

一月五日韓:韓湘林
わがジーメンス・キャンプはほかの収容所からあまり芳しくない評判をとっている。韓がちょっぴりよけいに米を配るからだ。なにしろ韓は気がいいから! いくらなんでも五百平方メートルの庭に六百二人は狭すぎるので、難民を一部、他の収容所に移そうとしたがうまくいかなかった。ここだけが安全だと思っているので、だれも出たがらない。まあ、しかたないだろう!
衛生状態が気になる。これについては私もどうしていいのかわからない。伝染病がひろがらないといいが。今日の午前までは水が出たのだが、午後になってとまってしまった。電気はまだつかない。それなのに、近所ではいまだに家が燃えている。水、電気、そして火災。さらに、城内には無数の死体が放置されている。都市の危機がつづいている。
登録はまだ終わっていない。何万人もの女の人が乳のみ児をかかえて五列に並んだまま、もう六時間も外で待たされている。果てしなく長い行列だ。このきびしい寒さのなか、いったいどうやって耐えているのかと思う。これも「暴支膺懲」、中国人を懲らしめようとする目論見の1つなのか?
長時間の行列が強いられるのは、女子文理学院でも同じようだ。
一月五日 水曜日高齢者、病弱の女性も
登録業務のため、けさは七時三〇分(通常は八時) に朝食をとった。
中国人警官と立ち話をしていると、八時三〇分までに五〇〇〇人ないし一万人の女性がわたしの前をひっきりなしに通り過ぎて行った。何と哀れな光景だったことか。女性たちは、たいてい四人一組でやってきた。というのも、後のち、その隊形で行進させられるからだ。
通達では、三〇歳までの女性だけ、となっていたにもかかわらず、高齢者が大勢いた。四人のなかには、きまって他の三人よりも元気な人がいて、まるで生死にかかわる問題であるかのようにその三人をせきたてていた。ところが、せっかく長時間並んだのに・・・
病弱そうな女性が夫に運ばれていた。息子に抱えられた初老の女性もいた。また、どうやら心臓を患っているらしい女性が、力尽きてわたしの近くで倒れ、登録しようと試みたのはこれで六度目になる、と言った。
九時には役人の車が到着したものの、驚いたことに、女性たちは、登録を受け付けてもらうどころか、だれも登録するには及ばないと言われ、重い足取りで家路についた。朝四時から並んで待っていた者もいる、と門衛から聞かされた。登録所の警備兵にひきつづき焚き火を提供しているが、あと少しで薪が底をつくところだ。むなしいが、反抗することはできない。
しかし、安全区の状況は依然としてあまりよくない。午後、P・ミルズが、昨夜強姦されたという五六歳の女性を戸部街から連れてきた。【私には娘しか残っていないという男性】
夜、男性がキャンパスに避難している娘に食べ物を差し入れたい、と言ってきた。ここには男性を入れることはできないと言うと、「わたしにはいまは娘しか残っていない。三日前の夜、安全区内で妻が抵抗して大声を出したら、銃剣で胸を突き刺され、そのうえ、幼い子どもは窓から放り出されてしまった」と訴えた。これも午後のことだった。【夫を捜してという2人の新妻】
わたしが執務室にいると、新婚一八日目の若い花嫁が、夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。彼は何の罪もない洋服の仕立屋で、一二月一五日、家から連れ去られたまま戻ってこない、というのだ。さらに別の新婚二カ月の若い花嫁がやってきて、一二月一六日に夫が連れ去られたと話し、わたしに援助を求めた。
いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃殺されたからだ。
前者は一〇人家族を、後者は八人家族を扶養する一家の柱であった。このような悲話がたえず耳に入ってくる。
| 前 | 2008年 1月 |
次 | ||||
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||