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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-05

[ラーベの日記][空襲][国際委員会][戦況と民衆] 十二月五日

・ラーベおいちゃん恒例の瞬間湯沸し器
十二月五日

よく晴れた日曜日だというのに朝っぱらから腹が立ってしかたない。運転手が迎えにこなかったのだ。呼びにやる。雷を落とす。悪態をつく。詫びを入れる。もう一度雇う。思えば、これで二十五回目だ!
思えば、十月二十八日に解雇を告げた コックの曹保林も同じようなことだったのかもしれない(名前も蔡ではなく)。ラーベが使用人に「おまえなんかクビだ!」というのは日常茶飯事。それを使用人が黙って聞き流すのも日常茶飯事。こうして「クビ」を宣告されれもラーベの元から離れない。そして、病気になったコックの曹に対するラーベの気遣いはそりゃあ並大抵のものじゃあない。
というわけでやっとのことで車に乗りこんだとたん、今度は空襲警報だ。爆弾が落ちた。だが今は許可証を持っているので、二度目のサイレンの後なら外に出られる。それにあまりにやることが多くて、爆弾などかまってられない。こういうとひどく勇ましく聞こえるが、さいわい爆弾はいつもどこかよそに落ちている。

・東京からの公式回答が来た。
アメリカ大使館の仲介で、ついに、安全区についての東京からの公式回答を受け取った。やや詳しかっただけで、ジャキノ神父によって先日電報で送られてきたものと大筋は変わらない。つまり、日本政府はまた拒否はしてはきたものの、できるだけ配慮しようと約束してくれたのだ。
(追記)これを受けて国際委員会はプレスリリースを配布した。英語版には巻末資料としてあるが、日本語版では省略されてしまった。そこで下記に新たなエントリーとします。
・安全区の非武装化問題
ベイツ、シュペアリングといっしょに、唐司令官を訪ねた。なんとしても、軍人と軍の施設をすぐに安全区から残らず引き揚げる約束をとりつけねばならない。それにしてもやつの返事を聞いたときわれわれの驚きをいったいどう言えばいいのだろう!

「とうてい無理だ。どんなに早くても二週間後になる」だと? そんなばかなことがあるか! それでは、中国人兵士を入れないという条件が満たせないではないか。そうなったら当面、「安全区」の名をつけることなど考えられない。せいぜい「難民区」だ。委員会のメンバーでとことん話し合った結果、新聞にのせる文句を決めた。なにもかも水の泡にならないようにするためには、本当のことを知らせるわけにはいかない・・・・。
・空襲
その間にも爆弾はひっきりなしに落ちてくる。音があまりに大きい時は、椅子を少し窓から遠ざける。あらゆる防空壕のなかでいちばんりっぱなやつが庭にあるのに。ただそれを使う時間がないのだ。
・米と小麦粉の搬入問題
城門は壁土で塗りこめられる。三つの門のうち、開いているのはひとつだけだ。といっても扉の半分だけだが。

われわれは必死で米や小麦粉を運びこんだ。安全区を示す旗や、外にいる人たちに安全区のことを知らせる張り紙もできている。だが、肝心の安全性については最低の保証すら与えられていないのだ!
・安全区の非武装化問題
ローゼンはかんかんになっている。中国軍が安全区のなかに隠れているというのだ。ドイツの旗がある空き家がたくさんあり、その近くにいるほうがずっと安全だと思っているからだという。そのとおりだと言い切る自信はない。しかし、今日、唐司令官と会った家も安全区のなかだったというのはたしかである。

[ラーベの日記][国際委員会] 日本側の回答を受けて

安全区国際委員会のプレスリリース(編者による巻末資料:英語版 OCUMENT 9 )

Press Release, 5 December 1937

  1. This morning the Committee received a direct reply from the Japanese authorities in Shanghai through the courtesy of the American Naval Radio.
  2. This morning at 11:00 the Chairman of the Committee, Mr. John H. D. Rabe, the Inspector-General, Mr. Eduard Sperling and Dr. M. S. Bates called upon General Tang Sheng-chih concerning the question of moving military establishments out of the area proposed for the Safety Zone. In reply General Tang made the following three comments as explanatory of the letter he sent to the Committee on December 3rd.
    • (1) If the proposed Safety Zone is clearly marked, the military will see to it that no new military establishments come in.
    • (2) Furthermore, no military works including anti-aircraft guns will be continued in the area and all guns and armed men will be excluded.
    • (3) Supplementary and service establishments, which comprise neither armed men nor active military units, will, of course, move out when it becomes necessary.

At a meeting this afternoon, the Committee decided to go ahead on the basis of these comments. The Zone will be marked with flags at a time to be agreed upon with General Tang in order to familiarize the people and military men with the boundaries of Zone. But the Committee will not declare the Zone in final effect until formal notification has been given by the Committee to both sides. That notiflcation will not be given until all the conditions agreed upon have been fulfilled.

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