八重桜(松月)z001さん撮影、クリックすると拡大します。

1937年
秋冬コレクション

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"Don't kill, don't be killed"
最新 次の日記(1937-12-01)» 編集

1937-09-01 ラーベ日記に登場する主な人物

[人名録] ジョン・ラーべ(John H.D.Rabe)

この日記の著者。南京陥落時は五十五歳だった。ドイツの世界的コンツェルン、ジーメンス社の南京支社長。南京安全区国際委員会の代表をつとめ、非戦闘員を保護しようと奔走した。

[人名録] ゲオルク・ローゼン(Georg Rosen)

駐華ドイツ大使館書記官。ベルリンのドイツ外務省に南京の惨状に関する詳細な報告書を提出した。ユダヤ人の祖母がいたために、ニュルンベルク法(人種法)に触れ、南京陥落の翌年に休職に追いこまれる。

[人名録] エドゥアルト・シュペアリング(Eduard Sperling)

ドイツ人。ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長。日本兵士の難民に対する暴行を体をはって阻止し、安全区の「警察委貝」と呼ばれた。

[人名録] クリスティアン・クレーガー(Christian Kröger)

ドイツ人。カルロヴィッツ社の南京駐在員だった。

[人名録] ジョン・マギー一(John G.Magee)

アメリカ聖公会伝道団の宣教師。南京安全区国際委貝会の委貝として活躍し、日本軍の残虐行為を撮影した。一九九一年にロスアンジェルスで発見されたそのフィルムは、南京事件の真相を伝えるものとして全世界に大きな波紋を投げかけた。

[人名録] ジョージ・フィッチ(George A.Fitch)

中国の青年将校をYMCAが組織した励志会の顧問として南京に滞在していた。中国の蘇州生まれで、中国語が堪能だった。

[人名録] ルイス・スマイス(Lewis S.C.Smythe)

金陵大学社会学教授。南京安全区国際委員会の事務局長をつとめた。南京にもたらされた被害を調査し、日本大使館への抗議文書をラーべとともに作成した。

[人名録] マイナー・ペイツ(Miner S.Bates)

金陵大学歴史学教授。南京安全区国際委貝会の中心メンバーとして活躍、主に財政実務や日本大使館への抗議交渉を担当した。

[人名録] ジェームズ・マッカラム(James H.McCa11um)

南門モルモン教会牧師。南京国際赤十字会の委員を務めた。妻のエヴァは教会の合唱隊指導者。

[人名録] 韓湘林

ラーベと深い信頼関係にあったジーメンス南京支社の中国人アシスタント。

[人名録] 張国珍

ラーベに長く仕えた中国人ボーイ。

[人名録] 唐生智

南京防衛軍司令長官。悪化する戦局に見切りをつけて、陥落直前に南京を脱出した。

[人名録] 松井石根

日本陸軍大将。南京攻略戦を指揮した。敗軟後の東京裁判でA級戦犯として絞首刑を宣告された。

[人名録] 福田篤泰(とくやす)

日本大使館書記官。語学が堪能で、ラーベらが日本軍と交渉する際に通訳をつとめた。

[人名録] 福井淳(きよし)

同じく日本大使館書記官。

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南京附近1937・12・1
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