


11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
11月27日-30日 常州附近の戦斗
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 線路沿いに人力搬送で急進する。
十一月二十九日
シュペアリングから電話。王固盤が辞任し、後任が指名されたとのこと。
スマイスは、「こんどの警察庁長は、警察といっしょに逃げ出すようなことはないだろう」と言っている。もしそうだとしたらこれは初めてのいいニュースになるだろう。十六時に会議。たとえ日本が承認しなくても、なんらかの手を打たなければ。
ローゼンから電話。日本人(※)は安全区に関する提案に応ずるかどうかまだ検討中だといってきたという。もしかしたら祖国ドイツからなにか働きかけがあったのではないどろうか。それにしても唐生智がしたような発言(「南京を死守する」云々)は、迷惑千万だ。司令官というものはそういうものかもしれないが、やつはとかく大見得を切りたがる。まともに防衛できもしないくせに、よくもそんな口がきけたもんだ。われわれはこの揚子江のデルタ地帯で文字通りの袋の鼠だというのに。
持ち物を整理していたらたまたま総統の写真が出てきた。ヒトラーユーゲントのリーダー、バルドゥア・フォン・シラッハの詩が添えられている。ドイツ人庶民の多くがヒットラーをなぜ信じたのか、理解するヒントの1つになりそうだ。
総統のかくも偉大なるところ、それは、
われらが総統にして
あまたの民の英雄たること。
また、彼その人。
素直にして堅固、かつ素朴、
彼のなかにわれらが世界の源あり。
その魂ははるか天空へと達しながら、
なお人としてとどまられた。
君やわれとひとしき人として。
これを読んでふたたび勇気がでた。ヒトラー総統はきっと力になってくださる。私はあきらめない。「君やわれとひとしき素朴で飾らない人」であるあの方は、自国民だけでなく、中国の民の苦しみにも深く心を痛めてくださるにちがいない。ヒトラーの一言が、彼の言葉だけが、日本政府のこの上ない大きな影響力をもつこと、安全区の設置に有利になることを疑う者は、我々ドイツ人はもとより、ほかの外国人のなかにもいない。総統は必ずやそのお言葉を発してくださるだろう!
十八時。イギリス文化会館で定例会。そのとき、市長が国際委員会の発足を正式に発表した。私はいった。我々はすべての大使館から道義的な理由によって支持されており、アメリカ大使館を通じて上海の日本大使にすでに電報を二本打った。そして個人的にヒトラー総統およびクリーベル総領事にも打電した、と。「ただ、総統からの回答は期待できないと思います。この種のきわめて微妙な外交問題は、おそらく他の方法で処理されると思われるからです。ですが、その一方で、私には総統が援助を拒否されるはずはないという確信があります。あともう二、三日待っていただきたい。なぜなら、日本が承諾を得ることについて、まだ諦めたわけではないからです」
蒋介石は委員会に十万ドルの寄付を申し出た。私はカルロヴィッツ社のクレーガーを財務委員として推薦した。これは承認され、クレーガーは快く引き受けてくれた。また、例の家(寧海路五号)に住んでもらえないかと頼んだところ、これも承知してくれた。
ドイツ国旗を掲げているのに、内政部を警備している兵士にトラックが没収されてしまった。唐の代理である龍上校(大佐)に電話して返してもらったときには、夜の十一時になっていた。
| 前 | 2008年 11月 |
次 | ||||
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | ||||||