、せっかくの努力が水の泡でした。すでに日本軍は城門の前まで攻めてきているため、時すでに遅し、とのことです」

だが私はショックを受けなかった。こうなったのを悲しいという気持ちさえわかない。はじめから気にくわなかったからだ。唐の魂胆はわかつている。蒋介石の許可を得ずに休戦協定を結ぼうというのだ。だから、日本軍あての公式書状で、「降伏」という言葉を使われては具合が悪いのだろう。なにがなんでも、休戦願いはわれわれ国際委員会の一存だと見せかけなければならないというわけだ。要するに、われわれの陰に隠れたかったんだ。蒋介石や外交部がこわいからな。だから国際委員会、ないしはその代表であるこの私、ラーベに全責任をおしつけようとしたんだ。汚いぞ! 
最終戦は近い!
  十八時半
紫金山の大砲はひっきりなしに轟いている。あたりいちめん、閃光と轟音。突然、山がすっぽり炎につつまれた。どこだかわからないが、家や火薬庫が火事になったのだ。紫金山の燃える日、それは南京最後の日。昔からそういうではないか。南から安全区の通りに逃げてきた中国人市民が寝場所を求めて急いでいるのが見える。(※2)。その後から中国軍部隊がぞろぞろつづいている。日本軍に追われているといっているが、そんなはずはない。いちばんうしろの連中がぶらぶらのんびり歩いているのをみればわかる。

この部隊は中華門、あるいは光華門で手ひどくやられ、パニック状態で逃げてきたことがわかった。しだいに落ち着き、最初は気が狂ったように逃げていたのが、いつしかのんびりとした行進にかわっていた。それはともかくとして、日本軍がもう城門の前まで攻めてきていること、したがって最終戦が目前に迫っていることは、もはや疑いようがない。

韓といっしょに家に帰った。砲撃や爆撃に備えた緊急対処整える。必需品の洗面用具が入った小型かばんと、インシュリンや包帯セットなどをつめた大事な薬箱を新しいほうの防空壕に運ばせよう。古いのよりはいくぶん安全だろう。家屋敷を見捨てざるをえない場合に備え、毛皮のコートの中にも非常用の薬と注射器を詰めこむ。

ちょっとの間、私はしみじみした気持ちになった。なにかほかにまだ持っていけるものは? もう一度、部屋の中を歩き回って、見慣れた品々を見つめた。まるでこのがらくたにもきちんと別れを告げなければならない、とでもいうように。幼い孫の写真が数枚あった。これも持っていこう! さあ、これで準備は終わった。こんなときに笑うなどどうかと思うが、つい笑ってしまう。ハハ、やけくそだ!

夜の八時少し前、龍と周がやってきた(林はすでに逃げてしまった)。ここに避難させてもらえないかといってきたので、私は承知した。韓と一緒に本部から家に帰るまえに、この二人は、本部の金庫に三万ドル預けていた。
撤退命令が出ていたというが・・・
  二十時
南の空が真っ赤だ。庭の防空壕は、避難してきた人たちでふたつともあふれそうになつている。ふたつある門の両方でノツクの音がする。なかにいれてもらおうと、女の人や子どもたちがひしめいている。ドイツ人学校の裏の塀を乗り越えてがむしゃらに逃げこんできた男たちもいる。

これ以上聞いていられなくなって、私は門をふたつとも開けた。防空壕はすでにいつぱいなので、建物の間や家の陰に分散させた。ほとんどの人はふとんを持つてきている。庭に広げてある大きなドイツ国旗の下で寝ようというちゃっかりした連中もいる。ここが、一番安全だと思っているのだ。

榴弾がうなる。爆弾はますます密に間近に降つてくる。南の方角は一面は火の海だ。轟音がやまない。私は鉄のへルメツトをかぶった。忠実な韓のちぢれ毛の頭にものせてやつた。二人とも防空壕に入らないからだ。入ろうとしてもどっちみち場所はないが。番犬のように庭を見回り、こちらで叱りつけ、あちらでなだめる。しまいにはみな言うことをきくようになった。

十二時ちょっとまえ、門のところでドシンというすごい音がした。行ってみると友人のクリスティアン・クレーガーだった。
「なんだ、クリシャンじゃないか!いったいどうしたんだ」
「いや、ちょっと様子を見にきただけですよ」

クリスティアンの話だと、メインストリートには、軍服や手榴弾、そのほかありとあらゆる兵隊の持ち物がばらまかれているという。中国軍が逃走中に投げ捨てたものだ。

「中で、まだ十分使えるバスを二十メキシコドルで買わないかと言ってきた男がいたんですよ。どうしよう、買いますかね?」
「うーん。どうかなあ」
「ま、とにかくその男に、明日また本部にくるように言っておきましたよ」

※中国には銀貨があった。もともと両(テール)だったが、のちにメキシコで鋳造された。それがこのメキシコドル。

真夜中になってようやくいくらか静かになった。私はベッドに横たわった。北部では、交通部のりっぱな建物が燃えている。

ふしぶしが痛い。四十八時問というもの、寝る間もなかったのだ。うちの難民たちも床につく。事務所には三十人、石炭庫に三人、使用人用の便所に女の人と子どもが八人、残りの百人以上が防空壕か外、つまり庭や敷石の上や中庭で寝ている!

夜の九時に龍が内密で教えてくれたところによると、唐将軍の命により、中国軍は今夜九時から十時の間に撤退することになっているという。後から聞いたのだが、唐将軍は八時には自分の部隊を置いて船で浦口に逃げたという。

それから、龍はいった。「私と周の二人が負傷者の面倒をみるために残されました。ぜひ力を貸していただきたいんです」本部の金庫に預けた三万ドルは、このための資金だという。私はこれをありがたく受け取り、協力を約束した。
いまだに何の手当ても受けていない人たちの悲惨な状態といったら、とうてい言葉でいいあらわせるものではない。
中国側防衛軍の撤退作戦は、土壇場の停戦工作を含めて、あまりにも戦況を見失った泥縄であった。軍民の被害を大きくした原因であることは否定できない。

(※1)「羅」となっているが誤植であろう。英文では、"Finally, at around 6 o'clock, Lung appears and declares that unfortunately our efforts have been in vain."
(※2)訳本では「南部から逃げてくる人たちが、安全区を通って家へ急ぐのが見える」
だが、英文では、 "To the south, you can see Chinese civilians fleering through the street of our Zone, trying to reach their lodgings."
ドイツ語原文は "Man sieht, von Süden kommend, chinesiche Zivilisten auf der Flucht durch die Straßen unserer Zone ihren Behausungen zueilen."(Apemanさん御教授)
「南から安全区の通りに逃げてきた中国市民が寝場所を求めて急ぐのがみえる。」 
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