
一月十一日家宅捜索という圧力。日本語版平野訳では「脱走兵が略奪した古着」とあるが、英訳本では "refugee" だから、脱走兵ではなく難民である。また、"a bundle of old clothes" だから「古着の包み1つ」。
イギリス大使館を訪ね、プリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、アリソン、ヒュルター各氏と会う。イギリス、ドイツ、アメリカの大使館で私の頼みを引き受けてくれた。頼みというのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。こうしてもらえれば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。
今日の昼、日本軍に米の輸送を禁止された。これは我々が自治委員会のために計画したものだ。
午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。 難民の一人が盗んだ古着の包みを探しているという。その包みは、数日前、その難民の手を離れ本部のフィッチの事務所にしまってあった。たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。 警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、はいよ、と包みを渡した。これは、中国人難民の中からの密告か? 1月9日のヴォートリンの日記の「2.中国人内部の問題」参照。
まったく日本の警察のやりかたはわけがわからない。おだやかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。なにも完全包囲することなどないのだ。中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて中国人難民が服を盗まれたと聞いて、それをネタに「事件」をでっちあげようとしたらしい。今度こういう目に警察の襲撃あったときのために、大使館と連絡をとって緊密にしておかなければ。

・・・十一月十七日〜十八日、歩兵一大隊・砲兵中隊・騎兵連隊が王宮まえや目抜き通りの鐘路で演習と称する示威をおこない、日本兵が物情騒然とした市中を巡回し、市民をおびやかした。(海野福寿著 韓国併合)
・・・大臣の途中逃亡を防止するため、護衛の目的で憲兵づきで諸大臣と林が参内した。(同上)
・・・慶雲宮内も日本兵が満ちていた。『大韓季年史』は『銃刀森列すること鉄桶の如く、内政府及び宮内、日兵亦た排立し、其の恐喝の気勢、以て言に形し難し』と述べている。窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう。(同上)
・・・気落ちした韓圭萵参政に皇帝の裁可を求めるよううながし、拒否するなら『予は我が天皇陛下の使命を奉じて此任に膺る。諸君に愚弄せられて黙するものにあらず』と恫喝した。しかし、あくまで反対の韓圭萵参政は、涕泣しながら辞意をもらして退室した。伊藤は『余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ、と大きな声で囁いた』(西四辻公堯『韓国外交秘話』)という。(同上)で調印。
一月一一日 火曜日
就寝の準備もできたり、キャンパスに避難している女性難民の大集団が無事に朝を迎えるだろうと思えるような、そんな平穏なここ数日の夜がどんなにありがたいことか、当事者でない人には十分にはわかってもらえないだろう。
ここ二、三日は、新たに任命された憲兵五名が夜間警備に当たっているし、それ以前の八日間は、アメリカ大使館の警官一名が毎晩門衛所に詰めていた。女子学院の正規の夜間警備員のほか、元警官二名が補助要員としていまは民間人の服装でキャンパスを警備している。
それ以前の五日間は、一般兵士の一隊(約二五名)が警備に当たったが、彼らには少なからず悩まされた。というのは、わたしたちとしては精いっぱいのことはしたのだが、彼らは、キャンパスの外だけでなく中も警備すると言って聞かなかった。彼らがキャンパスにきた最初の夜、避難民二人が強姦されたので、その後すぐに大使館の警官にきてもらうようにした。
城内全域にたいして憲兵は一七人しかいなかった。憲兵がもっと大勢いたら、状況ははるかによかったであろう。というのは、憲兵は一般の軍人よりもはるかに優秀と思われるからだ。わたしが会った憲兵は少数だが、みな非常にすばらしい人のようだ。
午前九時から正午までの聞に F ・陳といっしょに国際委員会本部に出かけた。難民収容所の責任者全員が初めて一堂に招集された。すばらしい会議だった。
初めのうちラーべ氏がわたしたちといっしょにいて、さまざまな収容所 ― たぶん二〇ヵ所くらいある ― の責任者の努力にたいして心からの謝意を表した。
出席者は三五人ほどだった。わたしたちが共通に抱えている困難な諸問題について、ともに考え、話し合った。金陵女子文理学院が抱えている通常の問題は、男女両方の避難民を受け入れている収容所での問題に比べれば、はるかに扱いやすいものだ。それらの収容所では、阿片常習者や博徒といった不品行な連中が数かずの問題を引き起こしている。
四時から五時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。数週間前から、つまり、一二月一四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。
このあと薜さんといっしょに文科棟へ避難民数の調査に行った。文科棟には、当初の見積もりで四九〇人ほどを割り振ったが、それでも詰め込みすぎだと思った人もいる。しかし、ピーク時には、間違いなく、一棟に二〇〇〇人はいたと思う。
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ドイツ語原文は"Fluechtling"ですからやはり「難民」と訳すのが普通でしょうね。"Flucht"が「逃亡」なので「逃亡したもの→逃亡兵」と余計な推理をしてしまったということでしょうか。<br><br>それにしても、まるで「衣服の窃盗ですら放置しておかない」と言わんばかりの張り切りぶりですね、日本軍は。
Apemanさん<br>毎度、原文確認ありがとうございます。12月13日、敗残兵が平服を盗んだ状況と、この事件がどう繋がるんでしょうかね。私だって、「逃亡兵が」はおかしいと思って英文に当ったのです。平野さんという人はそうした判断に欠けるのでしょうか? 翻訳者というのは常識が命のはず、不思議です。
細かなことですが。写真の英語キャプション中「rheir」は「their」ですよね?
>「rheir」は「their」ですよね?<br>ありがとう御座います。私の指の間違いでした。でも、"t"と"r"が隣でよかった。1個違いのたいした間違いじゃあなくて。。。アルツxxxでもなくて。。。(言い訳屋のpippoでした)