八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
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1937-12-01 ヴォートリン日記に登場する主な人物

[人名録] サール・ベイツ

=マイナー・S・ベイツ Miner S. Bates

金陵大学歴史学教授、南京安全区国際委員会の中心メンバーで、財政実務や南京日本大使館への抗議交渉を担当。知日派で、一九三七年の夏は日本に滞在、妻子をそのまま日本に残して南京に戻る。金陵大学施設に設置したいくつかの難民キャンプの責任者もつとめる。東京裁判に出廷し、南京事件について証言をおこなう。

[人名録] ローレンス・サーストン

Lawrence Thurston

一九一五年に創設された金陵女子大学の初代学長。アメリカ伝道団の北長老会派に属する。一九二八年に中国国民政府が成立したために、中国人に学長を譲るが、創設者としてその後も権威を維持、一九三九年三月に金陵女子文理学院の運営に復帰する

[人名録] メリー・トゥワイネン

Mary Twinem

金陵女学院の職員、南京国際赤十字委員会委員。ヴォートリンとともに金陵女子文理学院の難民収容所の運営に活躍。中国人と結婚して国籍は中国。

[人名録] ウィルソン医師

ロバート・O・ウィルソン Robert O. Wilson

金陵大学付属鼓楼病院医師、南京国際赤十字委員会委員。日本軍の南京占領時、外科医として、南京事件の被害者の治療活動に従事。東京裁判の法廷で南京事件について証言する。自殺直前のヴォートリンをアメリカの病院に見舞っている。

[人名録] グレイス・バウアー

Grace Bauer

金陵大学付属鼓楼病院の医療技師、南京国際赤十字委員会委員。ウィルソン医師を助け、技師、看護婦、栄養士、出納係として鼓楼病院の運営に活躍する。

[人名録] ジェイムズ・マック(マッカラム)

James H. McCallum

連合キリスト教伝道団宣教師、南京国際赤十字委員会委員。鼓楼病院の事務長役をこなし、救急車の運転手として活躍。

[人名録] ルイス・スマイス

Lewis S. C. Smythe

金陵大学社会学教授、南京安全区国際委員会の書記をつとめる。南京日本大使館への抗議文書を作成。社会学者として南京戦で都市と農村の民衆が受けた被害状況を調査報告書にまとめた。

[人名録] プラマー・ミルズ 

W. P. Mills

アメリカ長老派教会伝道団宣教師、南京安全区国際委員会委員。ベイツ、スマイスとともに南京難民区の設立発起者の一人。

[人名録] ジョージ・フィッチ

George A. Fitch

YMCA国際委員会書記。中国蘇州生まれ、中国語に堪能で、南京安全区国際委員会のマネージャー役を担当。一九三八年二月末に南京を出てアメリカに出国、ジョン.マギーが撮影した虐殺のフィルムを持って全米で南京事件を報告、難民救済のキャンペーンを展開した。

[人名録] ジョン・マギー 

John G. Magee

アメリカ聖公会伝道団宣教師。南京下関地区で教会を主宰、キリスト教布教と医療活動をおこなっていた。南京安全区国際委員会委員。写真機と一六ミリフィルムカメラを持ち、密かに日本軍の残虐行為を撮影した。フィルムは現存し、虐殺現場の貴重な映像記録となっている。東京裁判に証人として出廷し、南京事件について詳細な証言をおこなった。

[人名録] ジョン.ラーべ 

John H. D. Rabe

ドイツ人、ジーメンス社の南京支社長。ナチスの南京支部長。南京安全区国際委員会委員長。ラーべの日記が、エルヴィン・ヴィッケルト編・平野卿子訳「南京の真実』(講談社)として翻訳・出版された。

[人名録] ソーン

ヒューパート・L・ソーン Hubert L. Sone

牧師養成学校である金陵神学院の宣教師。

[人名録] リッグズ

チャールズ・H・リッグズ  Charles H. Riggs

金陵大学教職員、南京安全区国際委員会委員。

[人名録] アチソン

ジョージ・アチソン George Atcheson Jr.

南京アメリカ大使館二等書記官。ジョンソン大使が漢口に移転したのち、アメリカ砲艦パナイ号に南京アメリカ大使館の分室をおいて、大使代行をつとめた。日本軍機のパナイ号撃沈事件のため南京には戻れなかった。

[人名録] フォースター

アーネスト・H・フォースター  Ernest H. Forster

アメリカ聖公会伝道団宣教師。南京国際赤十字委員会の書記。マギーとともに下関に同伝道団の医療施設を作り、難民の医療活動にあたる。カメラが趣味で多くの虐殺の写真を撮影した。

[人名録] エスピー

ジェームズ・エスピー James Espy

南京アメリカ大使館副領事、一九三八年一月六日に南京に赴任。エスピー報告といわれる南京事件についての詳細な記録を作成してアメリカ国務省に送った。

[人名録] トリマー 

C. S. Trimmer

金陵大学付属鼓楼病院医師、南京安全区国際委員会委員。内科医として、ウィルソン医師とともに南京事件の被害者の治療活動に従事。

[人名録] クレーガー

クリスチャン・クレーガー Christian Kroeger

ドイツ人、カルロヴィッツ社(中国語で礼和洋行)の南京駐在員。南京国際赤十字委員会の会計。

[人名録] ジョン・アリソン 

John M. A11ison

南京大使館三等書記官。一月二六日、強姦現場へ調査に行って日本軍の将校に殴られるというアリソン事件が起こり、アメリカで抗議の世論が起こる。

[人名録] 口ーゼン

ゲオルク・ローゼン Georg Rosen

南京ドイツ大使館書記官。ベルリンのドイツ外務省に、南京事件についての膨大な記録報告を送付、現在ドイツ連邦公文書館に所蔵されている。

[人名録] ブレイディ

Brady

金陵大学付属鼓楼病院医師。日本軍の南京占頷にさいして上海に避難していたが、南京国際救済委員会から伝染病の流行を予防するために緊急に南京に戻れるよう要請した結果、ようやく許可が下りて一九三八年二月二一日に南京に帰任した。

[人名録] 呉博士

呉胎芳

金陵女子文理学院学長。一九一五年創設された金陵女子大学の第一回卒業生、一九二二年にアメリカに留学、ミシガン大学で生物学博士の学位を取得、一九二八年から一九五一年まで金陵女士文理学院の学長。一九三八年に国民政府参政会議員となり、人民共和国時代も民主党派の指導者として活躍した。

[人名録] フランシス陳

陳斐然

金陵女子文理学院の教師、同学院の総務主任。ヴォートリンを助けて金陵女子文理学院の難民収容所の運営に活躍する。

[人名録] 薛先生

金陵女子文理学院の運営する隣保学校の教師。

[人名録] 婁さん

金陵女子文理学院の女子職員で伝道奉仕者。

[人名録] 程先生

程瑞芳

金陵女子文理学院の女教師、同学院の総舎監。ヴォートリンを助けて金陵女子文理学院の難民収容所の運営に活躍する。東京裁判に口供書を提出、日本軍の婦女凌辱の事実とヴォートリンの活躍について証言している。

[人名録] 杭立武

金陵大学理事会理事長、中英文教基金会総幹事。宋美齢をとおして蒋介石とも親しく、南京国際安全区の設置にさいして、金陵大学教授のベイツ、スマイスと協力して国民政府要人に積極的に働きかけた。

[人名録] 馬市長

馬超俊

南京市長、国民党中央執行委員。中国同盟会時代からの国民党の長老。一九四五年に日本が投降してのち、南京市長に復職する。

[人名録] ビッグ王

南京の語学学校の教師、ヴォートリンの中国語の個人教師をつとめ、金陵女子文理学院の難民キャンプの設置とともに子ども三人を連れて構内に居住。大男であったことから"ビッグ王"と愛称してヴォートリンが最も頼りにした。ヴォートリンの個人秘書役をつとめ、危険時には彼女のポディガードとなった。

[人名録] 蕷標

日本軍の南京特務機関が成立させた南京自治委員会の顧問の一人。以前は夫子廟で仁丹売りをやっていたが、日本語が話せたので、日本軍に取り入って住民登録の工作に従事した。

[人名録] 陶宝晋

陶錫三、陶錫山ともいう。

南京自治委員会会長。日本の法政大学に留学、中華民国になってから江蘇省で省議会議員を務め、同地を支配していた軍閥斉變元と親交があった。その後慈善事業に専念し、南京紅卍字会の会長となった。当時すでに七〇歳の老人であった。会長に任命されたが、病気を口実に執務はしなかった。

[人名録] C・Y・許博土

許伝音

中国赤十字会副会長。南京安全区国際委員会の家屋委員会主任であるとともに南京自治委員会の顧問にも任命された。一九一〇年代に南京大学を卒業、一〇年後にアメリカに留学、イリノイ大学で博士号を取得した。東京裁判の法廷に立ち、南京事件についての証言をおこなった。

[人名録] 孫叔栄

南京自治委員会副会長。会長の陶宝晋が執務しなかったので、会長代理となる。南京日本大使館の雇用人であったときに日本語を覚え、翻訳の仕事もしていた。

[人名録] 程

程朗波

南京自治委員会副会長。

[人名録] 福田篤泰

南京日本大使館領事官補。

[人名録] 田中正一

南京日本大使館副領事。

[人名録] 岡中佐

中支那方面軍特務部中佐。(ラーベの日記では岡少佐)

[人名録] 高頭

領事館警察官、南京特務機関の治安工作を担当した。(ラーベの日記では高玉氏)

[人名録] 福井淳

南京日本大使館領事(南京総領事代理)。

[人名録] 日高信六郎

南京日本大使館参事官。一九三七年八月末から一九三八年三月初旬まで上海に駐在、南京事件の期問に四度南京を訪問している。東京裁判に弁護側の証人として出廷した。

[人名録] 松本重治

同盟通信社の上海支局長。南京事件当時の取材の回想を『上海時代・ジャーナリストの回想(下)』(中公新書)に書いている。

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