八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-04

[warなひと人][戦況と民衆] 南京の外では?

日本軍による南京包囲作戦が進行している中で、ラーベに伝わる南京の外のニュースはか細くなってきました。

皆さんは日中戦争スタディーズの情報で補ってください。そのエントリーから

・11月20日:大本営設置

・11月22日:中支那方面軍司令官松井石根、南京攻略を意見具申

・11月24日:第一回大本営御前会議

・11月28日: 参謀本部、南京攻撃を決定

・11月29日:第十軍法務部長、嘉興から湖州移動中に二百以上の死体をみる

・12月1日:中支那方面軍の戦闘序列発令/南京攻略の大命

・12月2日:朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍の司令官に

・12月2日:蒋介石、独大使トラウトマンと会談

・12月3日:第101師団、上海共同租界内を示威行軍

・12月3日:第16師団による丹陽城内掃蕩

・12月4日:日本、国際安全区に関して正式回答

その他背景史料豊富です。

[warなひと人][戦況と民衆] 無錫から丹陽へ

16師団の疾風怒濤の進軍ぶりは、東京日々新聞の「百人斬り競争報道」を読めば分かります。(あわせて作戦要図も参照のこと)。それによれば、
無錫:11月27日〜約40キロ〜
常州:11月29日〜約40キロ〜
丹陽:12月2日午後六時丹陽入城
80キロを徒歩で5日間で進撃です。

問題は、こうした快進撃のときから「南京アトロシティーズ(大残虐)」が始っていたことです。後続部隊兵士の手記です。
(第11師団山砲連隊上等兵玉井清美著『侵略の告発』では、)
中年の女性が泥田の中にころがり、下着がむかれ、陰部を泥靴で踏みっけた跡が残つている。この女もつい三・四時間前まで、生きていたのではと思われる。
と書いている。
むろん、これらの女性たちが強姦されたあげくに殺害されたという確証はなく、著者もそうは断定していないが、状況から判断すれぼ、強姦行為がなかったとは考えられないだろう。たとえぼ、次のような記述はどうだろうか。
本部移動の途中、放火狂のいたずらで、かなた、こなたの部落から火の手があがり、その焼跡には、不思議に母親が焼死し、その傍らには、必らずという程に、二-四歳児が泣きわめく。(同上)
著者はこれも強姦されたとは記してない。強姦を目撃したわけでも聞いたわけでもないからだ。だが「不思議に」と書いたあたり、著者の兵士としての勘が働いていることは確かである。著者でなくても、何件もの火災現場で「必らずという程」女性が焼死し、幼児は家の外で「泣きわめ」いていれば、ただの焼死でないことぐらいはだれの目にも推測がつげられる。
(中略)
強姦現場の目撃なら、場所は違うが著者の玉井氏は巡察将校に従って行動したときにそれを見ている。そのとき、著者は伍長に任官していたので週番下士官として随行したと推定されるが、場所は無錫の市内である。
下少尉に随行し市中の巡察に出た。街には、大勢の兵達が右往左往し相当荒らしている様子が察せられた。少尉は、時々民家へ踏込んで、今日の巡察の目的は、兵が女にいたずらをしていないかを取締るのが目的であると言う。と、ある民家の入口で何気なく立っている兵が、少尉に敬礼し乍ら、何か落着かざる様子が察せられた。少尉は、二・三米やり過し、玉井あいつ一寸、おかしくないかと言う。ハイ、一寸怪しい気がしますと言うと、少尉は急に立ち帰り、つかつかと、兵が立つ民家に入った。其処には、私達の予想通り、藁の上で、一組の男女がもつれ合い抜き差しならぬ行為が展開されていた。“コラッ何をしとるか”の少尉の大喝に、女の上に腹這っていた兵は、驚いて跳起き、奇妙な格好の不動の姿勢でピリピリ震え、少尉のピンタが、3つ4つとんだ。(同上)
(中略)
この書に収録されている著者(玉井氏)宛の手紙の一部分を参考資料として転記しておくことにする。手紙の差出人は、著者が匿名にしているのだが、著者と同じ師団に所属する歩兵第四三連隊(浅間部隊)に配属された元衛生兵である。
無錫では、橋の金属製の手すりに、中国人女性を全裸の上、両手両足をしぼりつけ、広げた陰部に敵の使用済みでない新らしい手榴弾を押入した死体が六・七体あった。
(「日本軍は強姦集団であった」高崎隆治,『南京大虐殺の研究』p206-209より)

手記から日付が転載されていないのが、史料としては残念です。しかし充分なリアリティーを感じます。この文献に対する批判文をご存知でしたら教えてください!

[ラーベの日記][国際委員会][空襲] 十二月四日

・今日もまた、安全区の非武装化問題で苦労する。

さすがの日記魔ラーベも、今夜は疲労困憊か。短い日記。と思ったが、短いのは編者ヴィッケルトによるもの。中文には、国際委員会での討論内容と、記者会見での国際委員会発表の要旨が載っている。⇒ http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/430.html
十二月四日

どうにかして安全区から中国軍を立ち退かせようとするのだが、うまくいかない。唐将軍が約束したにもかかわらず、兵士たちは引き揚げるどころか、新たな塹壕を掘り、軍関係の電話を引いている有様だ。今日、米を運んでくることになっていた八台のトラックのうち、半分しか着かなかった。またまた空襲だ。何時間も続いた。用事で飛行場にいたクレーガーは、あやうく命を落とすところだった。百メートルぐらいしか離れていないところにいくつも爆弾が落ちたのだ。

難民は徐々に安全区に移りはじめた。ある地方紙(※1)は「外国人」による難民区などへいかないようにと、繰り返し書き立てている。この赤新聞(※2)は、「空襲にともなうかもしれない危険に身をさらすことは全中国人民の義務である」などとほざいているのだ。
英文では
・「ある地方紙は」⇒One small newspaper
・「赤新聞」⇒These extortionists

ちなみにGoo辞書
 あかしんぶん 3 【赤新聞】
暴露記事などを主とする低俗な新聞。〔「万朝報(よろずちようほう)」が淡紅色の用紙であったことから、という〕

http://www.ne.jp/asahi/nihongo/okajima/zatu/akasinbn.txtより
赤新聞 故意に他の秘密を訐き、或は無根の事実を捏造して読者の好奇心を煽り又は脅迫して金にせんとする低級悪徳の新聞をいふ。一時此種の新聞は多く赤色紙を用ゐたるより此名ある所以なり。(『現代新語辞典』大正13年 金子専一郎)
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