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1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-02

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 十二月二日

 ようやく日本側からの意思表示が届いた。安全区設立に関してだ。
十二月二日
フランス人神父ジャキノ(※1)を通じ、我々は日本から次のような電報を受け取った。ジャキノは上海に安全区をつくった人だ。

電報 一九三七年十二月一日 南京大使館(南京のアメリカ大使館)より(※2)
十一月三十日の貴殿の電報の件
以下は、南京安全区委員会にあてられたものです。 ジャキノ
日本政府は、安全区設置の申請を受けましたが、遺憾ながら同意できません。中国の軍隊が国民、あるいはさらにその財産に対して過ちを犯そうと、当局としてはいささかの責も負う意思はありません。ただ、軍事上必要な措置に反しないかぎりにおいては、当該地区を尊重するよう、努力する所存です
(※1)Pater Jacquinot
(※2)英文では "Telegram to Ambassy Nanking, 1 Deccember 1937"
つまり、
  日本側(上海)→ジャキノ神父(上海)→アメリカ大使館(南京)→安全区国際委員会ラーベ(南京)→アメリカ大使館(南京)→ジャキノ神父(上海)→日本側(上海)

という交渉仲介ルートだ。ジャキノ神父に近い日本人といえば、上海の安全区設立に協力した同盟通信の松本重治がいる。日本軍総司令官の松井石根も上海にいたのか? 誰が日本側の交渉相手で誰が決定を下したのか? ジャキノの電文にある、"日本政府=Japanese Authorities" とは誰(何)を指すのか? 軍か外務省か?
ラジオによれば、イギリスはこれをはっきりとした拒絶とみなしている。だが我々の意見は違う。これは非常に微妙な言い方をしており、言質を取られないよう用心してはいるが、基本的には好意的だ。そもそもこちらは、日本に「中国軍の過ち」の責任をとってもらおうなどとは考えてはいない。結びの一文「当該地区を尊重するよう、努力する所存・・・云々」は、ひじょうに満足のいくものだ。


アメリカ大使館を介して、我々はつぎのような返信を打った。

南京の安全区国際委員会の報告をジャキノ神父に転送してくださるようお願いします。
ご尽力、心より感謝いたします。軍事上必要な措置に反しないかぎり安全区を尊重する旨日本政府が確約してくれたとのこと、一同感謝をもってうけとめております。中国からは全面的に承認され、当初の要求は受け入れられております。我々は安全区を組織的に管理しており、すでに難民の流入が始まったことをご報告いたします。しかるべき折、相応の調査をおえた暁には、安全区の設置を中国と日本の両国に公式に通知いたします。

日本当局と、再三友好的に連絡をとってくださるようお願い申し上げます。また、当局が安全を保証する旨を直接当委員会に通知してくだされば、難民の不安を和らげるであろうこと、さらにまた速やかにその件について公示していただけるよう心から願っていることも、日本側にお知らせいただくようお願いいたします。
ジョン・ラーべ 代表


トラウトマン大使とラウテンシュラーガー書記官が漢口から戻ってきたのは、ちょっとしたセンセーシヨンだった。ローゼンに事情を聞くと、これは委員会とは無関係だとのこと。こっそり教えてくれたのだが、大使は私が総統とクリーベルに電報を打ったことにかならずしも賛成ではないらしい。あれは必要なかったと考えているのだ! 今日は時間がないので、あした大使を訪ねよう。思うに、彼が戻ってきたのはドイツによる和平工作の件だろう。
軍事・外交に関心のある人には必須のいわゆる『トラウトマン工作』である。
我々は、米と小麦粉が自由に処分できるのに、運ぶための車輌をみつけるのに大変苦労している。中には見張りがいないままに安全区の外に置かれたままのものもある。既にそうとうな量が軍当局によって持ち運び去られていると聞かされた。噂では、我々に与えられた三万袋のうち、わずか一万五千袋しか残されていないという。
ゆうさんの検討による。
(日本語版)「米と小麦粉を運ぼうにも車が手にはいらない。せっかくもらったのに、一部、安全区からうんと離れたところで野ざらしになっている。どうやら軍部にかなり米をもって行かれたらしい。三万袋のうち、わずかその半分しか残っていないという」
だが、disposalに対応する独単語をdistanceと読んだのか?
(英語版)"We're having great difficulty finding vehicles to transport the rice and flour placed at our disposal, some of which is stored outside the Safety Zone without anyone guarding it. We're told that large quantities have already been removed by military authorities. Allegedly only 15,000 sacks of rice are still left of the 30,000 given us."
口ーゼンが大使館の警察官から聞いて教えてくれたとおりだ。馬市長は警察が軍隊とともに町を去るよう命令が出たことに反対している。

午後八時に杭立武さんのお別れ晩餐会。今夜、故宮宝物を一万四千箱も漢口まで運ぶのだ。船に積みきれなかったので、千箱残さなければならなくなった。杭立武さんがいなくなるのはとても残念だ。ひじょうに有能な人で、大いに力になってくれた。
ラーベは、周囲の混乱状況に顔をしかめてはいるものの、日記では冷静な文章を書き連ねている。こんな人が、ちぐはぐな感情的行動を起こすはずはない。寺内貫太郎とは違う。
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