
平和が訪れますように
一月一日 土曜日このような悲惨と落胆の日々にあって、「新年おめでとう」ということばほどむなしいものはないのであろう。ヴォートリン女史は本当に自分の心を偽れない人のようだ。 1938年1月元旦のヴォートリンの日記はつづく
元旦! 一九三八年の最初の日だ。「新年おめでとう」ということばは、喉元から出かかっても消えてしまう。「平和が訪れますように」とだけ挨拶する。七時三〇分からのスタッフの礼拝集会には九人が参加した。いまではつとめて毎日、この礼拝集会をおこなうようにしている。いまなお外界から完全に遮断されていて、友人たちがどのような状況にあるのかわからないので、想像をめぐらしながら祈っている。
午後、わたしが交替して執務室に詰めていると、四時までに二つの事件があった。三時ごろ使用人の一人が慌ただしく入ってきて、キャンパスに避難している少女一人を兵士が連れ去ろうとしていることを知らせてくれた。急いで出て行き、図書館のすぐ北の竹林に少女といっしょに兵士がいるところを見つけた。兵士はわたしの声を聞きつけると、慌てて逃げ出した。このあと、ときを同じくしてキャンパスにやってきた兵士二人を追い返した。やはり恐れていた正月となってしまった。正月お屠蘇気分の日本兵がやはりやってきた。安全区にも難民収容所にも近づかない、という日本軍の規範はどこに行ったのだろうか。
今夜は北里門橋の方角で大きな火災が発生している。掠奪が続いているのだ。二、三日前に聖経師資培訓学校内で女性二七人が強姦されたが、それでも、強姦事件は減少してきていると思う。ヴォートリンは、日本軍の規範遵守を諦めてはいないのだが・・・
きょう憲兵−たしかに優秀なようだ−が、重大な不行跡のかどにより一般兵士若干名(七名)を逮捕したそうだ。彼らは銃殺されたと、人びとは憶測している。さあて、日本軍の記録に残っているだろうか?
午後、鼓楼広場で大きな集会があり、そこで市の新しい役人が任命された。わたしたちの地区は、一〇〇〇人の代表を送るよう求められた。五色旗と日本国旗が盛大に並んでいた。細かな事情は聞いていないが、心痛のあまり食事も喉を通らなかった代表を知っている。あなたがたは、この新体制を自発的に、そして熱烈に歓迎している〔かのごとき〕写真をきっと目にすることでしょう。ハイ、そのとおりでしたね。「南京自治委員会の成立を祝福する市民の旗行列」
ラーベの元旦の日記は、
一九三八年一月一日張のかみさんの容態が悪化して
昨日の夜九時半、七人の同志が年始に来た。アメリカ人のフィッチ、スマイス、ウィルソン、ミルズ、ベイツ、マッカラム、リッグズの面々だ。手元に残った最後の赤ワインをあけ、一時間ほどおしやべりした。日頃は意気軒昂のベイツが、疲れはてて眠りこんでしまったので、はやめにお開きになった。(後略)
朝七時ごろ、張がきた。かみさんの容態が悪化したという。私は大急ぎで服を着て、鼓楼病院へ連れて行った。三回目だ。畝本正巳氏は、鼓楼病院へいったのだから、「自治委員会発足祝賀旗行列」を見たはずなのに記載していないとラーベを非難しているが、はたして、朝九時過ぎに旗行列は始まっていたのだろうか?
家に戻ると、盛大な歓迎が待っていた。うちの難民たち「老百姓(ラオバイシン)」(中国語で名もなき民の意)はずらりと両側に並び、私に敬意を表して、日本軍からもらった何千もの爆竹をいっせいに鳴らした。こうして新しい自治政府を祝うのだ。それから六百人全員で私を取り囲み、白い包装紙に朱液で書かれた年賀状を手渡し、いっせいに三度お辞儀をした。ありがとう、とうなずいて私が年賀状を折り畳み、ポケットにつっこむと、まわりから歓声があがった。残念ながら、大きすぎてとてもこの日記帳にはおさめられない。中国人の友人が訳してくれたところによると、着の身着のままで集まった難民達が、最大限の礼をつくして新年の挨拶をラーベに送った。しかし、人間と人間との心の通い、心温まるこの日によりによって、ラーベさん(中略)
どうか良い年でありますよう
一億があなたのそばにいます!
収容所の難民たち
一九三八年
火花の雨のあとは、使用人とジーメンスの従業員が総出で行列をつくり、おごそかに慣例の新年の叩頭の礼をした。
夜の九時に日本兵がトラツクに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている。私は庭の見張りをいっそう厳重にして、不寝番に警笛を持たせた。こうしておけば、いつお越し下さってもすぐに馳せ参じられる。だが、ありがたいことに、今晩は無事に過ぎた。日本人としては情けない、“恥”の掻き初めであった。
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