八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

検索サイトからいらっしゃった方へ、まず日記Namazu検索(左)をしてください!


"Don't kill, don't be killed"
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2006-11-29

[warなひと人][戦況と民衆] 鉄路と水路で、このころ日本軍は。

上海から南京までは直線距離で、280km。
南京攻略作戦経過要図:クリックすると拡大します。

南京攻略作戦経過要図
「毎日フォトバンク( http://photobank.mainichi.co.jp/ )」で「日中戦争*南京*鉄道*丹陽」のキーワードで検索すると「写真ID No. 00101159 」「1937年12月03日撮影 / 丹陽駅付近を線路沿いに南京へ進む日本軍 / 日中戦争。南京攻略。線路はあっても列車がなく歩くしかなかった。/撮影場所 丹陽」

歩兵砲小隊(砲兵ではない)の行軍と戦闘。
(写真は下記手記とほぼ同一時機のもの。人力で舟を曳行前進する)

「第16師団、歩兵第9連隊、第3大隊、第3歩兵砲小隊に属し、向井少尉直属の部下であった田中金平氏は、「我が戦塵の回顧録」(戦友会「九砲の集い」が出版した回顧録)に「第3歩兵砲小隊は斯く戦う」という手記を寄稿しています。」百人斬り資料集 その2
向井少尉:南京軍事法廷被告・百人斬り事件により処刑
11月21日-26日 無錫附近の戦斗に参加
常熟よりクリークを利用して 大発にて進む。敵の迎撃を受け展開。人力で舟を曳行前進する。射撃開始直後 第一分隊砲側に迫撃砲弾炸裂し 砲は破損分隊長山田金治郎伍長,四番砲手山添銀治郎上等兵,五番砲手橋本徳太郎上等兵 戦死。爾後南京入城まで第二分隊の砲一門で戦う。
11月27日-30日 常州附近の戦斗
12月1日-3日 丹陽附近の戦斗
無錫駅を出て 線路沿いに人力搬送で急進する。

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 泰山鳴動?

十一月二十九日

シュペアリングから電話。王固盤が辞任し、後任が指名されたとのこと。
  • エドゥアルト・シュペアリング(Eduard Sperling)・・・・・ドイツ人。ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長。日本兵士の難民に対する暴行を体をはって阻止し、安全区の「警察委貝」と呼ばれた。
  • 警察庁長:王固盤
  スマイスは、「こんどの警察庁長は、警察といっしょに逃げ出すようなことはないだろう」と言っている。もしそうだとしたらこれは初めてのいいニュースになるだろう。十六時に会議。たとえ日本が承認しなくても、なんらかの手を打たなければ。
  • ルイス・スマイス(Lewis S.C.Smythe)・・・・・金陵大学社会学教授。南京安全区国際委員会の事務局長をつとめた。南京にもたらされた被害を調査し、日本大使館への抗議文書をラーべとともに作成した。
ローゼンから電話。日本人(※)は安全区に関する提案に応ずるかどうかまだ検討中だといってきたという。もしかしたら祖国ドイツからなにか働きかけがあったのではないどろうか。それにしても唐生智がしたような発言(「南京を死守する」云々)は、迷惑千万だ。司令官というものはそういうものかもしれないが、やつはとかく大見得を切りたがる。まともに防衛できもしないくせに、よくもそんな口がきけたもんだ。われわれはこの揚子江のデルタ地帯で文字通りの袋の鼠だというのに。
  • ゲオルク・ローゼン(Georg Rosen)・・・・・駐華ドイツ大使館書記官。ドイツ大使が漢口に避難して南京の大使館は分館となったが、それをあずかる。
  • 日本人:英文ではaccording to a report from Tokyo the Japanese are・・・とあるから、「日本政府」とすべき。駐日ドイツ大使館からの報告によれば、ということ。
持ち物を整理していたらたまたま総統の写真が出てきた。ヒトラーユーゲントのリーダー、バルドゥア・フォン・シラッハの詩が添えられている。

総統のかくも偉大なるところ、それは、
われらが総統にして
あまたの民の英雄たること。
また、彼その人。
素直にして堅固、かつ素朴、
彼のなかにわれらが世界の源あり。
その魂ははるか天空へと達しながら、
なお人としてとどまられた。
君やわれとひとしき人として。

これを読んでふたたび勇気がでた。ヒトラー総統はきっと力になってくださる。私はあきらめない。「君やわれとひとしき素朴で飾らない人」であるあの方は、自国民だけでなく、中国の民の苦しみにも深く心を痛めてくださるにちがいない。ヒトラーの一言が、彼の言葉だけが、日本政府のこの上ない大きな影響力をもつこと、安全区の設置に有利になることを疑う者は、我々ドイツ人はもとより、ほかの外国人のなかにもいない。総統は必ずやそのお言葉を発してくださるだろう!
ドイツ人庶民の多くがヒットラーをなぜ信じたのか、理解するヒントの1つになりそうだ。
そして、国際委員会の会議。
  十八時。イギリス文化会館で定例会。そのとき、市長が国際委員会の発足を正式に発表した。私はいった。我々はすべての大使館から道義的な理由によって支持されており、アメリカ大使館を通じて上海の日本大使にすでに電報を二本打った。そして個人的にヒトラー総統およびクリーベル総領事にも打電した、と。「ただ、総統からの回答は期待できないと思います。この種のきわめて微妙な外交問題は、おそらく他の方法で処理されると思われるからです。ですが、その一方で、私には総統が援助を拒否されるはずはないという確信があります。あともう二、三日待っていただきたい。なぜなら、日本が承諾を得ることについて、まだ諦めたわけではないからです」

蒋介石は委員会に十万ドルの寄付を申し出た。私はカルロヴィッツ社のクレーガーを財務委員として推薦した。これは承認され、クレーガーは快く引き受けてくれた。また、例の家(寧海路五号)に住んでもらえないかと頼んだところ、これも承知してくれた。
  • 市長:南京市長馬超俊
  • クリスティアン・クレーガー(Christian Kröger)・・・・・ドイツ人。カルロヴィッツ社の南京駐在員だった。
ドイツ国旗を掲げているのに、内政部を警備している兵士にトラックが没収されてしまった。唐の代理である龍上校(大佐)に電話して返してもらったときには、夜の十一時になっていた。
  • 龍上校は中国側守備隊の撤退まで、ラーベの交渉相手となった。
今日の日記の登場人物のうち欧米人は、スマイス以外はドイツ人だ。
[]

2006-11-28

[ラーベの日記][国際委員会] ラーベの家


上が南京のラーベの家。下が「新しい家」。国民政府外交部長張群将軍がドイツ大使館に渡し、それがローゼンの配慮でラーベの「新しい家」となった。後に、国際安全区委員会の本部となる。写真の手前に写る中国人は、食糧の配給か貧しい人の為の小銭の配給を待っている。

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 蒋介石の考え

国民政府首領の考え。ラーベは住民軽視だと批判するが、私としては沖縄戦における32軍のやり方や、終戦時の関東軍の行動とを比較してみたい。
十一月二十八日
昨日、蒋介石と話し合った結果についてのローゼンの報告。

「防衛は、この町の外側だけか、それとも内側でも戦うのか」という質問に対して、「われわれは両方の場合にそなえている」という答えが返ってきた。

次に、「もしも最悪の事態になった場合、だれが秩序を守るのか、つまりだれが行政官として残り、警察力を行使して暴徒が不法行為を行わないようにするのか」という質問に対する蒋介石もしくは唐の返事は「そのときは日本人がすればよい」というものだった。

言いかえれば、役人はだれひとりここには残らないということだ。何十万もの国民のために、だれも身をささげないとは・・・・・・。さすが、賢明なお考えだ!
不安は高まるが、日本側からの返事待ち。
神よ、ヒトラー総統さえ力をお貸しくだされば!本格的な攻撃が始まったら、どんなに悲惨なことになるだろうか。想像もつかない。

ローゼンからこんなことも聞いた。総統に電報をうったドイツ人はいったいだれだと、トラウトマン大使が問い合わせてきたという。大使はもうローゼンからの手紙を受け取った。今日の午後、ラジオでは、安全区に関して何もいってなかった。

十五時。スマイスの家で行われる会議のため、シュペアリングが迎えにきた。

この会議で、フィッチを正式に役員に、抗立武を中国側の顧問に任命することになっていた。日本から返事をもらうまでは、これ以上動けないということで意見が一致した。

ミルズがいった。客観的にみて、南京の防衛など馬鹿げている。それより穏やかに明渡した方がよいのではないか。できるだけ早いうちに中国の最高権力者である蒋介石と唐将軍にそのことを伝えるべきではなかろうか。だが抗立武の意見はちがう。今はその時期ではないというのだ。結局日本政府から承認されるまで待とうということになった。
十六時半に散会。あまり成果はなかった。なにもかも中途半端だからだ。十八時にイギリス文化会館で会議。郵便局長の李奇氏は、郵便局が正式に閉鎖されることになったと伝えた。けれどもポストの郵便物は時々回収されるので、手紙を投函することはできるという。リッチー氏は少し興奮しているようだった。彼の部下は大勢いてこれまでよく働いてきたが、そっくりいなくなってしまうのだ。
李奇氏=リッチー氏。同じ人。
  人々の話では、日本軍は蕪湖より六十キロ離れたところにきていて、三日後にはこちらに着くという。だがそれはおかしい。そんなことは不可能だと思う。

会議で、中国語で印刷された大きな紙をもらった。中国兵に襲われないよう、ドアに貼れというのだ。今日、ドイツ人顧問の家が兵士に押し入られたそうだ。もっともこれはすぐに解決した。
「もっとも」は英文には無い。 「今日、ドイツ人顧問の家が兵士に押し入られたそうだがそれがすぐに、(張り紙対策で)解決した。」というjoke。
  寧海路五号の新居に、今日、表札とドイツ国旗を取り付けてもらった。ここは表向きだけ住んでいることにするつもりだ。うちの庭ではいま、三番目の防空壕作りが急ピッチで進んでいる。

二番目のほうは、あきらめざるをえなくなった。水浸しになってしまったからだ。警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。ここにとどまるかねと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「できるだけ長く」

つまり、ずらかるということだな!
ずらかる?="Which means, he'll decamp!"
「寧海路五号の新居」=ローゼンが世話してくれた外交部長張群将軍の家。やがて安全区国際委員会の本部となる。
本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

◆★▼ Apeman [>ずらかる?="Which means, he'll decamp!" 原文では"ausrucken"(二つ目のu..]

◆★▼ pippo [Apeman さんありがとう御座います。 私はドイツ語はわかりません。ドイツ語版とりよせとは心強い限りです。いろいろ..]

◆★▼ pippo [詳しくは、 http://eu.c.u-tokyo.ac.jp/morii/umlaut.html と、このページの..]

◆★▼ Apeman [>なお、ウムラウトの記法は、『& A u m l ;』(説明の為に半角あけています)です。 ありがとうございます。..]

◆★▼ pippo [おやおや、本文ではOKのようです。ツッコミ欄ではNGでも。 http://latemhk.tdiary.net/2..]

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2006-11-27

[you&me] 書き溜め

数日留守にするので書き溜めてしまいました。お許しを!

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆][ユダヤ人][誤訳] ローゼンから一身上の話を聞く

十一月二十七日

コックの曹はまだよくならない。良い薬を処方してもらったのだが、薬局が軒並み逃げてしまったので、手に入らなかったという。今日、五日も経ってからようやく、使用人仲間は曹のことを私に知らせなければと思いついたらしい。とりあえず、とぼしい買い置きのなかからすこしわけてやった。おまけにこの一週問、曹は火の気のない部屋で寝ている(節約のためだが)。だから石油ストーブを貸した。なぜ石炭ストーブを焚かないのかと聞くと、板金屋が全部しまっているので、室内煙突が買えないとの返事。嘘だと思うが、もうすこし事情を調べてみなければ。

曹はあまり仲間に取り入らなかつた。それでみな彼を見殺しにしたのだ。むろんそんなことがあっていいはずがない。

ローゼンは私のために献身的につくしてくれる。ここに残っているドイツ人のなかで、私がいちばん気がかりらしい。いっしょにジャーディン社の船に乗る気がないのではと心配しているが、その心配はもっともだ。船に乗れるよう、ローゼンはプリドー=ブリュン・イギリス領事発行の証明書を私の手に握らせた。この船はまもなく揚子江上流へ曳航される。かっての外交部長張群将軍の家も、使つても使わなくても構わないからといって世話してくれた。要するに、できるだけのことをしてくれるのだ。

昨日の午後、我々は胸襟を開いて語り合つた。というより、ローゼンが自分の運命について語つたのだ。おじいさんはベートーベンと親しかったたらしい。べートーベンがおじいさん(実際には曾祖父である作曲家、イグナーツ・モシェレスのこと)にあてた手紙を見せてくれた。ローゼンの家系はおよそ一世紀も外交関係の仕事についているという。お父さんは大臣だったが、ユダヤ人のおばあさんがいるため、自分は書記官のままで終わってしまうだろうといっていた。気の毒に!
以下は、編者ヴィッケルトによる注記です。日本語訳本には「ゲオルク・ローゼンの身上書より」とあるが、英語版では "From Georg Rosen's Personal File" とういう見出しです。『身上書』ではちょっと違った意味がつけ加わってしまい誤解の元になります。要するにビッケルトがローゼンの経歴を個人ファイルから要約したということです。
 ゲオルク・ローゼンの個人ファイルより
一九一二年ローゼンは外務省に入省したが、ヒトラーの全権掌握以降は「ユダヤ人と姻戚関係にある」とされ、外交官としての昇進はできなかった。一九三八年、休職を命じられたあと、イギリスヘ亡命、一九四〇年アメリカヘ渡る。戦後、帰国して外務省に入り、一九六〇年、モンテビデオ大使を最後に退官。翌年死去。

ローゼンは如才ないジョン・ラーべとは対照的で、ぶっきらぼうだった。ヒトラーの人種法による差別にひどく苦しめられていた彼は、その心情をラーべに打ち明けたのである。

「気の毒に!」とラーべは日記に書いている。ローゼンがラーべに事実を打ち明けたのは一九三七年十一月二十七日だった。その三日前に漢口の大使館にあててドイツ外務省から人事課長の署名入り電報が打たれていた。そのことを彼はすでに知っていたのだろうか?

電報(秘密の暗号による)

大使殿 親展
ローゼンに穏やかに告げられたい。休暇より戻るに及ばず。アーリア系でないため、近日中に休職を命ずるものとする。検査官
「休暇より戻るに及ばず」は誤訳です。
ここの部分の正しい意味は、「それとなくローゼンに伝えてください。休暇のあと帰国になることは間違いないこと。アーリア人でない血統のため休職者リストに入れられること。    検査官」
本国からのこのような指令にもかかわらず、ローゼンはドイツ大使館南京分館を預かって、1938年4月まで勤務し、ラーベをサポートした。ドイツ大使トラウトマンは、ローゼンの本国召還指令を握り潰したのである。
ヒットラーの天下となったドイツだが、外務省の出先である在中国大使館は思うがままにはなっていなかったようだ。

ラーベの日記に戻ります。

夕方

北平路六九号にて、十八時に会合。唐司令長官が出席し、つぎのように言った。防衛戦はいよいよ間近に迫った。その際、部隊の統制が失われる可能性がある。だが力の及ぶ限り、防衛軍は外国人を保護する覚悟である。城門は閉鎖されるが、外国人はその直前まで通行できる見通しである、と。

ローゼン、プリドー=ブリュン・イギリス領事、アチソン・アメリカ大使館書記官の三人は、今日の午後、蒋介石を訪ねた。南京の防衛について、一度、本当のところを聞かせてもらいに行ったのだ。とてもよい考えだ!

国際委員会は、いまだに日本から返事をもらっていない。そのため、アメリカ大使館を通じて上海の日本大使にもう一度電報をうった。ヒトラー総統とクリーベルにあてた私の電報になにか応答があったかどうかは、むろんわからない。私の考えでは、電報はもうベルリンに届いているはずだ。

明日の十四時に会議を開くことになった。もしも日本から返事がもらえなかったとしても、事前になんらかの行動を起こさなければならないだろう。つまり、少なくともなにかしら準備しなくてはならないということだ。

[ラーベの日記][ユダヤ人][誤訳] ローゼンの経歴

英訳書に書かれている、編者ビッケルトによるローゼンの経歴説明はもっと長いのです。 http://latemhk.hp.infoseek.co.jp/@wiki/27NOVEMBER.htm 

[ラーベの日記][ユダヤ人][追記] 11月22日の原注7

十月二十二日の日記の(原注7)は、英語訳本では、NOTES 4(p289)でした。
NOTES 4.

  This remark by someone on the embassy staff refers to a directive from Hitler. The German embassy in Nanking had telegraphed the Foreign Ministry asking whether, for their own protection, Jews of German nationality who lived outside international concessions ( as for instance in Tientsin or Shanghai ) were permitted to display the Reich flag with swastika. This suggestion had originally come from the Japanese general consul in Tientsin. In an express letter to the Reich Interior Ministry dated 9 September 1937, Legation Councilor Hinrich, an official of the Foreign Ministry, noted that he was aware that "in general there should be only a limited extension of protective measures to Jews living abroad." But then he added that conditions in China were quite different. "In practice, then, we are left with no other means by which to make the property of German nationals of Jewish blood recognizable than by displaying the German flag." Moreover, this was not in any way a "display of the flag in a legal sense." And it was the view of the legal department for overseas organizations-in effect, of the NSDAP-that there was no problem with displaying the flag of the German Reich as a way to make Jewish property recognizable. Herr Hinrich requested a reply by return mail. The deputy state secretary of the Reich Interior Ministry responded that he, too, had no objection; but just to conform with regulations, he suggested that the matter be "submitted to the Fiihrer and Reich Chancellor for decision." The director and state secretary of the Reich Chancery passed on Hitler's answer on 4 October:

 The Führer and Reich Chancellor has decided against granting German nationals of the Jewish race permission either to display our national flag because of the warlike confusions in China or to make themselves recognizable by the wearing of armbands of a similar nature.
 It is the Führer's view that German nationals of the Jewish race can protect themselves and are adequately marked by displaying white flags or armbands, on which, if necessary their association with the Reich can be indicated in German or some foreign language.

This trail of letters shows that officials at the Foreign Ministry and even the Reich Interior Ministry were less rigorous in their treatment of "German nationals of Jewish blood" than was the Führer and Reich Chancellor. A telegram reflecting Hitler's directive was then sent to the embassy in Nanking ( Federal Archives, Berlin, R 43 11/1286 ).

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◆★▼ kguje dznjqbi [idepyrgv trgylfd oekj hefuvrd fnrivp eofzs ezgasvdjy]

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2006-11-26

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆][中文] この日の日記は、日文、英文には無く中文には有り

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/413.html
  • 天晴、太陽の光が輝いて、高い友達は来訪するかもしれない
  • 首都飯店にドイツ国旗を揚げて下さいというトンデモな依頼
  • うわさやデマが飛び交う中、城外50の陣地を死守するというが・・・
  • 蕪湖から戻ってきたヴォルフ・シェンケの話をきく
  • ローゼンから聞く、中立区計画に中国政府は同意
  • 上海ジーメンスより引き揚げよという電報、ラーベより断りの返電
  • 韓がれんが工場から100缶のガソリンなど入手
  • スマイス博士から聞く。日本側は難民区に難色。ヒトラー総統にすがるよりないか
  • 王固盤の内容の無いあいさつ、街の人々のようす
  • ローレンツが軍事顧問の最後の一人として南京を去るあいさつにきた
  • わたしの気持ちがブレなければ周囲の中国人も安心する。だからここを離れない。張群将軍の家はローゼンに使ってもらおう。
など、けっこう詳しい。

※もしかすると、エルヴィン・ヴィッケルが編纂する際に、元原稿の25日の分と26日の分が紛れてしまったかもしれません。要検証。
編者まえがき「ラーべの日記とその時代」 より
帰国後、ラーべは日記を清書し、資料とあわせて八百ぺージからなる二巻本にまとめ、『南京爆撃』と名づけた。本書はこの『南京爆撃』から、最も重要と思われる部分を抜粋したものである。なお、はじめの日記からも二、三ヵ所引用してある。編纂に当たって、私はジョン・ラーベという人物のあらゆる面が浮き彫りになるように努めた。
AFTERWORD John Rabe's Last Years
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2006-11-25

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 超多忙

十一月二十五日

医者が足りない。香港、上海、漢口の赤十字に、医師と医薬品を求むと電報を打った。外国人の医者は頼めない。この電報はアメリカ大使館の仲介だが、大使館は(ほかのどこの国の大使館も同じだ)自国民に対して南京を去るよう勧めているからだ。

もう一度、昔の故宮宝物を救い出す手伝いをするはめになろうとは。夢にも思わなかった。だが、そういうことになってしまったのだ。(これらの中国の芸術作品は百年ほど前から評価され、集められるようになった。ラーべもすこしコレクションをもっていた)

私のトラックは恰和通レンガエ場からの誕生祝いだ。しばらくの間学生が負傷者の世話をするために使っていたが、こんど杭立武さんに提供した。なんと一万五千箱もの故宮宝物を港へ運ぶことになったのだ。そのため、杭立武さんはありったけの車を集めた。政府はこれを漢口へ運ぶつもりなのだ,もしこれが日本人の手に落ちるようなことになれぱ、北京へ持ち去られるだろうといってみな心配している。とはいっても、もともとこれは北京にあったのだが!

昨日ラジオで聞いた上海からのニュースによると、日本軍司令部が、南京に非戦闘員用中立区域をつくりたいというわれわれの申し出を好意的に受け入れたとのこと。だが公式の回答はまだだ。

韓の防空壕も崩れてしまった。また新しいのを作らなければならない。しかも韓は、家族のために学校に一部屋用意した。

預かってくださいといって、エラ・ガオさんが旅行かばんや箱を送ってきた。なかに壁掛け時計が二つあり、「注意! 時計在中」と上書きした紙でくるんであった。


靴屋は今では無二の親友になった。われわれは一心同体だ。一日中家族総出で防空壕の水をかい出している。その合間に、りっぱな茶色のブーツを作ってくれた。十ドルでいいといったが、一ドルよけいに払っておいた。もっと友情を深めておきたかったのだ。

ラジオによると、非戦闘員の安全区に対して、日本はこれまでのところ最終的な回答をよこしていない。上海ドイツ総領事館を通じて、おなじく上海にいるラーマン党地方支部長に頼んでヒトラー総統とクリーベル総領事(※)に電報を打とうと決心した。今日、つぎのような電報を打つつもりだ。

在上海ドイツ総領事館。
党支部長ラーマン殿。っぎの電報をどうか転送してくださるようお願いします。

総統閣下
末尾に署名いたしております私ことナチ党南京支部員、当地の国際委員会代表は、総統閣下に対し、非戦闘員の中立区域設置の件に関する日本政府への好意あるお取りなしをいただくよう、衷心よりお願いいたすものです。さもなければ、目前に迫った南京をめぐる戦闘で、二十万人以上の生命が危機にさらされることになります。
ナチ式敬礼をもって。 ジーメンス・南京 ラーべ

クリーベル総領事殿
本日私が総統へお願いしました日本政府に対する非戦闘員安全区設置に関するお取りなしについて、貴殿のご尽力を心よりお願いする次第です。さもないと、目前に迫った戦闘での恐るべき流血が避けられません。
ハイル・ヒトラー!  ジーメンス・南京および国際委員会代表 ラーべ
※ヘルマン・クリーベルは一九二三年のヒトラーによる反乱に加わり、ヒトラーと共に禁固刑を受けた。だがこの頃にはヒトラーへの進言など、とうにできない立場にあった。

電報代を考えてラーマン氏は後込みするかもしれない。そう思ったので、費用は私が持つからとりあえずジーメンスに請求してくださいと付け加えた。

今日は路線バスがない。全部漢口へ行ってしまったという。これで街はいくらか静かになるだろう。まだ二十万人をこす非戦闘員がいるというけれども。ここらでもういいかげんに安全区がつくれるといいが。ヒトラー総統が力をお貸しくださるようにと、神に祈った。


たったいま杭立武さんが、安全区の件で中国政府から了解を得る必要はないと教えてくれた。蒋介石が個人的に承諾してくれたというのだ。

渉外担当がきまった。南京YMCAのフィッチ。あとは日本側の賛意を待つのみ。

上海の中国本杜からドイツ大使館に私あての電報が届いていた。
ジーメンス・南京へ。ジーメンス・上海より告ぐ。南京を発ってよし。身の危険を避けるため、漢口へ移るよう勧める。そちらの予定を電報で告げよ

私は大使館を通じて返事をした。
ジーメンス・上海へ。ラーべより。十一月二十五日の電報、ありがたく拝受。しかしながら、当方南京残留を決意。二十万人をこす非戦闘員の保護のため、国際委員会の代表を引き受けました


韓が、恰和通レンガエ場からガソリン百缶、小麦粉二十袋を運んできた。庭では、新しい防空壕の建設中だ。ガソリンはどこかほかに置き場を探さなくては。百缶も庭に置くのは危険だ。

スマイスから電話。東京の新聞が、中立区域があると南京の占領は非常に困難になる、あるいは遅れてしまうと論評したという。もしこれがうまくいかなかったら、いったいどうすればいいんだ。にっちもさっちもいかなくなってしまう。わが頼みの綱はヒトラー総統だ!

われわれ全員がはたして無事にジャーディン海運社の船で脱出できるかどうかと、ローゼンは非常に心配している。万一の場合にはヒルシュベルク先生一家も避難することになっている。たしかにそれが分別というものだろう。だが、逃げることばかり考えたり聞かされたりしていると、意気阻喪してしまう。うちの中国人たちは落ちついたものだ。主人である私に見捨てられさえしなければ、あとはどうにかなると思っているのだ。だからこそ、なにがなんでもここでがんばらなくてはと思う。ただ、正直な話、わが家よりもう少しばかり安全な場所があればなあ、とは思う。

もう一軒家が手にはいるかもしれない。ローゼンが、張群将軍の家を使っていいといわれたのだ。庭にはりっぱな防空壕がある。一度下見にいかねばなるまい。だが、ここで難しい問題がある――引っ越すかどうか? ここの連中を全員連れていくのは無理だ。そうかといって二つの家に同時にいることはできない。私のようなものでも、そばにいてやることが肝心なのだ。

 
[]

2006-11-24

[ラーベの日記][国際委員会][戦況と民衆] 国際委員会の計画が報道された

十一月二十四日
ロイター通信社がはやくも国際委員会の計画について報じた。すでにきのうの昼、ローゼンも、ラジオで聞いたという。それによると、東京で抗議の動きがあるとのこと。とっくに南京から逃げ出したくせになんでアメリカがでしゃばるのか、ということらしい。それを受けてローゼンは上海のドイツ総領事館あてにこんな電報を打った。いつものようにアメリカ海軍の仲介だ。
  当地の国際委員会、ドイツ・ジーメンス社のラーべを代表に、イギリス人、アメリカ人・デンマーク人、ドイツ人の各委員は、中国および日本に、南京に直接戦闘行為が及んだ場合の一般市民安全区の設置を求めております。アメリカ大使は総領事館を通じ、この件を上海の日本大使と東京へ伝えました。この保護区は一朝有事の際に、非戦闘員にのみ安全な避難先を提供するものです。
ドイツ人の代表に免じ、この人道的な提言に対する、非公式の、とはいえ公式の場合に劣らない温かいご支援を乞う次第です。

私の手元にはザッツブーフ(※)しかありません。よってこれを東京に転送し、米海軍を介してドイツ総領事館および日本当局の返信を頂きたいと思います。    ローゼン

(※)外務関係で用いられた暗号対照コード表で、ドイツ語の単語がすべて五ケタの数字で表記される。機密が保護されないため、極秘電報には用いられない。
中央病院院長のJ・ヘンリー・劉先生が去り、「後を託された」医師たちも二人ともいなくなってしまった。伝道団のアメリカ人医師たちがいてくれなかったら、この大ぜいの負傷者はどうなってしまったかわからない。先日、贈られたトラツクを一台動員した。車が徴発されないよう、運転手の劉漢臣はドイツ国旗を掲げて走っている。中国兵はトラツクとみれば残らずとり上げてしまう。カルロヴィツツ社のクリスティアン・クレーガーの話では「命令(ミンリン)」が出たという。つまり、南京の住民はすべて町を離れるようにという指令である。
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  6. pippo (12-02)
  7. pippo (12-02)
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  9. pippo (12-01)
  10. Apeman (12-01)

中国地名・都市間距離
安全区の地図
ラーベの家と周辺
南京市街図1937・9・1(大阪毎日)
南京附近1937・12・1
現南京MAPBAR
現南京城内街路
現南京地図
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ラーベ『南京の真実』の誤訳
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落書き part-4


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