八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-26 (占領14日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 査問、登録はじまる

ラーベ家の難民は全員パス
十二月二十六日十七時
素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!なんたって六百人をこす人々の命なのだから。

新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れていかれずにすんだ。隣の金陵中学校では二十人以上引き渡さなければならなかったというのに。元中国兵という擬いで処刑されるのだという。わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。いま、日本兵が四人、庭で良民証を作っている。今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。将校が決定した以上、 もうひっぱられる心配はないのだから。 それの変更はないだろう。
(英語版)"and there'll be no altering that"

「わが軍にも、なかには酷い連中がいましてね」
忙しく葉巻とジーメンスのカレンダーを担当の将校にあげていたら、百子亭にある家からもうもうと煙が上がってきた。庭は灰の雨だ。藁小屋は大丈夫だろうか。いくぶん考え深げにその様子を眺めながら、その将校はフランス語であっけらかんと言った。「わが軍にも、なかには酷い連中がいましてね」。
そう、なかには、ね。 彼自身は何も悪くないという顔して、そこに居た。
百子亭:英訳本では、"the Pei-Tze Ting"。中国側南京防衛軍司令官であった唐智生の公館があったとされる、玄武湖に面した城内の高台。

二週間ではじめて日本兵が押し入ってこなかった
昨日からは日本兵が押し入ってきていない。この二週間ではじめてのことだ。やっといくらか落ちついてきたのではないだろうか。ここの登録は昼に終わった。しかも後から こっそりもぐりこませた もぐりこんだ二十人の新入りにも気前よく良民証(mingto)が与えられた。
英文では "since yesterday"
「こっそり潜り込ませた」は英文では、"20 more people who have smuggled themselves in here." で、ラーベが潜り込ませたのではない。

「こっそりもぐりこませたのは便衣兵に違いない」、というトンデモな人がいるけど、まあそれは日記をちゃんと読まない人だね。ラーベ達は非武装地帯化や武装解除、そして暴動防止にいかに努力をしてきたか、体を張り日記にめんめんと綴ってきた。
使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れていった。トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、新しい患者を見せられた。若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、手のひら三つぶんくらいの肉がもぎとられている。助かるかどうかわからないという話だ
安全区本部での登録
安全区本部でも登録が行われた。担当は菊池氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。安全区の他の区域から、何百人かずつ、追いたてられるようにして登録所へ連れてこられた。今までにすでに二万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。なんというむごいことを……。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無力なのだ。
領事館警察の高玉氏は信用できない
高玉が車を貸してくれと言ってきた。借用書を書くとか言っていたが、どうせ返しゃしないだろう。

そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片づけてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を十日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。

ヨーロッパ人の家をのこらずリストアップし、とられた品物の「完全なリスト」を作って提出してくれと、高玉が言ってきた。私は断った。大使館の仕事じゃないか。第一、そんな面倒なことを引き受けて貧乏くじをひくのはまっぴらだ。最後まで無事だった家があるのかどうか、あるとしたらどの家なのか、それさえ正確に知らないというのに。
難民達の状況、米は足りるか?
クリスマスの二日目の今日、私はあいかわらず家にいた。難民が心配で、家を空けられない。だが、あしたにはまた本部で仕事がある。

安全区の二十万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、私はそれほど悲観的には見ていない。

米を探して安全区にまわしてくれるよう、何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。そのくせいつ汽車や船で上海にいけるようになるのかと聞いても、肩をすくめるだけだ。「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」
我が家の食事
うちのポーイやコックが、食べものをいまだにちゃんと調達しているのにはいつも驚かされる。とくに私の家では奇跡に近いほどだった。二週間ほど前から中国人を三人泊めているので、その人たちにも食事を出している。幸運にもそれでもまだ足りているのだ。ひょっとすると、いまや私を心から愛してくれている難民たちが、いざとなると食べ物を手に入れる手伝いをしてくれているのかもしれない。私は毎日目玉焼きを食べているが、卵がどんな形をしていたかさえわすれてしまった人もいるのだ。
ヴォートリンのこと
ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。大変きまじめな女性で、自分の大学に男性の難民を収容するときいて、びっくり仰天して反対したそうだ。最終的には、男女別々のフロアにするからという条件で承諾した。
彼女にとっての恐ろしい事件
ところで、この人に恐ろしい事件が起こった! 彼女は自分が庇護する娘たちを信じて、めんどりがひなを抱くようにして大切に守っていた。日本兵の横暴がとくにひどかったころ、私はミニをじかに見たことがある。四百人近くの女性難民の先頭に立って収容所になっている大学につれていくところだった。

さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだほうがましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。
24日のヴォートリンの日記を思い出してください。

[飯村守日記] 長中佐、大親分黄金栄に面会

ラーベの日記にある「社会の暗部」とは裏社会のことだ。慰安所設置工作の責任者、長勇中佐の行動について、派遣軍参謀長飯沼守少将は12月25日の日記に書いている。
◇十二月二十五日 快晴
(略)
 長中佐上海より帰る。青幇(チンパン)の大親分黄金栄に面会 上海市政府建設等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整ひ年末には開業せしめ得る段取りとなれり。

 黄金栄の部下虞洽卿、王一亭等は中南支の一流の財界巨頭なりと。塩は彼等に売却し阿片を何とかして入手せしむる様考慮する筈。吐月笙等は黄の子分なるも今にては真に蒋の部下にて到底望なし、黄は之等をも討伐すへしと。
虞洽卿、王一亭は南京の人だろうか?
質問しました。 日中戦争スタディーズ
思考錯誤

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] クリスマスが過ぎて

体力が尽きてしまった。ヴォートリン自身にはクリスマスは来なかったようだ。
(前略)
けさ魏が戻ってきたが、自分の体験したことを語れないほど疲れ果てていた。

 午後、またもや体力が尽きてしまい、休息をとった。

 金陵大学のキャンパスにいる避難民全員がきょう登録をした。たぶん、一両日中には女子学院でも同じ手続きがおこなわれるだろうから、今夜、陳さんに名簿の作成を始めてもらった。

 昼間はいまでも晴れていて暖かい。依然として外界の情報は入ってこないし、わたしたちが知るかぎりでは、こちらの情報も、同盟〔通信社〕が提供するもの以外は伝わっていない。

ことしは、クリスマスなしの年になるだろう。友人たちのことを考える時間さえなかった。
本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ Apeman [ピッポさん >「こっそりもぐりこませたのは便衣兵に違いない」、というトンデモな人がいるけど、まあそれは日記をちゃん..]

◆★▼ pippo [Apemanさん >ラーベにしてもヴォートリンにしても、別に日本軍だけを一方的に非難しているわけじゃない。中国側の背..]

◆★▼ pippo [ところで、お暇なおりに、 "20 more people who have smuggled themselves ..]

◆★▼ Apeman [>将校が決定した以上、それの変更はないだろう。 "Der japanishche Offizier hat sei..]

◆★▼ pippo [Apemanさん 詳しい調査とご説明ありがとう御座いました。 英語 "themselves" に対応する "sich..]

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2006-12-25 (占領13日目)

[you&me] ja2047さんの死を悼む

私のweb上の畏友というか師匠ともいうべきja2047さんが亡くなられました。訃報を知ったのは昨日でした。試行錯誤板へのゆうさんの投稿です。

急な知らせに、声もありません。

突然の心筋梗塞で11月17日になくなられたそうですが、ja2047さんは、11月15日までmixi日記に健筆を振るっています。私にメールを下さったのも11月14日でした。その後、書込みがないのは私の失礼によるのではないか、とも思っていました。

9月に私はja2047さんから、スキャナーのお下がりを頂きました。ja2047さんは私に「webで健筆を振るう人たちが集めた資料を集めたら膨大になるだろうな。それらを、共有できたらいいんだが。」とメールでいってきました。「15年戦争資料@wiki」はそのスキャナーをきっかけにして生れました。そうして、ここの「1937年秋冬コレクション」も誕生しました。

いわば、ja2047さんはこのサイトの産みの親なのです。

地図、写真、問い合わせ・・・、困ったときには ja2047さんにおねだりしていました。もう、いらっしゃらないなんて信じることができません。

まだ54歳といえばお若い盛りです。
謹んで、御家族のご平安とja2047さんのご冥福をお祈りいたします。
ja2047さんのWEB上の足跡です。みなさんが掲示板などに挙げたものです。 みなさんが言葉を寄せています。
  • http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3718;id=sikousakugo#atop
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300060139&owner_id=1229043
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300180630&owner_id=4968376
  • http://mixi.jp/view_diary.pl?id=300761792&owner_id=935361

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] ポケットから手を出すな

リッグス氏暴行に対する抗議書
ラーベの日記の英語版の12月15日の項の冒頭には、スマイスが日本大使館に送った抗議文が掲載されている。

日本軍兵士達によって拉致された中国人女性を救い出し、難民収容所に送り届けようとしたリッグス氏(Charles H. Riggs アメリカ人 金陵大学 )に、巡検将校が暴行を加えたという事件である。リッグス氏は殴られても蹴られてもオーバーコートに手を突っ込んだまま無抵抗であった。

日本軍将校の傍にいた日本人通訳に依れば、将校はリッグスが頭を下げれば許すということだったらしいが、リッグスは自分は米国人で日本人ではないから、と頭を下げなかったようだ。

Letter from the International Committee to the Japanese Embassy

Nanking, December 25th, 1937.
To the Officers of the Imperial Japanese Embassy Nanking.

  This morning about 10:00, Mr. Riggs found several Japanese soldiers in the house at No. 29 Hankow Road and heard a woman cry. The woman, who was about 25-30 years old, tapped herself and motioned for Mr. Riggs to come. One soldier had her in tow. Other soldiers were in the house. She grabbed Riggs's arm. The other soldiers came out of the house and all of them went on and left the woman with Mr. Riggs. The woman had been out buying things and the soldiers took her.  Her husband was taken four days ago and had not returned. She wanted Mr. Riggs to escort her back to the Refugee Camp at the Military College on Hankow Road. So Mr. Riggs escorted her east on Hankow Road and almost to the University Gardens, there they met an inspection officer with two soldiers and an interpreter. The officer grabbed Mr. Riggs hands out of his pockets and grabbed his armband, which had been issued him by the Japanese Embassy. He swatted Mr. Riggs hands when he tried to put them back in his pocket. As near as he could tell, the officer asked Mr. Riggs who he was, but neither could understand the other. He then hit Mr. Riggs on the chest hard. Mr. Riggs asked him what he meant and that made the officer angry. The officer motioned for his passport but Mr. Riggs did not have it with him. He wanted to know what Riggs was doing. Mr. Riggs told him he was taking this woman home. So the officer hit Riggs again. Mr. Riggs looked to see what armband the officer was wearing and the officer slapped Mr. Riggs in the face hard. The officer then pointed to the ground and grabbed Mr. Riggs' hat so Mr. Riggs thought the officer wanted him to kowtow to him. But Mr. Riggs would not. So the officer gave Mr. Riggs another slap in the face. Then the interpreter explained that the ofiicer wanted a card. Mr. Riggs explained he was taking the woman home because she was afraid. The officer gave an order to the soldiers and they came to either side of Mr. Riggs with guns at attention. Then the interpreter explained that the officer wanted Mr. Riggs to bow to the ofiicer. Mr. Riggs refused because he was an American. The officer finally told Mr. Riggs to go home. Meanwhile, the Chinese woman had been so frightened when she saw Mr. Riggs so treated, she ran off down Hankow Road.

  Mr. Riggs explained that he did not touch the officer and simply had his hands in his pockets (of his overcoat) walking down the road, bothering no one. The woman was walking a short distance ahead of him.

  We hope that there will speedily be such a restitution of order and discipline among the soldiers that foreign nationals going peacefully about the streets need no longer fear being molested.

        Most respectfully yours,
        LEWIS S. C. SMYTHE

こういう文章では、"Mr. Riggs" を "he" とか "him" とか代名詞にしてはいけないのだ!

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] クリスマス

十二月二十五日
昨日の午後、日記を書いているとき、張と中国人の友人たちがひっそりと小さなクリスマスツリーの飾り付けをしていた。そういえば以前、張はよくこれを手伝っていた。

小さいというのを別にすれば、このツリーは、前に飾っていたのとそっくり同じだ。なんとクリスマスの庭(キリスト誕生の瞬間を再現した厩の模型)まであった。厩をとりかこむ動物たちも。人になれているのも野生のも入り混じっている。私たち家族はみなこれを見て喜んだものだった。食堂のまん中の扉が開いて、わずかばかりのロウソクが部屋に貧弱な光を投げかけると、それでもそこはかとなくクリスマスの気分が漂った。
クリスマスの庭:"the Nativity scene"
人になれているのも野生のも:"higgledy-piggledy=ごた混ぜの"
クレーガーとシュペアリングがクリスマスツリーを見にきた。南京広しといえどもツりーがあるのはここだけだ。クレーガーは白ワインを一本提げてきた。シャルフェンベルク家の瓦礫から「救出された」ものだ。残念ながら漏れてしまって半分しか残っていなかったが。遠く離れた家族の幸福を願って、私たちは黙ってグラスを傾けた。

そのあとクレーガーとシュペアリングは平倉巷のアメリカ人の家へ向かった。そこのクリスマスディナーに招待されていたのだ。が、私は家を空けられない。
福井氏がハバナ葉巻を一箱持ってきてくれた
六百二人の難民を保護者なしでおいていくわけにはいかない。ただ、仲間がとちゅうでしばらく交代してくれることになっていた。そうすれば私もアメリカ人の同志たちとしばし楽しい時が過ごせる。入れちがいに、福井氏がやってきた。目下この人が日本大便館で一番上のポストにいる。高玉氏もいっしょだ。大使館の人たちに、クリスマスプレゼントだといってジーメンスのカレンダーを贈ったので、お返しにハバナ葉巻を一箱持ってきてくれたのだ。うーん、残念。タバコをやめてしまった! タバコ類は、いまやひじょうな貴重品だ。以前は八十五セントだった紙巻タバコ一缶が、いまでは六ドル以下では手に入らない。クリスマスのお祝いに、私はこの二人とワインを一杯飲んだ。二人ともクリスマスツリーと花を見てびっくりしていた。うちにあった花をわけると、たいそう喜んだようだった。日本人はとても花が好きだ。わが家の難民のために、この人たちとある程度親しくなっておきたい。なにしろ発言権があるからだ。
ラーベ家のクリスマス晩餐、まさかのレープクーヘン
二人が帰った後、ロウソクを飾った食堂で、クリスマスの晩餐をとった。塩づけ肉にキャベツ。これがとびきり上等の肉料理のようにおいしく思えた。韓一家がきたので、アドヴェンツクランツ(クリスマスリースの一種、テーブルに置いてロウソクを立てる)を贈った。ロウソクが四本ついている。奥さんと子どもたちには、それぞれ、モミの木にぶらさがっている贈り物から一つずつ選んでもらった。色とりどりの飾り玉、象、小さなサンタクロース。それで私が用意したプレゼントはすべてなくなった。それにしても張には驚いた。思いもよらない素晴らしいものをもって現れたのだ。ハート形のレープクーヘン(クリスマスに食べるはちみつと香料入りのクツキー)! 四つあった。私はわれとわが目を疑った。ハート形のレープクーヘンが四つも。ドーラが赤い絹のリボンで飾っておいたものに、張が若いモミの小枝をそえて持ってきた。ということは、使用人たちが一年間しっかり保管しておいてくれたことになる。私と客は大喜びで、レープクーヘンをまたたくまに飲みこんでしまった。すると、あまり行儀のいい話ではないが、のどにつかえてしまったのだ。もちろん菓子のせいではない。レープクーヘンは文句なくおいしかった。そう、のどがおかしかったのさ。
レープクーヘン
ドーラ、私たちはみな心から君を懐かしんでいる。なかにひとり、うっすら涙を浮かべていた男がいたよ。
アメリカ人の家へ
ミルズがきて、見張りを交代してくれたので、私はアメリカ人の家へと車を走らせた。果てしない闇、死体だらけの道を。もう十二日間も野ざらしになっている。
※アメリカ人の家:ロッシング・バックの大邸宅を使用してベイツ、スマイス、ウィルソン、ミルズらの金陵大学の関係者が共同生活をしていた。
仲間たちはひっそりと座っていた。みな物思いに沈んでいる。ツリーはない。ただ暖炉の赤い小さな旗に、使用人たちのせめてもの心づかいが感じられた。私たちは難民登録というさしせまった問題について話し合った。心配でたまらない。
難民登録についての悲惨な情報
難民は一人残らず登録して「良民証」を受けとらなければならないということだった。しかもそれを十日間で終わらせるという。そうはいっても、二十万人もいるのだから大変だ。

早くも、悲惨な情報が次々と寄せられている。登録のとき、健康で屈強な男たちが大ぜいよりわけられた=剔出(てきしゅつ)=のだ(※)。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別された。兵隊用の大がかりな売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう。
※日本語版では口絵写真13としているが、この写真は12月16日撮影のものです。マギーのフィルムから、東中野本写真116。マギーフィルムの解説書二の(二)。
半時間ほどして、また悪臭ふんぷんたる道を戻る。だが私の小さな収容所には平和とやすらぎがあった。見張りが十二人、交代で壁づたいに歩き回り、ときどきささやきあっている。眠っている仲間を起こさないよう、ちょっとした合図をしたり、とぎれとぎれの言葉をかわすだけだ。ミルズは家に帰った。私もやっと眠れる。いつものように、そのまま飛び出せるかっこうだが。日本兵が入ってきたら、すぐに放り出さなければならない。だがありがたいことに、今晩は平穏無事だった。苦しそうな息づかいやいびきがほうぼうから聞こえてきて、なかなか寝つかれなかった。合間には病人の咳。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] 女子学院のクリスマス

平穏な一夜
一二月ニ五日 土曜日
 クリスマス−ディナーのときにサール・ベイツが、「地獄のクリスマス」と題して記事を書いているところだ、と言った。実際のところ、この金陵女子文理学院ではそのようなことはない。このキャンパスは多少なりとも天国である。とはいえ、ことしのクリスマスは、これまで金陵で経験したクリスマスとはたしかに違う。

 昨夜も平穏な一夜だった。校門に警備兵二五人が配置され、漢口路と寧海路を巡回してくれた。ここ何週もの間で初めて朝までぐっすり眠った。

 午前七時三〇分から南音楽教室で、フランシス陳が主宰してたいへんすばらしい礼拝集会がおこなわれた。歌った賛美歌はいずれも、いまのわたしたちには意義深く、心に慰めと勇気をあたえてくれた。ビッグ王を含めてわたしたち九人が出席した。近ごろは祈祷会で語る話をあらかじめ用意することなどだれも考えない。わたしたちは、心の奥の深い思いのままに祈っている。

 八時三〇分から九時三〇分までの聞に二つの兵士グループがやってきたが、何も問題は起こさなかった。彼らは、主として発電所に関心があった。
パックの家のクリスマスディナー
 一二時三〇分、クリスマス− ディナーに招かれてブランチ〔呉〕といっしょにパックの家(※)へ出かけた。グレイス・パウアーも招待されていた。サールと C ・リッグズは再三呼び出されて、トラックや中国人男女グループなどの救出のために金陵大学や住宅へ出かけて行った。彼らは近ごろ、連日このような仕事をしている。
※(訳注)バックの家:平倉巷三号にあったロッシング・バック邸。ロッシング・バックは金陵大学農業経済学部長であったが、当時戦火を避けてアメリカに帰国していた。「大地」の作者パール・バックは彼の夫人であった。ロッシング・バックの大邸宅を使用してベイツ、スマイス、ウィルソン、ミルズらの 金陵大学の関係者が共同生活をしていた。

連れ出された少女を助ける
 出かけるさいに興味深い経験をした。校門を出ようとしたちょうどそのとき、一人の女性がやってきて、娘を救出してほしい、ついさつき家から連れ去られた、と懇願した。彼女が指し示したとおり上海路を大急ぎで南へ向かったところ、兵士たちは進路を北に変えた、と言われた。北へ向かって行こうとしたちょうどそのとき、車に乗っているミルズを見かけたので停車してもらい、母親、ブランチともども乗り込んだ。

 まもなく、兵士二人が少女を連れて歩いているところを見かけた。少女はわたしの姿を見るやいなや、引き返してきて助けを求め、そして母親の姿が目に入ると、飛び込むようにして車に乗った。兵士は事態に気づくと、わたしたちが彼に無礼を働いた、としつこく言い張り、ミルズの席に座ったまま、どうしても車から降りようとしなかった。

 英語が多少わかる将校が通りかかったが、彼は、不必要と思われるくらい丁寧な態度でくだんの兵士に車から降りてもらうと、わたしたちを通してくれた。ただし、わたしたちが少女を連れ出したのが悪かった、とミルズが言ったことで、ようやく通してくれたのだ。
避難民家族のためのクリスマス礼拝
 午後二時から、例の小さなクリスマス礼拝堂で王さんの主宰により、キャンパスの使用人たちのために、とてもよいクリスマスができた。三時から婁さんが、近隣のクリスチャンやキャンパスにいる避難民家族のためのクリスマス礼拝をおこなった。午後七時からハウチさんが、昼間学校の生徒や奉仕団で彼女の手伝いをしている子どもたちのためのクリスマス礼拝をおこなった。大人数を手がけるのは不可能なため、大多数の避難民には何もしてあげられなかった。
日本兵は城外へ撤収しているところ
 今夜は警備兵はいない。大使館から警官一名が派遣された。日本兵は城外へ撤収しているところだ。M・S・ベイツによれば、女性の拉致にかんするかぎり、金陵大学では不運な一日であったようだが、女子学院の避難民のなかには自宅に帰る者も出てきている。
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2006-12-24 (占領12日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情][戦況と民衆] クリスマスイブ


鼓楼病院
<news.jschina.com.cn
十二月二十四日
昨夜灯をともした赤いアドヴェントシュテルンを今朝もういちど念入りに箱に詰め、ジーメンスのカレンダーといっしょに鼓楼病院へもっていった。女性たちへのクリスマスプレゼントだ。
鼓楼病院で
ちょうどいい機会だからと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔じゅう銃剣の傷だらけの婦人は、流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごに一発銃撃を受け、全身にやけどを負った男性もいた。ガソリンをかけられて、火をつけられたのだ。この人はサンパンをいくつか持っている。まだ二言三言口がきけるが、明日までもつまい。体の三分の二が焼けただれている。
参照:「マギーフィルムの解説書」に映像シーンを当てはめてみる
地下の遺体安置室にも入った。昨夜運ばれたばかりの遺体がいくつかあり、それぞれ、くるんでいた布をとってもらう。なかには、両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。民間人だ。やはりガソリンをかけられたという。七歳くらいの男の子のもあった。銃剣の傷が四つ。ひとつは胃のあたりで、指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという。
参照:殺された7歳の少年のカット
この一週間、おびただしい数の死体を見なくてはならなかった。だから、こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのまま闇に葬ってなるものか!
ラーベの家(写真上と庭)の難民総数は602人。計算してみればわかるが、畳1枚に2人。それに使用人とその家族で650人。20m×30mの中に、である。
私が病院に出かけているあいだ、フィッチがわが家の見張りをしてくれた。まだ当分は兵隊たちにおそわれる心配があるので、難民だけにしておくわけにはいかない。うちの難民は三百五十人から四百人くらいだとばかり思っていた。だが、今では全部で六百二人。なんとこれだけの人間が庭(たった五百平方メートル)と事務所に寝泊まりしているのだ。韓によると男三百二人、女三百人とのこと。そのうち十歳以下の子どもが百二十六人。ひとりは、やっと二ヵ月になったばかりだ。これにはジーメンスの従業員やわが家の使用人、またその一族は入っていないので、全部入れると六百五十人くらいになるのではないだろうか。
ボーイの張のかみさんが退院
張はうれしそうだ。かみさんが今朝退院したのだ。さっき車でつれてきたが、それからずっと屋根裏部屋で子どもたちと眠っている。そこしかあいていない。
クリスマス気分を味わわせようと
私に少しでもクリスマス気分を味わわせようとして、みながはりあっている。見ていると胸があつくなる!

張はクリスマスローズを買ってきて家をかざりつけた。小さなモミの木も。私のためにクリスマスツリーを飾ろうというのだ。どこかで長いロウソクを六本買ってきて、ついさっき上機嫌で帰ってきた。突如みなが私を好いてくれるようになった。昔は、だれにも好かれていないように思ったが。はて、あれは私の思い違いだったのかな? ふしぎだ。ドーラ、子どもたち、孫たち! 今日、私のために祈ってくれていることだろう。私にはちゃんとわかっているよ。おまえたちの深い愛に包まれているのを感じる。それを思うと私はかぎりなく癒されるのだ。この二週間、ただ苦しみしか味わわなかったのだから。私もおまえたちのために心で祈っている。世にもおそろしい光景を目にして、私たちはふたたび子どものころの無垢な信仰へと立ち返った。神、ただ神だけが、この恥ずべき輩、人を辱め、殺し、火を放っている無法集団から我々をお守りくださるだろう、と。
日本軍の城内警備の組織が変わったのか
今日、新たな部隊が着任するという知らせが届いた。これでようやくいくらか混乱がおさまるだろう。法にそむく行為はすべて、みせしめのために罰せられるにちがいない。ぜひそうであってほしい! その時が来ているのだ! 我々はじきに力尽きてしまう!

神よ守りたまえ。私たちがいま味わっている苦しみを、いつの日かおまえたちが味わうことのないように! この祈りを胸に、今日の日記を終えよう。ここに残ったことを悔いてはいない。そのために、多くの人命が救われたのだから。だが、それでも、この苦しみはとうてい言葉につくせはしない。

[warなひと人] 城内警備組織の変更

秦郁彦「南京事件」(P161-162)によれば、日本軍部隊は12月16日頃から新配置に向かう移動を開始した。
  • 第10軍主力は杭州占領作戦のため反転。24日杭州占領の後、南京―蕪湖間に分散駐留
  • 上海派遣軍第13師団は津南線に沿い北上
  • 第101師団は上海地区
  • 第9師団は蘇州地区
  • 天谷支隊は楊州地区に分散駐留
  • 南京地区には第16師団と若干の軍直属部隊が残った。
南京城内の警備と軍政は十二月二十一日、南京地区西部警備司令官(*)に就任、城内粛清委員長(二十二日付)と宣撫工作委員長(二十六日付)を兼ねた佐々木到一少将に一任される形となった。
  • 南京地区西部警備隊(歩三〇旅団、独立機関銃2大隊など)は主力を南京城内に、一部を江寧鎮、麟麟門、尭化門付近に配置、東部警備隊(歩一九旅団、騎二〇連隊など)は主力を湯水鎮に、一部を句容、淳化鎮などに配置した(中沢三夫資料)。
佐々木はかつて南京駐在武官の経歴を持ち『支那軍隊改造論』の著書もある中国通であり、適任者と見なされたのであろう。

ところが、この人選はとんでもたいミスキャストであった。往年は、陸軍随一の国民党通とされ、その同情者でもあった佐々木は、いつの間にか熱烈な反蒋論者、中国人嫌いに変っていたのである。城内警傭に関し、南京憲兵隊と特務機関、その他の軍直轄都隊を指揮下に入れ、第十六師団を実働部隊として与えられた佐々木は、すでにその必要はなくなったと思われるのに、苛烈な便衣狩りを再開した。
(秦郁彦「南京事件」P164-165)
第16師団(中島今朝吾中将)
 −歩19旅団(草場 辰巳少将)
     −歩兵第9連隊(京都)
     −歩兵第20連隊(福知山)
 −歩30旅団(佐々木到一少将)
     −歩兵第33連隊(久居)
     −歩兵第38連隊(奈良)

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] 女子学院のクリスマス

一二月ニ四日 金曜日
 あしたはクリスマス。一〇時ごろわたしの執務室に呼び出されて、一師団の高級軍事顧問と会見することになった。さいわい、大使館付の年配の中国人通訳を同伴してきた。
「高級軍事顧問」、売春婦100人を選別したい、と
 ここの避難民一万人のなかから売春婦一〇〇人を選別させてもらいたいというのが日本軍側の要求であった。彼らの考えでは、兵士が利用するための正規の認可慰安所を開設することができれば、何の罪もない慎みある女性にみだらな行為を働くことはなくなるだろう、というのだ。

 以後は女性を連行しないことを彼らが約束したので、物色を始めることを承知した。その間、軍事顧問はわたしの執務室で腰を掛けて待っていた。かなりの時間が経過してから、彼らはようやく二一人を確保した。

 こうした物色がおこなわれることを聞きつけて逃げ出した女性や、いまなお身を隠している女性もいると彼らは考えている。大勢の少女が次つぎにわたしのところへやってきて、残り七九人は品行正しい少女のなかから選ぶのか、と質したが、わたしとしては、わたしが言って阻止できるのであれば、そういうことにはならないはずだ、と答えるのが精いっぱいだ。
兵士用売春宿、つまり軍慰安所設置の責任者は、上海派遣軍参謀二課長・長勇中佐だが、この「高級軍事顧問」すなわち参謀とはだれだろうか。

ささやかなクリスマス礼拝
 クリスマス礼拝のため、メリーは午後ずっとクリスマスツリーと部屋の飾り付けをしている。二階の北向きの部屋を選んだ。その部屋の窓のグリーンの厚手のカーテンが使えるからだ。いま部屋は、美しい竹やクリスマスツリー、それに赤い飾り紐で飾られ、とてもすばらしい。

夜六時三〇分からその部屋で、わたしたちのほか、程先生の嫁とその子ども四人だけのささやかなクリスマス礼拝をおこなった。子どもたちはほんの気持ちばかりの贈り物をもらって大喜びだった。子どもたちのおばあちゃんは賛成しなかったけれども、何もプレゼントを用意しないのは感心しない。あすは別のグループのためにその部屋を四回使用する予定になっている。
多くの女性が恐ろしい窮地に直面している
 何人かの女性が涙ながらに話してくれた報告を確認するため、四時三〇分、金陵大学に出向いた。避難民のなかから何人かの男性が選別されたが、彼らは、すぐに身分が確認されない場合には殺される運命にある、というのだ。

 多くの女性が恐ろしい窮地に直面している。夫といっしょに家にとどまれば、夫は銃剣を突き付けられて家から追い出され、妻は兵士に強姦される。夫を家に残して金陵女子文理学院にくればきたで、夫は連行されて殺害される危険にさらされる。

 校門に警備隊や警邏隊を配置してからは、うろうろと入ってくる兵士のグループはほとんどなくなった。おかげで精神的負担が大いに減った。

 大きな火災がいまだに南と東の空を照らし出している。どうやら、どの商店も徹底的に掠奪され、焼き払われたようだ。南京を見たいとは思わない。荒れ果てた街になっているにちがいないからだ。

 城内の状況はいくらかよくなっているそうだ。きょうアメリカ大使館を訪れてわかったが、外界との接触は依然として断たれている。

2006-12-23 (占領11日目)

[ラーベの日記][戦況と民衆][所行無情][国際委員会] かっぱらいが来て損害の一覧表を書く暇がない

十二月二十三日
昨夜、総領事館警察の高玉主任来宅。外国人が受けた物的損害の一覧表を作ってもらいたいとのこと。なんと今日の昼までに、という。そんなことがらくにできるのは一国の大使館くらいなものだろう。我々にはそんな簡単な仕事ではない。だが、やりとげた。さっそくクレーガー、シュペアリング、ハッツに来てもらい、地区ごとに分担を決め、時間までにちゃんと仕上げた。それによると、ドイツ人の家で略奪にあったのは三十八軒。うち、一軒(福昌飯店)は燃やされてしまった。だがアメリカ人の被害ははるかに甚大だ。全部で百五十八軒にものぼる。
日本語版は「総領事館警察の高玉清親氏」とあるが、英文は "Police Chief Kakadama"
ゆうさん資料集のフィッチ手記を参照のこと
(前略)
ところが、大使館警察署長のタカタマ(訳注 Takatama,Chief of the Embassy polliceとあるが、高玉清親は南京総領事館の巡査《十二月十四日南京着》である)はわれわれを訪問し、外国人の建物全部を保護すると現に約束し、スパーリングと一緒にドイツ人資産を検分に出かけました。(後略)
どうやら高玉氏とは、威張りくさり大言壮語する典型的な警官のようだ。ラーベやフィッチには "Chief(署長)" であるかのように名乗ったのだろう。
  ※満州での領事館警察の体質については、リットン調査団を欺く関東軍が参考になります。

金庫破り
リストの完成を待っていたとき、ボーイの張が息せききってやってきた。日本兵が押し入り、私の書斎をひっくり返して、二万三千ドルほど入っている金庫を開けようとしているという。クレーガーといっしょにかけつけたが、一足違いで逃げられた。金庫は無事だった。どうしても開けられなかったとみえる。
またぞろ塀登り
昼食のとき、兵隊が三人、またぞろ塀をよじ登って入ってきていたので、どやしつけて追い払った。やつらはもう一度塀をよじ登って退散した。おまえらに扉なんかあけてやるものか。クレーガーが、午後の留守番をかってでてくれた。私が本部にもどる直前、またまた日本兵が、塀を乗り越えようとしていた。今度は六人。今回もやはり塀越しにご退場願った。思えば、こういう目にあうのもそろそろ二十回ちかくになる。
聞いても動じるようすもない
午後、高玉氏に断固言い渡した。私はこういううじ虫を二度とわが家に踏みこませない。命がけでドイツの国旗を守ってみせる。それを聞いても高玉は動じるようすもない。肩をすくめ、それで一件落着だ。「申し訳ないが、憲兵の数が足りないので、兵隊の乱暴を抑えることができないんですよ」
火の粉が北へ舞っている
昨日も同じところで火事があった
六時。家へむかって車を走らせていると、中山路の橋の手前が炎に包まれていた。ありがたいことに、風向きはわが家と逆方向だった。火の粉が北へ舞っている。同じころ、上海商業儲蓄銀行の裏からも火の手があがっていた。これが組織的な放火だということぐらい、とっくにわかっている。しかも橋の手前にある四軒はすでに安全区のなかにあるのだ。

わが家の難民たちは、雨の中、庭でひしめきあい、おそろしぺも美しく燃えさかる炎を息をのんで見つめていた。もしここに火の手がまわったら、この人たちはどこにも行き場がないのだ。かれらにとっての最後の希望、それは私だけなのだ。
明日はクリスマスイブ
張は、小さな石油ランプを四つ、モミの小枝で飾り付けた。目下のところ、照明といえばロウソクの残りのほかはこれしかない。それから赤いアドヴェントシュテルン(クリスマスに使う星形のロウソク立て)を出してきて、ロウソクに赤い絹のリボンを結びつけた。そうだ、明日は十二月二十四日、クリスマスだ。しかも娘のグレーテルの誕生日ではないか。
Adventstern 
クリスマスだからといって、友人の靴屋が古いブーツの底を張り替えてくれた。そのうえ、革の双眼鏡カバーまで作ってくれたのだ。お礼に十ドル渡した。ところが靴屋は黙って押し戻した。張がいった。「そりゃ、受け取れませんよ」私に深い恩があるから、というのだ!
靴屋の「恩」とは⇒10月17日、11月22日、11月25日の日記を参照のこと
今目、シンバーグが棲霞山から持ってきてくれた手紙には(彼は、江南セメントエ場〜南京間をふつう一時間半で往復する)、棲霞山の一万七千人の難民が日本当局にあてた請願書が添えてあった。あちらでもやはり日本兵が乱暴のかぎりを尽くしているのだ。

[ヴォートリンの日記][戦況と民衆][所行無情] クリスマスミサは中止か?

一二月二三日 木曜日
 クリスマスまであと二日。例年のこの時期のキャンパスとは大違いだ。例年なら、クリスマスの準備や期待や喜びで何から何まで忙しい。ことしは恐怖と悲しみばかりで、次の瞬間には何が起こるかわからない。
警備兵は外を向いてね
 キャンパスは、きのうときょうは比較的に平穏だった。きのうは三つの兵士グループが迷い込んできたが、きょうは一グループだけだった。ここ二日間も夜は平穏だった。警備兵は毎日交替するので、新しい警備隊がくるたびに、王さんとわたしは、彼らが外を警備してくれれば、わたしたちが中を警備するということを、あの手この手で説明している。
「高級軍事視察員」
 午後二時、高級軍事視察員が将校三名を伴って来訪し、難民が生活している建物の視察を要望した。城内が平穏になりしだい、避難民に帰宅を促すつもりであることをくりかえし伝えた。城内の事態はよくなってきているので、避難民たちはすぐに帰宅できると思う、と彼らは言っている。
虎踞関路の虐殺事件
 わたしたちの隣人で、虎踞関路からやってきた孫さんは、現在はキャンパスの東の中庭で生活している。彼女の話では、昨夜、六〇人ないし一〇〇人ほどの男性(ほとんどが若者)が金陵寺南方の小さな谷間へトラックで連れて行かれ、機関銃で射殺されたあと、一軒の家に運び込まれ、火をつけられたそうだ。
虎踞関路とは女子学院の西、安全区と清涼山との間。

火災は掠奪や殺戮の隠蔽か?
 わたしは、夜間に見られる多くの火災は、掠奪や殺戮を隠蔽するために起こされたものではないかと、ずっと以前から疑っていた。学院の使い走りの少年も生物学科の使用人の息子も殺されてしまったのではないかと、ますます心配がつのる。
クリスマスミサは中止か?
 わたしたちが不在中に何が起こるかわからないので、全員が一堂に集まってクリスマス礼拝をおこなうのは安全ではないと判断した。メリーとわたしは、そうした集会は疑惑を招くのではないかとも思っている。

 食料はますます乏しくなってきている。ここ何日間も肉は食べていない。いまや街ではどんな品物も買えない。鶏卵や鶏肉さえも、もはや手に入らない。

 今夜は八時三〇分に消燈する。人目につくといけないので、実験学校では蝋燭しか使っていない。

 道路が開通したらすぐにも、フランシス陳、李さん、陳さんを南京から脱出させたいと思っている。というのも、若い人たちはあまり安全でないと思うからだ。
メリー・トゥワイネンの家が掠奪
 メリー・トゥワイネンの家が徹底的に掠奪された。外国人が家の中にいればともかく、そうでない場合にはほとんどの住宅が掠奪をこうむった。みな忙しいので、家にいることなど不可能だ。

 きょうは雨が降っている。ベランダで寝ている人たちを、ともかく建物の中に押し込まなければならない。これまで数週間も続いた晴天は大いなる恵みだった。
メリー・トゥワイネン:中国籍の米人女性か
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◆★▼ siebzig [>日本兵が押し入り、私の書斎をひっくり返して、二万三千ドルほど入っている金庫を開けようとしているという。 なにしろ..]

◆★▼ pippo [>弗に対して中央銀行のものが日本紙幣より高値なるが故に上海に送りて日本紙幣に交換する 此仲介者は新聞記者と自動車の運..]

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2006-12-22 (占領10日目)

[ラーベの日記][国際委員会][所行無情] 日本側の「難民委員会」

十二月二十二日
憲兵本部からだといって日本人が二人訪ねてきた。日本側でも難民委員会をつくることになった由。従って難民はすべて登録しなければならない。「悪人ども」(つまり中国人元兵士)は特別収容所に入れることになったといっている。登録を手伝ってくれないかといわれ、ひきうけた。
※「日本側の難民委員会」とは22日に成立した「城内粛清委員会」のことか
そのあいだも、軍の放火はやまない。はらはらしどおしだ。上海商業儲蓄銀行(※)そばの建物に延焼中の火事が、メインストリートを越えて安全区の一部である西側にまで拡がったらと。 そうなったらわが家も危ない。仲間と安全区の中を片づけていたら、市民の死体がたくさん沼々に浮かんでいるのをみつけた(たった一つの沼だけで三十体あった)。ほとんどは手をしばられている。中には首のまわりに石をぶら下げられている人もいた。
※(英文)"the Skanghai Com-Sav Bank"
Shanghai Commercial and Savings Bank
(日本語版)「火事が上海商業儲蓄銀行(※)のそばの家、つまりメインストリートの西側にまで拡がったら、とはらはらしどおしだ。あのあたりはもう安全区に入っている」だが、
(英文)"I am constantly worried that the fire destroying buildings near the Shanghai Com-Sav Bank will spread across to the west side of the main street, which is part of the Zone."

七ヵ所で火災
わが家の難民はいまだに増えるいっぽうだ。私の小さな書斎だけでも六人が寝ている。オフィスと庭も見わたすかぎり難民で埋まっており、燃えさかる炎に照らされてだれもが血のように赤く染まっている。今数えただけでも、七ヵ所で火災がおこっている。
18日の日記に、「五百平方メートルほどの庭や裏庭」とある。家を含めると600平方メートルくらいか。難民は600人というから、1メートル四方に一人という人口密度だ。

発電所作業員虐殺事件
私は日本軍に申し入れた。発電所の作業員を集めるのを手伝おう。下関には発電所の労働者が五十四人ほど収容されているはずだから、まず最初にそこへ行くように。

ところが、なんとそのうちの四十三人が処刑されていたのだ!それは三、四日前のことで、しばられて、河岸へ連れていかれ、機銃掃射されたという。政府の企業で働いていたからというのが処刑理由だ。これを知らせてきたのは、おなじく処刑されるはずだったひとりの作業員だ。そばの二人が撃たれ、その下じきになったまま河に落ちて、助かったということだった。
この事件については、渡辺さんのサイトが詳しい。
資料:『ラーベと発電所復旧』。なにかの巻き添えで殺されたわけではない。国営の発電所作業員だからという理由で殺されたのである。あまりにも酷い!これを虐殺といわずに何と言うのだろうか。
畝本氏のラーベ日記批判本では、この事件は無視されている。

助けにいったクレーガーとハッツの二人も襲われた
今日の午後、酔っぱらった日本兵に中国人が銃剣で首を突かれた。それを知って助けにいったクレーガーとハッツの二人も襲われた。ハッツは椅子を使って身を守った。だが、クレーガーのほうは日本兵にしばられそうになった。やけどした左手を包帯でつっていなければ、そうはならなかっただろうが。フィッチと私が車でかけつける途中、むこうから二人がもどってくるのに出くわした。フィッチと私は二人をのせてただちに現場にむかった。するとその兵隊は、偶然通りかかった日本の将校から平手打ちを食っていた。そばには日本大使館の田中氏もいた。

その日本兵はどうやらクレーガーたちに不利になるような報告をしたらしい。しかし、将校はかまわずなぐり続け、ついにそいつは目に涙をためた。この事件は我々にとって悪い結果にはならなかった。だが、いつもそうなるとはかぎらない。

[ヴォートリンの日記][所行無情] 昼間はできるだけ休息をとるようにした

一二月ニニ日 水曜日

 けさは機関銃や小銃の音が頻繁に聞こえる。たんなる訓練だろうか、それとも、さらに多くの無辜の民衆が射殺されているのだろうか。

 急に気力が尽きてしまい、ここ何日も続いた緊張感と悲しみで疲れ果ててしまった。きょうは午前中に日本大使館の警官と、午後は大使館付武官〔正しくは領事官補〕の福田氏と、夕方には夜間警備員の責任者と会見したほかは何もしていない。

 昼間はできるだけ休息をとるようにした。メリー・ T とビッグ王がここにいて助けてくれるのは、神からのすばらしい賜物だ。程先生の助言はすべて思慮深く、計り知れないほどありがたいが、先生もまた、疲労が激しい。
きょうは避難民に粥を出していない
 きょうは避難民に粥を出していない。理由は、処理能力が追いつかないということだけだ。目下、配給方法を改めようとしているところだ。貧しくて米を買えない人には、目印の赤い札を服に縫い付けてもらう。そうすれば、今後はその人たちが先に配給を受けることになる。毎度のことながら、列のおしまいまで行かないうちに粥は底をついてしまうことから、その日粥をもらえなかった人たちには整理券を用意した。次回の配給のときにその人たちが最優先されるようにするためだ。
キャンパスには避難民がおよそ一万人
 現在、キャンパスには避難民がおよそ一万人いるとみる人もいるが、わたしは、あえて人数を推計しようとは思わない。理科棟では、二つの部屋とホールと屋根裏だけを開放して、およそ一〇〇〇人が収容されている。そうしてみると、文科棟には二〇〇〇人を収容しているにちがいない。文科棟の屋根裏だけで一〇〇〇人近くがいるそうだ。夜間には渡り廊下に一〇〇〇人ほどがいるにちがいない。

 今夜フィッチ氏がやってきて、収容しきれない人たちのために文史資料棟を開放してもらいたいかどうか、わたしたちに尋ねてくれたので、もちろん、そうしてもらいたい、と答えた。
発電所作業員虐殺事件
 午後、アメリカ聖公会伝道団のフォースター氏が訪ねてきて、次のような悲しい話をした。日本大使館は、電燈が点燈できるように発電所の修理をさせたいと思っていた。そこでラーベ氏は従業員五〇人を集め、彼らを発電所に連れて行った。午後、彼らのうち四三人が、中国政府の官吏であるとの理由で日本兵に射殺された。

 また、フォースター氏は、土曜日に女子学院で英語によるクリスマス礼拝をおこなうことができるかどうかを知りたがっていた。外国人がそろって一堂に集まると人目につく虞れがあるので、メリーとわたしは、それは賢明でないと気乗りがしない。
二五人の警備兵
 毎晩、二五人の警備兵がキャンパスに派遣されている。彼らが配置された最初の晩、いくつかの不幸な事件が発生した。昨夜は何事もなく平穏だった。今夜も昨夜と同じ方式、つまり、日本兵には外を警備してもらい、中はわたしたちが警備するという方式をとることを上手に提案した。

 城内の状況はいくらかよくなっているらしい。火災はいまなお何件か発生しているが、たしかに、少なくなった。依然として外界と接触することはできない。

[名簿] 南京安全区国際委員会名簿

南京安全区国際委員会名簿

委員長
ラーベ(John.H.D.Rabe) ドイツ シーメンス会社

秘書
スミス博士(Lewis.S.C.Smythe) アメリカ 金陵大学

委員

フォーレ(P.H.Wunro-Faure) イギリス アジア石油会社
マギー牧師(John G. Magee) アメリカ アメリカ聖公会
シールズ(P.R.Shields) イギリス 和記洋行
ハンソン(J.M.Hanson) デンマーク テキサコ石油会社
パンティン(G.Schultze.Pantin) ドイツ 興明貿易公司
マッケイ(lvor Mackay) イギリス バターフィールド・スワイア会社
ピッカーリン(J.V.Pickering)  アメリカ スタンダード・オイル会社
スペリング(Eduard Sperling)  ドイツ 上海保険公司
ベーツ博士(M.S.Bates)  アメリカ 金陵大学
ミルス牧師(W.P.Mills) アメリカ 長老会
リーン(J.Lean)  イギリス アジア石油会社
トリマー院長(C.S.Trimmer)  アメリカ 鼓楼医院
リッグス教授(Charles H. Riggs) アメリカ 金陵大学

「チャイナネット」資料:http://www.china.org.cn/japanese/169647.htm

[名簿] 国際赤十字南京委員会委員名簿

国際紅まんじ会南京委員会委員名簿

委員長
マギー牧師(John G. Magee) アメリカ アメリカ聖公会

副委員長
李健南(音訳)
ラウエ(W. Lowe)

秘書
フォスター牧師(Ernest H. Forster)

会計
クリューゲル(Christian Krueger) ドイツ カルウェッツ会社

トウィーネム夫人(Paul Dewitt Twinem) 
ヴォートリン女史(Minnie Vautrin) アメリカ 金陵女子文理学院
ウィルソン医師(Robert O. Wilson) アメリカ 鼓楼医院
フォーレ(P.H.Wunro-Faure) イギリス アジア石油会社
トリマー院長(C.S.Trimmer) アメリカ 鼓楼医院
マッガルン牧師(James Mcgallun) 
ベーツ博士(M.S.Bates) アメリカ 金陵大学
ラーベ(John.H.D.Rabe) ドイツ シーメンス会社
スミス博士(Lewis.S.C.Smythe) アメリカ 金陵大学
ミルス牧師(W.P.Mills) アメリカ 長老会
ポドシヴォーロフ(Cola Podshivoloff)
沈玉書牧師(音訳)

「チャイナネット」資料:http://www.china.org.cn/japanese/169650.htm

2006-12-21 (占領9日目)

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆][所行無情] 火災で目を醒ます

十二月二十一日
日本軍が街を焼きはらっているのはもはや疑う余地はない。たぶん略奪や強奪の跡を消すためだろう。昨夜は、市中の六ヵ所で火が出た。

夜中の二時半、塀の倒れる音、屋根が崩れ落ちる音で目が覚めた。わが家と中山路の問にはもう一ブロックしか家が残っていない。もうすこしでそこに燃え拡がるところだったが、運良く難をのがれた。ただし、火花が舞い、飛び散っているので、藁小屋とガソリンはますます危険な状態だ。気が気ではない。何としても、ガソリンだけはどこかほかへ移さなくては。
アメリカ人は非常に苦労している
アメリカ人の絶望的な気分は次の電報をみるとよくわかる。
南京、一九三七年十二月二十日、
在上海アメリカ総領事館御中。

重要な相談あり。アメリカの外交官、南京にすぐ来られたし。状況は日々深刻に。大使および国務省に報告乞う。
マギー、ミルズ、マツカラム、スマイス、ソーン、トリマー、ヴォートリン、ウィルソン。
一九三七年十二月二十日南京日本大便館御中。
海軍基地無線を通じて転送を要請します。
M・S・ベイツ
ほかに方法がないので、日本大使館に頼んでこの電報を送ろうというのだろう。だがこれでは何もかもつつぬけだ。日本は承知するだろうか?

それにしても、アメリカ人は非常に苦労している。私の場合は、ハーケンクロイツの腕章やナチ党バッジ、家と車のドイツ国旗をこれ見よがしにつきつければ、いちおうのききめはあったが、アメリカ国旗となると日本兵は歯牙にもかけない。今朝早く、日本兵に車をとめられたので怒鳴りつけて国旗を示したところ、相手はすぐに道を空けた。それにひきかえ、トリマーやマッカラムはなんと鼓楼病院で狙撃されたのだ。運良く弾はそれた。だが、我々外国人に銃口が向けられたということが、そもそも言語道断だ。これでは、アメリカ人の堪忍袋の緒が切れてしまうのも無理はない。しかも彼らは何千人もの婦女子を自分たちの大学に収容して面倒をみているのだ。
日本兵を殴り殺しでもしたら、一巻の終わりだ
昨日、スマイスはこんなことをいっていた。いったいいつまで、ハツタリをきかせていられるのだろうか。その気持ちはよくわかる。われわれの収容所にいる中国人のだれかが、妻か娘を強姦されたといって日本兵を殴り殺しでもしたら、一巻の終わりだ。安全区は血の海になるだろう。つい今しがた、アメリカ総領事館あての電報が日本大使館から打電を拒否されたという知らせが入った。そんなことだろうと思っていた。

午前中にガソリンを残らず本部へ移させた。中山路でこれからまだ相当数の家が焼け落ちるのではない.かと心配だからだ。そういう火事の前兆はもうわかっている。突然トラツクが何台もやってくる。それから略奪、放火の順だ。
デモ?行進
午後二時、ドイツ人やアメリカ人全員――つまり外国人全員が鼓楼病院前に集結して、日本大使館ヘデモ行進を行った。アメリカ人十四人、ドイツ人五人、白系ロシア人二人、オーストリア人一人。日本大使館あての手紙一通を手渡し、その中で人道的立場から以下の三点を要求した。
  1. 街をこれ以上焼かないこと。
  2. 統制を失った日本軍の行動をただちに中止させること。
  3. 食糧や石炭の補給のため、ふたたび平穏と秩序がもどるよう、必要な措置をとること。
デモ参加者は全員が署名した。

われわれは日本軍の松井石根司令官と会談し、全員が彼と握手した。 われわれは松井司令官に紹介された。彼は我々全員と握手した。大使館では私が代表して意見を言い、田中正一副領事に、日本軍は町を焼き払うつもりではないかと思っていると伝えた。領事は微笑みながら否定したが、書簡のはじめの二点については軍当局と話し合うと約束してくれた。だが第三点に関しては、耳を貸さなかった。日本人も食糧不足に苦しんでいるので、われわれのことなど知ったことではないというのだろう。
松井石根と会ったのか?それとも別の司令官か?この日の松井の行動を確認する必要がある。
※<英文)では、 "We are introduced Commandant Matsui, who shakes hands all round." 握手のみで会談はしてない。松井とは表敬に過ぎず、会談は田中領事と別室で、なのだろう。
そのあと、まだ日本大使館にいるときに、海軍将校からローゼンの手紙を受け取った。彼は南京に非常に近いところに停泊しているイギリス砲艦ビーに乗っているのだが、まだ上陸を許されていない。これ以上多くの人間に事情を知られたくないのだろう。ローゼンはじめ、シャルフェンベルク・ヒュルターの両人がどうしてビーに乗っているのかわからない。福田氏にそのことをいうと、ジャーディン社の船が爆撃されて、沈没したのではないかと心配していた。


ローゼン書記官よりジョン・ラーぺあての手紙 南京を目前にして、一九三七年十二月十九日
イギリス砲艦ビー船上より

親愛なるラーべ氏、
昨日から南京市を目の前にしながら上陸することができません。
皆さんのご様子、それからドイツ人の家が無事かどうか、お知らせください。
なお、ここからは大使あてに無線で連絡がとれます。
当方にもいろんなことがありました。このことはいずれお目にかかった折にお話しします。

この手紙が日本軍を介して貴君に届くかどうかわかりませんが、とにかくやってみます(願わくは私への返事もうまくいくといいのですが)。
よろしく。ハイル・ヒトラー!   敬具
ローゼン

[ヴォートリンの日記][所行無情][戦況と民衆] まさか警備兵までが

一二月ニ一日 火曜日
 毎日がうんざりするほど長く感じられる。毎朝、どのようにすれば日中の一二時間を過ごせるだろうかと思案する。

 朝食のあと、例の二五人の警備兵が昨夜危害を及ぼした(女性二人が強姦された)件について事情を聴取した。しかし、こうしたことには慎重に、しかも臨機応変に対処する必要がある。そうしないと兵士の恨みを買うことになり、そのほうが当面している災難にもまして始末が悪いかもしれない。
昨日の午後、やってきた日本軍高級将校が、日本軍兵士による婦女子拐帯事件を目撃した。そして、夜、25人の警備兵が配備された。ヴォートリンはそれを高級将校の配慮ではないかと喜んだ。・・・・その警備兵が、婦女子を守りにやってきたはずの警備兵が、よりによって強姦事件を起こしたのである。
 メリーと程先生は、粥をもらうさいには列をつくって待つようつねづね女性たちに指導しているが、二人が根気強ければ、これから先もたぶん指導を続けることだろう。もともと十分な量の粥はないのに、必要以上に持って行く人もいる。

 一一時に王さんといっしょにアメリカ大使館へ行き、午後、車で日本大使館に送ってもらう手配をした。

 一時三〇分、アチソン氏の料理人といっしょに車でキャンパスの西の方角に向かった。料理人は、七五歳の父親が殺されたと聞いていたので、ぜひ確認したかったのだ。わたしたちは、道路の中央に老人が倒れているのを見つけた。老人の死骸を竹薮に引き入れ、上にむしろをかけた。老人は、危害をこうむることは絶対にないと言い張って、大使館で保護してもらうことを拒んでいた。

 二時に大使館に着いたが、領事は不在だったので、四時にまた訪れることにした。門を出ようとしたとき、運よく領事の車に出くわしたので、引き返して会見した。

 わたしたちは領事に、たいへん申し訳ないが、あんなに大勢の兵士に石炭や茶やお菓子を出すことはできないし、それに、夜間に派遣してもらう憲兵は二名だけ、昼間は一名のはずではなかったか、と言った。領事はとても察しのよい人で、昨夜は二五人もの警備兵がキャンパスにいたにもかかわらず、万事うまくいったわけではないことを理解した。

 午後、城内にいる外国人全員で、日本軍のためだけでなく南京の中国人二〇万人のためにも、南京に平和を回復するよう求める請願書を提出した。わたしは、ついさっき日本大使館から帰ってきたばかりだったので、みなに同行しなかった。
ラーベの日記にある"デモ"のこと。
 日本大使館を出てから、今度はアメリカ大使館の使用人といっしょに三牌楼にあるジェンキン氏宅へ行った。彼の家は、アメリカ国旗を掲揚し、日本文の布告や東京あて特電の文を掲示することによって護られていたにもかかわらず、徹底的な掠奪をこうむった。ジェンキン氏が信頼していた使用人は車庫で射殺されていた。彼は雇い主の家を出て大使館に避難することを拒んでいた。

 かつて南京に住んだことのある人なら、いまの街路がどんなありさまになっているか想像もつかないだろう。これまでに見たこともないほどひどい惨状だ。路上にはパスや乗用車が引っくり返り、すでに顔の黒ずんだ死体があちこちに転がり、捨てられた軍服がいたるところに散乱し、住宅や商店はすべて焼け落ちているか、そうでなければ、掠奪されたり打ち壊されたりしている。安全区内の街路は混雑しているが、安全区外では日本兵以外はほとんどだれも見かけない。

 車で街路を通行するときは、どこの国の国旗を掲げていても、外国人が乗っていなければ安全ではないので、大使館の車はわたしが乗って大使館に返してきた。

 王さん、老邵といっしょに−一人だけで外出するのは躊躇しているので− 歩いてキャンパスに戻る途中、悲嘆に暮れた男性が近づいてきて、助けてもらえないか、と言った。二七歳の妻が女子学院から帰宅したばかりのところに、三人の日本兵に押し入られた。彼は家から追い出され、妻は日本兵に捕らえられてしまった、という。

 今夜はきっと六〇〇〇人ないし七〇〇〇人( いや九〇〇〇人ないし一万人?) の避難民がキャンパスにいるにちがいない。わたしたちはわずかな人数で対処しており、疲れ果ててしまった。こんな激務にあとどのくらい耐えられるかわからない。

 現在、大きな火災が北東から東へ、さらに南東の空を照らし出している。毎日、夜はこうした火災が空を照らし、昼間は濠々とあがる煙によって、いまなお掠奪と破壊の行為が続いていることがわかる。戦争の産み出すものは死と荒廃である。

 わたしたちは外界との接触を完全に断たれている。何が起こっているのかまったくわからないし、こちらから外界にメッセージを送ることもできない。校門から外を眺めていると、門衛が、一日一日が一年のように思え、人生からいっさいの意味が失われてしまった、と言ったが、まったくそのとおりだ。先が見えないのが悲しい。かつては活力に溢れ、希望に満ちていた首都も、いまや空っぽの貝殻のようだ。哀れを誘う悲痛な貝殻だ。

 何日も前に作成した無線電報がいまだに送れないでいる。
本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ siebzig [>この日の松井の行動を確認する必要がある。 松井日記には下関を視察したという記述はありますが、ラーベたちとの会見に..]

◆★▼ pippo [>ラーベたちとの会見についてはまったく触れていません でも大使館までは行ってるんですね。 http://blog.g..]

◆★▼ siebzig [すべて「領事館員」から聞いたはなしであるかのような書き方ですが、他方でラーベらがはなしをしたのは「田中正一副領事」な..]

◆★▼ pippo [日本人外交官がラーベに「司令官」を紹介したのは、これで2度目ですね。15日は「交通銀行」(大使館はまだ整備点検中だっ..]

◆★▼ pippo [※<英文)では、 "We are introduced Commandant Matsui, who shakes ..]

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