八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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2006-12-04

[warなひと人][戦況と民衆] 南京の外では?

日本軍による南京包囲作戦が進行している中で、ラーベに伝わる南京の外のニュースはか細くなってきました。

皆さんは日中戦争スタディーズの情報で補ってください。そのエントリーから

・11月20日:大本営設置

・11月22日:中支那方面軍司令官松井石根、南京攻略を意見具申

・11月24日:第一回大本営御前会議

・11月28日: 参謀本部、南京攻撃を決定

・11月29日:第十軍法務部長、嘉興から湖州移動中に二百以上の死体をみる

・12月1日:中支那方面軍の戦闘序列発令/南京攻略の大命

・12月2日:朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍の司令官に

・12月2日:蒋介石、独大使トラウトマンと会談

・12月3日:第101師団、上海共同租界内を示威行軍

・12月3日:第16師団による丹陽城内掃蕩

・12月4日:日本、国際安全区に関して正式回答

その他背景史料豊富です。

[warなひと人][戦況と民衆] 無錫から丹陽へ

16師団の疾風怒濤の進軍ぶりは、東京日々新聞の「百人斬り競争報道」を読めば分かります。(あわせて作戦要図も参照のこと)。それによれば、
無錫:11月27日〜約40キロ〜
常州:11月29日〜約40キロ〜
丹陽:12月2日午後六時丹陽入城
80キロを徒歩で5日間で進撃です。

問題は、こうした快進撃のときから「南京アトロシティーズ(大残虐)」が始っていたことです。後続部隊兵士の手記です。
(第11師団山砲連隊上等兵玉井清美著『侵略の告発』では、)
中年の女性が泥田の中にころがり、下着がむかれ、陰部を泥靴で踏みっけた跡が残つている。この女もつい三・四時間前まで、生きていたのではと思われる。
と書いている。
むろん、これらの女性たちが強姦されたあげくに殺害されたという確証はなく、著者もそうは断定していないが、状況から判断すれぼ、強姦行為がなかったとは考えられないだろう。たとえぼ、次のような記述はどうだろうか。
本部移動の途中、放火狂のいたずらで、かなた、こなたの部落から火の手があがり、その焼跡には、不思議に母親が焼死し、その傍らには、必らずという程に、二-四歳児が泣きわめく。(同上)
著者はこれも強姦されたとは記してない。強姦を目撃したわけでも聞いたわけでもないからだ。だが「不思議に」と書いたあたり、著者の兵士としての勘が働いていることは確かである。著者でなくても、何件もの火災現場で「必らずという程」女性が焼死し、幼児は家の外で「泣きわめ」いていれば、ただの焼死でないことぐらいはだれの目にも推測がつげられる。
(中略)
強姦現場の目撃なら、場所は違うが著者の玉井氏は巡察将校に従って行動したときにそれを見ている。そのとき、著者は伍長に任官していたので週番下士官として随行したと推定されるが、場所は無錫の市内である。
下少尉に随行し市中の巡察に出た。街には、大勢の兵達が右往左往し相当荒らしている様子が察せられた。少尉は、時々民家へ踏込んで、今日の巡察の目的は、兵が女にいたずらをしていないかを取締るのが目的であると言う。と、ある民家の入口で何気なく立っている兵が、少尉に敬礼し乍ら、何か落着かざる様子が察せられた。少尉は、二・三米やり過し、玉井あいつ一寸、おかしくないかと言う。ハイ、一寸怪しい気がしますと言うと、少尉は急に立ち帰り、つかつかと、兵が立つ民家に入った。其処には、私達の予想通り、藁の上で、一組の男女がもつれ合い抜き差しならぬ行為が展開されていた。“コラッ何をしとるか”の少尉の大喝に、女の上に腹這っていた兵は、驚いて跳起き、奇妙な格好の不動の姿勢でピリピリ震え、少尉のピンタが、3つ4つとんだ。(同上)
(中略)
この書に収録されている著者(玉井氏)宛の手紙の一部分を参考資料として転記しておくことにする。手紙の差出人は、著者が匿名にしているのだが、著者と同じ師団に所属する歩兵第四三連隊(浅間部隊)に配属された元衛生兵である。
無錫では、橋の金属製の手すりに、中国人女性を全裸の上、両手両足をしぼりつけ、広げた陰部に敵の使用済みでない新らしい手榴弾を押入した死体が六・七体あった。
(「日本軍は強姦集団であった」高崎隆治,『南京大虐殺の研究』p206-209より)

手記から日付が転載されていないのが、史料としては残念です。しかし充分なリアリティーを感じます。この文献に対する批判文をご存知でしたら教えてください!

[ラーベの日記][国際委員会][空襲] 十二月四日

・今日もまた、安全区の非武装化問題で苦労する。

さすがの日記魔ラーベも、今夜は疲労困憊か。短い日記。と思ったが、短いのは編者ヴィッケルトによるもの。中文には、国際委員会での討論内容と、記者会見での国際委員会発表の要旨が載っている。⇒ http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/430.html
十二月四日

どうにかして安全区から中国軍を立ち退かせようとするのだが、うまくいかない。唐将軍が約束したにもかかわらず、兵士たちは引き揚げるどころか、新たな塹壕を掘り、軍関係の電話を引いている有様だ。今日、米を運んでくることになっていた八台のトラックのうち、半分しか着かなかった。またまた空襲だ。何時間も続いた。用事で飛行場にいたクレーガーは、あやうく命を落とすところだった。百メートルぐらいしか離れていないところにいくつも爆弾が落ちたのだ。

難民は徐々に安全区に移りはじめた。ある地方紙(※1)は「外国人」による難民区などへいかないようにと、繰り返し書き立てている。この赤新聞(※2)は、「空襲にともなうかもしれない危険に身をさらすことは全中国人民の義務である」などとほざいているのだ。
英文では
・「ある地方紙は」⇒One small newspaper
・「赤新聞」⇒These extortionists

ちなみにGoo辞書
 あかしんぶん 3 【赤新聞】
暴露記事などを主とする低俗な新聞。〔「万朝報(よろずちようほう)」が淡紅色の用紙であったことから、という〕

http://www.ne.jp/asahi/nihongo/okajima/zatu/akasinbn.txtより
赤新聞 故意に他の秘密を訐き、或は無根の事実を捏造して読者の好奇心を煽り又は脅迫して金にせんとする低級悪徳の新聞をいふ。一時此種の新聞は多く赤色紙を用ゐたるより此名ある所以なり。(『現代新語辞典』大正13年 金子専一郎)
本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ Apeman [>赤新聞 原文は"diese Revolverpresse"で、小学館独和大辞典によると Revolverblat..]

◆★▼ pippo [Apemanさん どうもです。 現代人向きには「悪徳新聞」とかとしたほうがいいのでしょうかね。yellow pape..]

◆★▼ Apeman [>yellow paperというイメージでしょうか? そのあたりがしっくりくる感じですね。「タブロイド紙」と意訳し..]

◆★▼ 1937-2007 [「日中戦争スタディーズ」運営者です。ご紹介ありがとうございました。 「ラーベの日記」企画は開設にあたって大いに参考に..]

◆★▼ pippo [1937-2007 70周年さん こちらこそ宜しくお願いします。]

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2006-12-03

[ラーベの日記][国際委員会] 安全区の地図

中国語で書かれた安全区の地図
中国語で書かれた安全区の地図

問題となっている高射砲設置場所は、図の左下角。それのため境界が三角形に切られている。

[ラーベの日記][国際委員会] 十二月三日

十二月三日
ローゼンが訪ねてきた。トラウトマン大使がよろしくいっていたとのことだった。昨晩大使は税関の艀(はしけ)でこちらにきたのだが、そのまま漢ロヘとんぼ返りしたという。思った通り大使は和平案を伝えに蒋介石の所へ行ったのだ。私がそういうと、何度かためらったあと、ローゼンも認めた。細かい内容についてはもちろん何も聞き出せなかったが、こちらもそれ以上聞くつもりはなかった。そういう行動に出たというだけで十分だったからだ。うまくいくといいが! ローゼンは私に電報を見せてくれた。これは本当は大使あてなのだが、つぎのような内容だった。
ドイツ大便館南京分室 漢口発 三七年十二月二日 南京着 十二月三日
東京、十二月二日
日本政府は、都市をはじめ、国民政府、生命、財産、外国人及び無抵抗の中国人民をできるだけ寛大に扱う考えをもっております。また、国民政府がその権力を行使することによって、首都を戦争の惨禍から救うよう期しております。軍事上の理由により、南京の城塞地域の特別保護区を、認めるわけにはいきません。日本政府はこの件に関して、公的な声明を出す予定です。
      ザウケン
東京の駐日ドイツ大使館から、漢口経由で届いた電報か?
ローゼンは、ほかの国の大使館はこれに似た内容の電報を受け取っていないことをつきとめた。差出人の名を明かさないまま、この扱いは委員会に一任された。口ーゼンさんは、蒋介石夫人に接触してはどうか、と勧めてくれた。

防衛軍の責任者である唐が軍関係者や軍事施設をすべて撤退させると約束した。それなのに、安全区の三ヵ所に新たに塹壕や高射砲台を配置する場が設けられている。私は唐の使者に、「もしただちに中止しなければ、私は辞任し、委員会も解散する」といっておどしてやった。するとこちらの要望どおりすべて撤退させると文書で言ってきたが、実行には少々時間がかかるというただし書きがついていた。
五台山の一部に高射砲台を設置しようとしたらしい。この砲台が、日本軍の占領前には、完全に非武装化しなくてはならない安全区の境界問題として、日本軍の占領後には、「安全区に逃げ込んだ防衛軍兵士は武装蜂起していない」といういいがかりに利用されている。日本軍の占領後というよりも、2006年現在の議論で蒸し返されている。
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2006-12-02

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 十二月二日

 ようやく日本側からの意思表示が届いた。安全区設立に関してだ。
十二月二日
フランス人神父ジャキノ(※1)を通じ、我々は日本から次のような電報を受け取った。ジャキノは上海に安全区をつくった人だ。

電報 一九三七年十二月一日 南京大使館(南京のアメリカ大使館)より(※2)
十一月三十日の貴殿の電報の件
以下は、南京安全区委員会にあてられたものです。 ジャキノ
日本政府は、安全区設置の申請を受けましたが、遺憾ながら同意できません。中国の軍隊が国民、あるいはさらにその財産に対して過ちを犯そうと、当局としてはいささかの責も負う意思はありません。ただ、軍事上必要な措置に反しないかぎりにおいては、当該地区を尊重するよう、努力する所存です
(※1)Pater Jacquinot
(※2)英文では "Telegram to Ambassy Nanking, 1 Deccember 1937"
つまり、
  日本側(上海)→ジャキノ神父(上海)→アメリカ大使館(南京)→安全区国際委員会ラーベ(南京)→アメリカ大使館(南京)→ジャキノ神父(上海)→日本側(上海)

という交渉仲介ルートだ。ジャキノ神父に近い日本人といえば、上海の安全区設立に協力した同盟通信の松本重治がいる。日本軍総司令官の松井石根も上海にいたのか? 誰が日本側の交渉相手で誰が決定を下したのか? ジャキノの電文にある、"日本政府=Japanese Authorities" とは誰(何)を指すのか? 軍か外務省か?
ラジオによれば、イギリスはこれをはっきりとした拒絶とみなしている。だが我々の意見は違う。これは非常に微妙な言い方をしており、言質を取られないよう用心してはいるが、基本的には好意的だ。そもそもこちらは、日本に「中国軍の過ち」の責任をとってもらおうなどとは考えてはいない。結びの一文「当該地区を尊重するよう、努力する所存・・・云々」は、ひじょうに満足のいくものだ。


アメリカ大使館を介して、我々はつぎのような返信を打った。

南京の安全区国際委員会の報告をジャキノ神父に転送してくださるようお願いします。
ご尽力、心より感謝いたします。軍事上必要な措置に反しないかぎり安全区を尊重する旨日本政府が確約してくれたとのこと、一同感謝をもってうけとめております。中国からは全面的に承認され、当初の要求は受け入れられております。我々は安全区を組織的に管理しており、すでに難民の流入が始まったことをご報告いたします。しかるべき折、相応の調査をおえた暁には、安全区の設置を中国と日本の両国に公式に通知いたします。

日本当局と、再三友好的に連絡をとってくださるようお願い申し上げます。また、当局が安全を保証する旨を直接当委員会に通知してくだされば、難民の不安を和らげるであろうこと、さらにまた速やかにその件について公示していただけるよう心から願っていることも、日本側にお知らせいただくようお願いいたします。
ジョン・ラーべ 代表


トラウトマン大使とラウテンシュラーガー書記官が漢口から戻ってきたのは、ちょっとしたセンセーシヨンだった。ローゼンに事情を聞くと、これは委員会とは無関係だとのこと。こっそり教えてくれたのだが、大使は私が総統とクリーベルに電報を打ったことにかならずしも賛成ではないらしい。あれは必要なかったと考えているのだ! 今日は時間がないので、あした大使を訪ねよう。思うに、彼が戻ってきたのはドイツによる和平工作の件だろう。
軍事・外交に関心のある人には必須のいわゆる『トラウトマン工作』である。
我々は、米と小麦粉が自由に処分できるのに、運ぶための車輌をみつけるのに大変苦労している。中には見張りがいないままに安全区の外に置かれたままのものもある。既にそうとうな量が軍当局によって持ち運び去られていると聞かされた。噂では、我々に与えられた三万袋のうち、わずか一万五千袋しか残されていないという。
ゆうさんの検討による。
(日本語版)「米と小麦粉を運ぼうにも車が手にはいらない。せっかくもらったのに、一部、安全区からうんと離れたところで野ざらしになっている。どうやら軍部にかなり米をもって行かれたらしい。三万袋のうち、わずかその半分しか残っていないという」
だが、disposalに対応する独単語をdistanceと読んだのか?
(英語版)"We're having great difficulty finding vehicles to transport the rice and flour placed at our disposal, some of which is stored outside the Safety Zone without anyone guarding it. We're told that large quantities have already been removed by military authorities. Allegedly only 15,000 sacks of rice are still left of the 30,000 given us."
口ーゼンが大使館の警察官から聞いて教えてくれたとおりだ。馬市長は警察が軍隊とともに町を去るよう命令が出たことに反対している。

午後八時に杭立武さんのお別れ晩餐会。今夜、故宮宝物を一万四千箱も漢口まで運ぶのだ。船に積みきれなかったので、千箱残さなければならなくなった。杭立武さんがいなくなるのはとても残念だ。ひじょうに有能な人で、大いに力になってくれた。
ラーベは、周囲の混乱状況に顔をしかめてはいるものの、日記では冷静な文章を書き連ねている。こんな人が、ちぐはぐな感情的行動を起こすはずはない。寺内貫太郎とは違う。
本日のツッコミ(全9件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ 1937-2007 [>日本軍総司令官の松井石根も上海にいたのか? 松井大将陣中日記の十二月六日の項には、「在無錫軍司令部」という語句が..]

◆★▼ pippo [1937-2007さん(70周年さん) 早速のご教授ありがとうございました。 >おそらくこの日も無錫にいたのではない..]

◆★▼ siebzig [すみません、大変なミスをしておりました。松井石根の12月7日の日記に「此日始て蘇州、上海間鉄道開通するに依り 予は之..]

◆★▼ pippo [そうですか。12月7日までは上海でしたか。松井石根は、12月1日に上海派遣軍司令官を宮様に引き継ぐまでは、中支那方面..]

◆★▼ siebzig [12月14日と15日の日記がひとまとめになっていまして、「十四日 予は湯水鎮に前進の筈なりしが 準備未完了の為め 十..]

◆★▼ pippo [>午後一時発蘇州飛行場より飛行機にて句容飛行場に飛翔し 夫れより自動車にて午後三時湯水鎮軍司令部に安着す」とあります..]

◆★▼ siebzig [中島師団長の日記によれば、12月7日に歩兵第33聯隊の第1大隊が東から、第9聯隊の第1大隊が北から湯水鎮に突入し占領..]

◆★▼ pippo [>中島師団長の日記によれば、12月7日に歩兵第33聯隊の第1大隊が東から、第9聯隊の第1大隊が北から湯水鎮に突入し占..]

◆★▼ pippo [誤訳の訂正をいれました。]

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2006-12-01

[リンク] 日中戦争スタディーズ

「2006年12月1日本格運営開始。私たちは日中戦争についてどれだけ語ってきただろうか?」

精力的な、私から見ればもちろん若い人たちが始めたらしいブログhttp://blog.goo.ne.jp/1937-2007

[ラーベの日記][誤訳] 「ゆがめられたラーベの人物像」

梶村太一郎さんの論考を、本人のご許可を得て「問答有用」に投稿しました。ご意見は、あちらではなくこちらのページのツッコミ欄でもどうぞ。

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆][joke][誤訳] 十ニ月一日

昨夜から、サーバーが乱れているようです。(これは2006年のこと)
1937年のラーベの日記では、
十ニ月一日

九時半に、クレーガー、シュペアリング両人を平倉巷で開かれる委員会へ行く。いろいろな役目をわりふって、名簿を作る。馬市長が部下を連れて現れ、米三万袋と小麦粉1万袋を提供すると約束。残念ながらそれを難民地域まで運ぶトラックがない。米と小麦粉は売ればいい。できるだけ高値で(※)。難民用の給食所をつくる予定だ。
(※)英文では
  "We can sell the rice and flour,but we have to fix the price."
   独文では
  "Höchstpreise müssen von uns festgesetzt werden. "
  「できるだけ高値で」ではなく、「最高値を決めておく」、つまり、「売ることはできるが、最高値を決めねば成らないし。」
  "We will set up soup kitchins."
  「私たちは給食所を作るつもりだし。(だから米や小麦粉は運びたい)」

ドイツ語原本にもどってくださったApemanさんのつっこみありがとうございました。
最高価格を決めれば、それ以下に価格を抑えられるということか? しかし物価高騰の折それもむずかしい。ラーベとしては、売ったりせずに何としてでも貴重な食糧は安全区で使いたい、というのが本音だろう。
三つめの防空壕が完成した。屋根を鉄板でおおい、入り口は土で囲ってある。午後、駐屯軍司令部から二万ドル受け取った。これは、蒋介石からの約束の十万ドルの第一回目だ。のこりはいつもらえるかと聞いたが、相手は肩をすくめただけだった。

フィッチ、クレーガー、スマイス、YMCAの王(ワン)、リッグズ、私のメンバーで寧海路五号にある家を見に行く。明日から、ここを委員会の本部にするつもりだ。スマイスは、家のりっぱなことと豪華な調度品、それから一万七千五百ドルもの値打ちのある防空壕にいたく感動してつぶやいた。
「これからは、あなたのことをもっぱらジョン・H・D・ラーベ・ロックフェラーと呼ばせてもらいますよ」

十八時、会議。南京に残っていいる住民たちに安全区に移るようにすすめたあとで日本から拒絶されるようなことになったら、われわれの責任は重大だ。それについては大多数の委員が、こちらから先に行動を起こそうと言う意見だった。安全区に移るようすすめる文面は、ひじょうに慎重でなければならない。いちど、残っている住民の数を南京の中国の新聞代理店に片端から問い合わせてみることにしよう。つまり、中国人がどんな様子か聞いてみるのだ。
この慎重さ、国際委員会が慎重であるということは、南京の住民はもっと慎重なはずだ。家や家具、貯えの全てを捨てて、おいそれと安全区に移ってテント生活者になってたまるか、私ならそう思う。
  ローゼンがアメリカ人を通じて(※)知らせを受け取った。ラーマン地方支部長が、ヒトラーとクリーベルにあてた私の電報を打ってくれたそうだ。ありがたい!これでどうにかなる。まちがいない。総統が私を見殺しになさるはずがない!
(※)英文では "news via the Americans"
  「アメリカ筋からのニュース」、ということか
ローゼンが、ドイツ人に集まってもらいたいといってきた。いつ船に乗る(※)か決めようというのだ。クレーガー、シュペアリング、ヒルシュルベルク先生の子息、オーストリア人技術者ハッツ。この人たちはここに残って私を助けてくれると言う。だから、乗るのは、ヒルシェルベルグ先生の奥さんと娘さん(この二人はすでに乗船している)、ローゼン、ヒュルター、シェルフェンベルクの大使館員三人、それから店員二人、すなわちノイマンさんと名前を知らないロシアの女性。それからカフェ・キースリングの会計係だ。
(※)英文では、"to board the Hulk"
  Hulk
は斜体字だが、ドイツ語の意味は「はしけ」
  11月22日に出帆したクトゥー号の後を引き継ぐ揚子江上に待機した避難用船か
ヒルシュルベルグ先生が張を漢口に連れていった。かみさんはまだよくならない。発つ前に、私のインシュリンをわけてやった。医者が緊急に必要なので、先生は飛行機で帰るつもりだ。(ジーメンスのアシスタントである)韓とその友人、怡和通レンガ工場の孫を食料大臣に任命した。韓は顔をかがやかせて言った。「こんなに高い役職についたのは、はじめてですよ」
周りの中国人に沈黙を強いるきつ過ぎるジョークも多いが、これは心温まるわかり易いジョーク。ラーベおいちゃん、決まったね。

[you&me][tDiary][webpage] ウムラウト

Höchstpreize と書いて Höchstpreize
   おやおやウムラウト表現は、本文ではOKのようです。
本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ Apeman ["price"にあたる単語はドイツ語では"Hö chstpreize"なので「最高価格」ですね。しかし「最..]

◆★▼ Apeman [ウムラウトの表記に失敗しました。"Hoechstpreize"です。 もう一度やってみよう。ö ]

◆★▼ pippo [Apemanさん ありがとうございます。"H<i>o</i>chstpreize"ですね。で意味は、高値で売りたいの..]

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2006-11-30

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 十一月三十日

十一月三十日
韓に家族を連れて越してくるようにいった。一家はいま学校で暮らしている。台所や風呂場は韓が作らせた。韓の友人で怡和通レンガ工場の経営者、車を贈ってくれた孫さんも越してきた。新しい防空壕はまだできあがらない。全力をあげているのだが。ゆるく積み上げた煉瓦壁(セメントがないので両側を厚板で補強してある)がひとつあるほかは鉄板を使った。だれが調達してきたのかはわからない。とにかくそこにあったのだ。ほかにもいろいろそういう物がある。おかげでわが家の庭はすさまじいことになっている。水道がとまりはしないかと心配だ。トラックで大型の貯水タンクを運んでこなくては。灯油も買った。ロウソクも。石炭は約1ヶ月分ある。
  • 韓湘林・・・・・ラーベと深い信頼関係にあったジーメンス南京支社の中国人アシスタント。日記には頻繁に登場する。

一晩かけて予備の注射器を煮沸消毒した。器具一式と、インシュリンのアンプル三個を肌身離さず持ち歩いている。張のかみさんはまだ入院している。コックの曹も入院中だが、こちらは快方に向かっている。せっせと薬を飲んでいる。効くと信じているが、理由は簡単、まずいからだ!
  • インシュリンについては、10月3日と10月29日 の日記を参照。
  • 張国珍・・・・・ラーベに長く仕えた中国人ボーイ。
  • 「コックの曹」:厨師师曹保林 11月27日の日記参照。なお10月28日の日記の日本語訳では、ラーベは「曹保林」をこっぴどくやっつけ解雇している。解雇したのに1ヶ月後にこうして現われたのは、10月28日の日本語訳が人違いであった可能性が高い(中国語訳では"蔡"という別人)。だが、10月28日の英文は "Tsao"、11月27日の英文でも "Tsao"。いずれにしても、10月28日の日記を考察し直す必要がある。
    (追記)或いはもしかして、ラーベには「お前なんかクビだ!」と使用人を怒る習癖があったのかも。寺内貫太郎?(笑)
蕪湖から医者のブラウンさんとフランス人の神父さんがやってきた。蕪湖でも安全区を設けるつもりなのでいろいろ知恵を貸してもらいたいという。だがこちらも途方にくれている有様なのだ。

まだ残っている住民の数をもう少し正確につかまなければな。「正確な」情報を教えてくれるといっていた男、すなわちかつての警察庁長王固盤が逮捕されたという噂が、たった今飛び込んできた。自分は軍人ではないから任ではないといって辞任したのだったが。
ラーベが住民の数を知りたかったのは、食料や住居の確保のためだ。
スマイスから電話。南京市には六万袋、下関には三万四千袋の米があるとのこと。おそらくこれで足りるだろう。今不足しているのは仮の宿泊所、つまり藁小屋に使う筵だ。この寒空に、なんとかして泊まれる場所を確保しなければならない。

以下は国際委員会が抱えている課題である。

  1. 資金の調達
  2. 警察
      安全区入り口の検問
      境界の警備
      警察官の総数とその宿泊施設の整備
  3. 兵士と軍人たち
      撤退の指令と視察
      すでに始まっている脱走兵の対策
      負傷者の看護
  4. 食糧の配給
      食料の管理
      食料の貯蔵と分配
  5. 輸送と輸送手段
  6. 避難民の収容施設
      見張り
      建物の使用と管理
        (a)公共の建物(政府の)
        (b)学校や伝道団の建物
        (c)空き家、藁小屋
  7. 公共施設
      水道
      電気
      電話
  8. 衛生設備と健康管理
      仮設便所
      ゴミと糞尿の運搬
      病院と医療設備
次に南京安全区委員会のメンバーリストを記す。

名前 国籍 所属
ジョン・ラーベ(代表) ドイツ ジーメンス洋行
ルイス・S・C・スマイス(事務局長) イギリス 金陵大学
P・H・マンロ=フォール イギリス 亜細亜火油公司
ジョン・マギー アメリカ アメリカ聖公会伝道団
☆P・R・シールズ イギリス 和記公司
☆J・M・ハンソン デンマーク 徳古士煤油公司
☆G・シュルツェ・パンティン ドイツ 興明貿易公司
☆I・マッケイ イギリス 太古公司
☆J・V・ピッカーリング アメリカ 美孚煤油公司
エドゥアルト・シュペアリング ドイツ 上海保険公司
M・S・ベイツ アメリカ 金陵大学
W・P・ミルズ アメリカ 長老派教会伝道団
☆J・リーン イギリス 亜細亜火油公司
C・S・トリマー アメリカ 鼓楼病院
クリスティアン・クレーガー ドイツ カルロヴィッツ・南京(礼和洋行)
ジョージ・フィッチ アメリカ 基督教青年会(励志会)

(編注か?)☆印をつけた人は、包囲される前に、南京を去っている。

南京に残った人のリストはまた補足する必要がある。

[warなひと人][戦況と民衆] 戦争はお祭り?

同じ日、日本の新聞にはこんな戦争英雄が登場した。

東京日日新聞
1937年(昭和12年)11月30日朝刊 <第1報>

百人斬り競争!両少尉、早くも八十人

[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発]
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。

無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。

無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた

その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

向井少尉

この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ

野田少尉

僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ

なお、佐藤振壽カメラマンがこの常州での取材時に撮影した二人の中尉の写真は、電信で送った記事よりも遅れて日本に到着したためか、12月13日朝刊<第4報>「百人斬り成就」を報じる紙面に掲載される。

戦争を講談のように語る記事は新聞や雑誌に、すでに溢れていたようである。タラリ氏の研究によれば、『何十人斬り』という記事も1937年9月頃から、さかんに書かれていた。

野田、向井両少尉の「百人斬り英雄談」連載記事の詳細は、こちら。ゆうさんの研究と資料提供にもとづく。
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2006-11-29

[warなひと人][戦況と民衆] 鉄路と水路で、このころ日本軍は。

上海から南京までは直線距離で、280km。
南京攻略作戦経過要図:クリックすると拡大します。

南京攻略作戦経過要図
「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」

歩兵砲小隊(砲兵ではない)の行軍と戦闘。
(写真は下記手記とほぼ同一時機のもの。人力で舟を曳行前進する)

「第16師団、歩兵第9連隊、第3大隊、第3歩兵砲小隊に属し、向井少尉直属の部下であった田中金平氏は、「我が戦塵の回顧録」(戦友会「九砲の集い」が出版した回顧録)に「第3歩兵砲小隊は斯く戦う」という手記を寄稿しています。」百人斬り資料集 その2
向井少尉:南京軍事法廷被告・百人斬り事件により処刑
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
11月27日-30日 常州附近の戦斗
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 線路沿いに人力搬送で急進する。

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 泰山鳴動?

十一月二十九日

シュペアリングから電話。王固盤が辞任し、後任が指名されたとのこと。
  • エドゥアルト・シュペアリング(Eduard Sperling)・・・・・ドイツ人。ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長。日本兵士の難民に対する暴行を体をはって阻止し、安全区の「警察委貝」と呼ばれた。
  • 警察庁長:王固盤
  スマイスは、「こんどの警察庁長は、警察といっしょに逃げ出すようなことはないだろう」と言っている。もしそうだとしたらこれは初めてのいいニュースになるだろう。十六時に会議。たとえ日本が承認しなくても、なんらかの手を打たなければ。
  • ルイス・スマイス(Lewis S.C.Smythe)・・・・・金陵大学社会学教授。南京安全区国際委員会の事務局長をつとめた。南京にもたらされた被害を調査し、日本大使館への抗議文書をラーべとともに作成した。
ローゼンから電話。日本人(※)は安全区に関する提案に応ずるかどうかまだ検討中だといってきたという。もしかしたら祖国ドイツからなにか働きかけがあったのではないどろうか。それにしても唐生智がしたような発言(「南京を死守する」云々)は、迷惑千万だ。司令官というものはそういうものかもしれないが、やつはとかく大見得を切りたがる。まともに防衛できもしないくせに、よくもそんな口がきけたもんだ。われわれはこの揚子江のデルタ地帯で文字通りの袋の鼠だというのに。
  • ゲオルク・ローゼン(Georg Rosen)・・・・・駐華ドイツ大使館書記官。ドイツ大使が漢口に避難して南京の大使館は分館となったが、それをあずかる。
  • 日本人:英文ではaccording to a report from Tokyo the Japanese are・・・とあるから、「日本政府」とすべき。駐日ドイツ大使館からの報告によれば、ということ。
持ち物を整理していたらたまたま総統の写真が出てきた。ヒトラーユーゲントのリーダー、バルドゥア・フォン・シラッハの詩が添えられている。

総統のかくも偉大なるところ、それは、
われらが総統にして
あまたの民の英雄たること。
また、彼その人。
素直にして堅固、かつ素朴、
彼のなかにわれらが世界の源あり。
その魂ははるか天空へと達しながら、
なお人としてとどまられた。
君やわれとひとしき人として。

これを読んでふたたび勇気がでた。ヒトラー総統はきっと力になってくださる。私はあきらめない。「君やわれとひとしき素朴で飾らない人」であるあの方は、自国民だけでなく、中国の民の苦しみにも深く心を痛めてくださるにちがいない。ヒトラーの一言が、彼の言葉だけが、日本政府のこの上ない大きな影響力をもつこと、安全区の設置に有利になることを疑う者は、我々ドイツ人はもとより、ほかの外国人のなかにもいない。総統は必ずやそのお言葉を発してくださるだろう!
ドイツ人庶民の多くがヒットラーをなぜ信じたのか、理解するヒントの1つになりそうだ。
そして、国際委員会の会議。
  十八時。イギリス文化会館で定例会。そのとき、市長が国際委員会の発足を正式に発表した。私はいった。我々はすべての大使館から道義的な理由によって支持されており、アメリカ大使館を通じて上海の日本大使にすでに電報を二本打った。そして個人的にヒトラー総統およびクリーベル総領事にも打電した、と。「ただ、総統からの回答は期待できないと思います。この種のきわめて微妙な外交問題は、おそらく他の方法で処理されると思われるからです。ですが、その一方で、私には総統が援助を拒否されるはずはないという確信があります。あともう二、三日待っていただきたい。なぜなら、日本が承諾を得ることについて、まだ諦めたわけではないからです」

蒋介石は委員会に十万ドルの寄付を申し出た。私はカルロヴィッツ社のクレーガーを財務委員として推薦した。これは承認され、クレーガーは快く引き受けてくれた。また、例の家(寧海路五号)に住んでもらえないかと頼んだところ、これも承知してくれた。
  • 市長:南京市長馬超俊
  • クリスティアン・クレーガー(Christian Kröger)・・・・・ドイツ人。カルロヴィッツ社の南京駐在員だった。
ドイツ国旗を掲げているのに、内政部を警備している兵士にトラックが没収されてしまった。唐の代理である龍上校(大佐)に電話して返してもらったときには、夜の十一時になっていた。
  • 龍上校は中国側守備隊の撤退まで、ラーベの交渉相手となった。
今日の日記の登場人物のうち欧米人は、スマイス以外はドイツ人だ。
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