
一月十一日家宅捜索という圧力。日本語版平野訳では「脱走兵が略奪した古着」とあるが、英訳本では "refugee" だから、脱走兵ではなく難民である。また、"a bundle of old clothes" だから「古着の包み1つ」。
イギリス大使館を訪ね、プリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、ローゼン、アリソン、ヒュルター各氏と会う。イギリス、ドイツ、アメリカの大使館で私の頼みを引き受けてくれた。頼みというのは、日本兵の違法行為に関する日々の報告を我々から受け取って、日本大使館あるいはそれぞれの国の政府に転送することだ。こうしてもらえれば委員会はうんと助かる。もし、それぞれの大使館が今後も日本軍に抗議し続けてくれれば、じき、状況は良くなるかもしれない。
今日の昼、日本軍に米の輸送を禁止された。これは我々が自治委員会のために計画したものだ。
午後、私がまだ本部にいたとき、日本の警察がやってきて家捜しをした。 難民の一人が盗んだ古着の包みを探しているという。その包みは、数日前、その難民の手を離れ本部のフィッチの事務所にしまってあった。たまたまフィッチの部屋だけに鍵がかかっていたため、怪しまれてしまった。 警官がドアをこじ開ける前に、クレーガーが現れ、鍵を持ってこさせて、はいよ、と包みを渡した。これは、中国人難民の中からの密告か? 1月9日のヴォートリンの日記の「2.中国人内部の問題」参照。
まったく日本の警察のやりかたはわけがわからない。おだやかに入ってきても、我々はやはりあっさり渡しただろう。なにも完全包囲することなどないのだ。中国人脱走兵が服を略奪したと聞いて中国人難民が服を盗まれたと聞いて、それをネタに「事件」をでっちあげようとしたらしい。今度こういう目に警察の襲撃あったときのために、大使館と連絡をとって緊密にしておかなければ。

・・・十一月十七日〜十八日、歩兵一大隊・砲兵中隊・騎兵連隊が王宮まえや目抜き通りの鐘路で演習と称する示威をおこない、日本兵が物情騒然とした市中を巡回し、市民をおびやかした。(海野福寿著 韓国併合)
・・・大臣の途中逃亡を防止するため、護衛の目的で憲兵づきで諸大臣と林が参内した。(同上)
・・・慶雲宮内も日本兵が満ちていた。『大韓季年史』は『銃刀森列すること鉄桶の如く、内政府及び宮内、日兵亦た排立し、其の恐喝の気勢、以て言に形し難し』と述べている。窓に映る銃剣の影が大臣たちを戦慄させたことだろう。(同上)
・・・気落ちした韓圭萵参政に皇帝の裁可を求めるよううながし、拒否するなら『予は我が天皇陛下の使命を奉じて此任に膺る。諸君に愚弄せられて黙するものにあらず』と恫喝した。しかし、あくまで反対の韓圭萵参政は、涕泣しながら辞意をもらして退室した。伊藤は『余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ、と大きな声で囁いた』(西四辻公堯『韓国外交秘話』)という。(同上)で調印。
一月一一日 火曜日
就寝の準備もできたり、キャンパスに避難している女性難民の大集団が無事に朝を迎えるだろうと思えるような、そんな平穏なここ数日の夜がどんなにありがたいことか、当事者でない人には十分にはわかってもらえないだろう。
ここ二、三日は、新たに任命された憲兵五名が夜間警備に当たっているし、それ以前の八日間は、アメリカ大使館の警官一名が毎晩門衛所に詰めていた。女子学院の正規の夜間警備員のほか、元警官二名が補助要員としていまは民間人の服装でキャンパスを警備している。
それ以前の五日間は、一般兵士の一隊(約二五名)が警備に当たったが、彼らには少なからず悩まされた。というのは、わたしたちとしては精いっぱいのことはしたのだが、彼らは、キャンパスの外だけでなく中も警備すると言って聞かなかった。彼らがキャンパスにきた最初の夜、避難民二人が強姦されたので、その後すぐに大使館の警官にきてもらうようにした。
城内全域にたいして憲兵は一七人しかいなかった。憲兵がもっと大勢いたら、状況ははるかによかったであろう。というのは、憲兵は一般の軍人よりもはるかに優秀と思われるからだ。わたしが会った憲兵は少数だが、みな非常にすばらしい人のようだ。
午前九時から正午までの聞に F ・陳といっしょに国際委員会本部に出かけた。難民収容所の責任者全員が初めて一堂に招集された。すばらしい会議だった。
初めのうちラーべ氏がわたしたちといっしょにいて、さまざまな収容所 ― たぶん二〇ヵ所くらいある ― の責任者の努力にたいして心からの謝意を表した。
出席者は三五人ほどだった。わたしたちが共通に抱えている困難な諸問題について、ともに考え、話し合った。金陵女子文理学院が抱えている通常の問題は、男女両方の避難民を受け入れている収容所での問題に比べれば、はるかに扱いやすいものだ。それらの収容所では、阿片常習者や博徒といった不品行な連中が数かずの問題を引き起こしている。
四時から五時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。数週間前から、つまり、一二月一四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃殺されたのだ。
このあと薜さんといっしょに文科棟へ避難民数の調査に行った。文科棟には、当初の見積もりで四九〇人ほどを割り振ったが、それでも詰め込みすぎだと思った人もいる。しかし、ピーク時には、間違いなく、一棟に二〇〇〇人はいたと思う。

九時
クレーガーが、石田少佐から返事をもらって帰ってきた。日本軍はなんと、我々に米や小麦粉を売ろうとしない。はっきり約束したくせに。自治委員会だけに売ろうというのだ。我々のほうでは、言われたとおり今朝早々と米の販売を中止してしまった。難民たちはひどくがっかりした。自治委員会がまだ専用の販売所を開いていないからだ。これは大変なことになる!
ローゼンが本部に訪ねてきた。日本軍は、私にだけでなくローゼンにも、報告書に少し手加減してもらいたいといってきたという。ローゼンはいった。「だから、『あなた方に水と電気をとめられたと報告しておきましょう』といってやりましたよ」
まったくなにをかいわんやだ。われわれはここで、命がけで他人の命を救おうとしているというのに、同じドイツ人が自分の命をもてあそんでいるとは。
Report from the Nanking Office of the German Embassy (Rosen) to the Foreign Ministry
15 January 1938
On 9 January after an interruption of one month, the Nanking office was reopened upon our arrival here after a two-day journey without incident aboard the British gunboat Cricket.
1月9日、英砲艦クリケット号の2日間の無事航海によって、1ヶ月の中断のあとの南京オフィスの再開が実現しました。
According to reports of my German and American informants, when it became known that foreigner representatives were intent on returning to Nanking, feverish operations were began to remove the corpses lying about the streets-in some places "like herrings"-of civilians, including women and children, slain in a campaign of pointless mass murder.
ドイツ人アメリカ人の報告に依れば、外交官たちの帰任が知られるようになってからは、まるで鰊のように街頭に横たわっていた市民の死体が慌しく運ばれ始めたという。女性や子供を含む無差別の作戦によって殺戮されたものだ。
In a reign of terror lasting several weeks, including massive looting, the Japanese have turned the business section of the city, that is the area along Taiping Street and the entire section south of so-called Potsdamer Platz, into a heap of rubble, in the midst of which a few buildings whose exteriors appear somewhat less damaged are still standing. This arson, organized by the Japanese military, is still going on to this day-a good month after the Japanese occupied the city-as is the abduction and rape of women and girls. In this respect, the Japanese army has erected a monument to its own shameful conduct.
数週間の恐怖の支配の中で、大規模な略奪をともない、日本軍はビジネス街を襲った。被害は太平街に沿ってポツダム広場の南側全体に及んだ。瓦礫の中で外観が損なわれていない建物だけが立っている。日本軍が計画して行なう放火も、占領がほぼ1ヶ月経ったいまもなお続いている、女性や少女に対する拉致や強姦も同様だ。この点において日本軍は恥ずべき非行によって悪名を上げた。
Just within the so-called Safety Zone, which thanks to the Rabe committee has essentially been saved from destruction, there have been hundreds of cases of bestial rape, all incontrovertibly documented by Germans, Americans, and their Chinese coworkers. The file of letters that the committee has sent to the Japanese authorities contains a plethora of truly shocking material. As soon as time allows, I shall forward copies, with reference to this report. I would, however, like to note at this point that foreign nationals, and above all Herr Rabe and Herr Kröger, both functionaries of the NSDAP, as well as Herr Sperling, have caught Japanese soldiers in flagranti at such violations and have risked their own lives in scaring them away from their victims.
ラーベの委員会によって破壊から基本的に守られた安全区と呼ばれる地区でも、何百という強姦事件がおきた。これらは、ドイツ人、アメリカ人、中国人スタップによって記録されている。日本当局に送られた手紙には山のようにショッキングな出来事が書かれた。私はできるかぎり早くコピーをつくり、よく調べてみるつもりだ。しかし、どうしても特筆しなくてはならないことがある。それは、ナチ党員であるラーベ、クレーガー、そしてシュペアリングが、外国人でありながら、自らの犠牲を省みず危険を覚悟で暴力非行の日本兵をとっ捕まえてきたということである。
In many cases, members of Chinese families who attempted to resist these fiends were themselves killed or wounded. Even within the offices of the German embassy the employee Chao was ordered at gunpoint to hand over any women present on the property. Having previously lived in Dairen, Chao can speak a little Japanese and was able to explain to the Japanese that this was the German embassy and there were no women present. The threats continued even after Chao had explained to them that this was the German embassy.
多くの場合、家族のために狂人達に抵抗を試みた中国人は殺されたり怪我を負わされた。ドイツ大使館オフィスの中の於てさえ雇員の張が銃をつきつけられ、女性を貢物として差し出せと要求された。張は前に大連にいたから日本語が少し話せたので、ここはドイツ大使館で女性の贈り物はないと説明できた。しかし脅迫は、ここがドイツ大使館だと説明したあとも続いた。
At the American Mission Hospital women are constantly being admitted, the most recent case occurring only yesterday, who have suffered grave bodily harm from rape committed by packs of men, with the subsequent infliction of bayonet and other wounds. One woman had her throat slit half-open, a wound so severe that Dr. Wilson himself is amazed that she is still alive. A pregnant woman was bayoneted in the belly, killing the unborn child. Many abused girls still in their chldhood have likewise been admitted to the hospital, one of whom was violated 20 times in succession.
アメリカ系慈善病院には女性たちが収容されているが、ごく最近、昨日おこったことだが、一団の男たちにレイプされた女性たちが、銃剣によって深刻な怪我を負った。そのうちの一人は、喉が半分切り裂かれている。ウイルソン医師は。彼女が生きているのが不思議だと驚いていた。妊娠していた女性は腹部を銃剣で刺され、胎児は死んだ。まだ子供に過ぎない娘たちが暴行を受け入院しているが、その一人は20回も連続して銃剣でさされた。
On 12 January, my English colleague, Consul Prideaux-Brune, the English military attache Lovat-Fraser, and the English air-force attache Commander Walser visited the house of Mr. Parsons of the British-American Tobacco Company and discovered there the body of a Chinese woman into whose vagina an entire golf club had been forced. There are documented cases in which accomplices have forced the husbands and fathers of victims to witness the violation of their domestic honor. In several instances, officers are known to be accessories, as was the case when Reverend Magee attempted to protect a group of Chinese Christians in the house of an absent German military advisor.
1月12日、英国人の仲間である、プリドウ・ブリュン領事、ラボ・フレーザー陸軍武官、空軍武官ワルサー中佐が、英米タバコ会社のパルソン氏を尋ねたところ、ゴルフクラブで膣を貫かれた中国婦人の死体を見つけたという。レイプの共犯者が、被害者の夫や父親に、凌辱の現場を目撃させるということさえ記録されている。いくつかの事例では、将校すら共犯であった。レバレンド・マギー牧師がドイツ人軍事顧問の家で中国人信者を守ったときが、まさにそのケースだった。
There is no evidence that any action has been taken-or if so, of what sort-by higher authorities against individual perpetrators, since the Japanese are silent about these matters and refuse to understand that a ruthless cauterizing of these offenses would accomplish more than all attempts to cover them up.
軍上層部がそれら加害兵士に対して、とるべき対処をとる兆候は全く見られない。沈黙を続け、加害によって巻き起こす悲惨を放置することが、それをカバーするいかなる努力よりも勝る、ということを理解しようともしない。
It is considered a self-evident matter of honor for the Japanese army to murder without further ado (indeed, there are thousands of such cases) every enemy soldier no longer actively engaged in combat, as well as any man judged to be such by some noncommissioned officer, whose decision cannot be appealed.
もはや戦闘に拘わっていない敵兵や、抗議を受け付けつけない下士官の判断で兵士と見なされた人びとを、日本軍が何の骨折りもなく殺したことは、その名誉とはどんなものかを自ら露呈している。
Given such a collapse of military discipline and order, it should therefore come as no surprise that no respect is shown the German flag. Thus various German buildings have been deliberately torched, others looted terribly, and almost all of them subjected to more or less minor theft. Given the cult status that the Japanese accord pictures of their emperor, it is perhaps especially remarkable that the looters did not shy from taking pictures of the Führer and Field Marshal General von Hindenburg.
軍の規律も秩序も崩壊したのだから、ドイツ国旗への尊重を示さないからといって驚くには当らない。様々なドイツ人の建物が故意に放火され、他は乱暴に略奪され、殆どすべての家がすくなからぬ盗難にあっている。天皇の写真を奉げることを誇りにしているくせに、特筆すべきは、総統やヒンデンブルグ将軍の写真を持ち去って全く恥じないことである。
I have left no doubt in the minds of the Japanese that we demand full restitution for all such losses, since there was no military necessity whatever for them and indeed some of them are the deliberate result of Japanese actions taken well after the occupation of the city, and likewise that I regard the term "consolation money" (solatium) favored by the Japanese as perhaps one that may sound better to them, but is in no way acceptable as an expression of partial payment.
我々が全ての損失に対して完全賠償を求めることに私は何の疑問も残さない。なぜなら、日本軍の軍事的必要性もなく、占領以来故意になした行動の結果でもあるからだ。日本人にとって多分響きのいい大好きな言葉、「慰謝料」のようなものだ。それが値切りの意味なら絶対に受け入れられないが。
ROSEN ローゼン
一月一〇日 月曜日ヴォートリンの日記の内容
じつにすばらしい一日だった。とりわけ、一日も終わるころがすばらしかった。
わたしたちは呉博士とルースの手紙を読んだあと、金陵女子学院の今後の計画についてどんなに議論したことか。現時点ではキャンパスに中学校を開設する案はまったく問題外だが、無残にも夫を殺害された女性たちのための職業訓練学校の開設は大いに必要であり、また、現実味があるように思われる。
けさ、明徳における小学校の開設を促進することについて程先生と話し合った。しかし、それは可能性すらないかもしれないが、様子を見ることにしよう。
メリーとわたしは、蝋燭の明かりで分け前のケーキをたっぷりいただいた。あとの楽しみにとっておこうかとも思ったけれど、今夜は明るい気分になっているので、残さず食べてしまった。
上海に運んでもらうため、午後四時前、たくさんの手紙をアメリカ大使館に持って行った。考えてもごらんなさい。現在、城内にはアメリカ人、イギリス人、ドイツ人がそれぞれ三人、計九人の外国の外交官がいる。生活はほとんど正常に戻ったようだ。
もっとも、午後、遠方に見えた煙は、掠奪が続いていることを示す無言の証拠であろうし、キャンパスからほど遠くないところでけさ少女が二人強姦された。
午後、兵士四人が様子を窺いにやってきたが、みな好感のもてる人たちだった。隊長はわたしと切手を交換したり、妻と赤ちゃんの写真を誇らしげに見せてくれたりした。敵兵をすべて友だちに変え、彼らがいまのありのままの自分の姿を見ることができるように一役買えたら、と思う。
1月9日
午前十時。自治委員会のメンバー、王承添(通称ジミー)との談合。数日前、日本軍が国際委員会の活動を力ずくでやめさせようという計画を立てていたと聞かされる。結局それよりマシな案になったようだが、我々は今後、難民に米を売ってはならないことになった。もし、自治委員会が販売を引き受けるというのなら、異存はない。
十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にするはめになった「小規模の」死刑について報告した。日本人将校一人に兵士が二人、山西路にある池のなかに中国人(民間人)を追いこんだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとりが近くにあった砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むまで発砲し続けたというのだ。山西路は安全区の北側。
ローゼンとヒュルター、シャルフェンベルクの三人がイギリス砲艦クリケットで到着した。イギリス大使館の役人三人とプリドー=ブリュン領事、フレーザー大佐、空軍武官のウォルサー氏もいっしょだった。だがウォルサー氏は、事前に報告しなかったといいがかりをつけられて、上陸させてもらえなかった。シャルフェンベルグの家は安全区の外にあったので、荒らされ放題荒らされていた。(1月8日の日記参照)
午後二時、クレーガー、ハッツ、私の三人で、ドイツ大使館にいった。三時に、日本大使館の田中、福田両氏といっしょにローゼンたち三人がやってきた。我々はクレーガーがどこからか接収してきたシャンパンで歓迎の意を表した。ローゼンは、盗まれた車の代わりに、豪華なビュイック一台と、ドイツ大使館用の公用車を一台、日本から借り受けた。ぜったいに返すものかと息巻いている。それからみなでシャルフェンベルクの家に行ってみた。家中ひっかきまわされ、目も当てられない状態だ(写真23)。大切にしていた品のなかでも彼がとくに残念がったのは、シルクハットとネクタイだった。なにしろ四十本もあったのだ。今度また休暇で日本へ行ったら、みなでぬかりなく目を光らせ、シャルフェンベルクの高級ネクタイをしている奴をとっつかまえてやろうということになった。
それを除けば、シャルフェンベルグは冷静だった。怒り狂うのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。三十七年間中国にいる間に、めったなことでは動じない人間になっていたのだ。
いよいよ食事を始めようとすると、近所の家から火の手があがった。近所の火事に対する「放火作戦だ」というラーベの確信の根拠はなにか?外交官が来ていようと、放火を命じられた日本兵にはすこしも気にならないようだ。外交官たちの到着も、日本兵による放火作戦遂行を止めさせることができなかったようだ。
1月9日
一月九日 日曜日
晴れているが、相当に寒い。池の氷は厚さが半インチある。渡り廊下やベランダで寝ている避難民はいないが、一部の避難民はいまなおホールにいる。多くの人が夜に泊まりにきて、日中は帰宅している。
気の毒に、サールが金陵大学や養蚕学校、中学校で抱えている多くの問題、たとえば、収容されている中国人同士の争い、そして彼らの一方による日本軍への通報、それに避難民による盗品の持ち込み、さらには、それをめぐる争い、また、内部のスパイ問題、などは女子学院ではまだ起こっていない。やはり厳しい状況の中では、内部対立も起こる。
王さん、李さん、薜さんといっしょに鼓楼教会へ礼拝に出かけた。上海路、とくに寧波路(アメリカ大使館)から北に向かって金銀街までの地区の雑踏ぶりは想像を絶する。いまや道路の両側に何百人もの物売りが露店を出し始めている。残念ながら、彼らが売っている品物はほとんどが商店からの盗品だ。わたしたちの使用人も誘惑に負けて、そうした品を買い始めている。ヴォートリンの中国人を見る眼は女性らしいリアリズムで、ラーベよりも厳しいかもしれない。
わたしたち一四名は四時三〇分からの英語による礼拝に参加した。ジョン・マギーが主宰した。アメリカ大使館のエスビー氏が参加しており、アメリカ砲艦パナイ号が沈没したこと、それと同時にスタンダード石油会社の船二隻も沈没したことを初めて知った。日本軍による故意の爆撃のようだった。日本軍のイギリスに対する敵対心は、いったい何が原因なのだろうか?
どうしてそのようなことをしたのか、理解に苦しむ。わたしが接触した日本軍の兵士や将校はみな、アメリカ人にたいしては友好的なようだが、しかし、ロシア人とイギリス人にたいしては気をつけるようにと、きまって警告する。
トリマー医師の話では、中山路に日本の店が一軒開店したそうだ。リッグズ氏は時間をすべて割いて粥場に石炭を配達し、また、ソーン氏は米を配達してくれている。彼らの骨折りがなかったら、大勢の人がひもじい思いをしているのではないだろうか。
http://latemhk.tdiary.net/20070109.html#c01

8 JANUARYMr. Fukui brings me news that Dr. Rosen, Htirter, and Scharffenberg will be arriving tomorrow with two gentlemen from the British embassy Dr. Rosen's and Hürter's houses are in good shape, as is the German embassy All that was stolen at Dr. Rosen's were his automobile , a bicycle, and various bottles of liejuor. I don't know how things look at the Englishmen's homes. Scharfenberg's house, which lies outside the Zone, has been badly looted. Scharfenberg will have to live at Hurter's. The unpleasant part is that neither of these houses has water or electricity. I wrote Fukui another letter to that effect. I've heard that the gentlemen from the American embassy are also without water or light. They're all freezing, sitting around a large fireplace at the embassy It's beyond me why they don't simply demand that the Japanese proviide water and power.
一月八日ラーベは、これまでの日記で分かるように再三、安全区の電気と水の供給を要求している。アメリカ大使館の人たちも要求すべきだ、と。
ローゼン、ヒュルター、シャルフェンベルクの三氏が、明日イギリス大使館の二人といっしょに南京にくると福井氏が知らせてくれた。ローゼン、ヒュルターの家はどちらも無事だ。ドイツ大使館も。ただローゼン家からは車と自転車、それから酒が数本<いろんな酒が盗まれた。イギリス人の家の様子はわからない。シャルフェンベルクの家は安全区の外だったこともあって、ひどい荒らされようだった。ヒュルターの家に泊めてもらわなければなるまい。こまったことに、どこも電気や水がとまっている。そこで福井氏にまた手紙を書いた。アメリカ大使館の人たちの家も同じ状態らしい。みな、寒い寒いと言いながら、大使館の大きな暖炉にへばりついているという。電気や水が使えるよう、日本軍に要求すればいいと思うのだが。単純に要求すればいいのにしないのは、わたしには理解できない。
I've already received Fukui's assurance that the Japanese embassy will allow new automobiles to be brought from Japan for the gentlemen at our embassy and presumably at other embassies as well, to replace the cars that were stolen.
福井氏が確約していうには、日本大使館が国から新しい車を取り寄せるそうだ。ドイツ大使館に、おそらく他の大使館にもだろうが、盗まれた車を弁償するという。
The rumor has spread among the Chinese again today that Chinese soldiers are about to retake the city. In fact, the claim is that Chinese soldiers have already been spotted inside the city. The first result of this was that all the many little Japanese flags decorating the huts and houses inside the Zone vanished; even the Japanese armbands that all Chinese wear disappeared, and as Mills has just told me, a sizable group of refugees has come up with the idea of attacking the Japanese embassy.
今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろまった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。噂のせいでまず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていた考えるようになったという。
(誤訳):The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. We're happy that thus far our Zone has remained perfectly quiet and can only hope that we are spared such tragic events.
"will be punished by death" 暴動は起きていない。このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。中国人側のものならみな、どんなに小さな反抗でも死をもって罰せられる。(暴動など起こらず)いままで安全区が平穏でいられて、本当によかった。どうかこういう悲惨なことにならないようにと祈るばかりだ。
LATER※)護衛がついた建物は日本軍が接収使用した建物。
In a Japanese newspaper lent me by Dr. Bates, I found the following article:The Tokyo Nichi Nichi of 17 December 1937 Returning Normalcy
Chinese Merchants Prepare for Business:
Nanking, Dec. 15. With the city of Nanking having been cleared of the Chinese looters, an early return to normalcy is expected as the Chinese merchants, now back from the refugee zone, are busy preparing for reopening their shops. Peace and order in the city is maintained by the Japanese Gendarmerie authorities, who posted guards at the important Chinese government structures including the Executive and Legislative Yuans, the Finance Ministry, the Central Military Academy and the Central Aviation School.
(南京12月15日。中国人略奪者の手で何もかも空っぽになった南京の街が早くも正常化したことは、中国人商人たちをみればわかる。難民区から戻って店の再開準備に忙しい。都市の平和と秩序の維持は日本軍憲兵司令部の手で進められているが、司令部では次のような主要中国側政府建造物に護衛兵を配置している。立法行政院、財務省、中央軍官区学校、中央航空学校など。)
1月8日のヴォートリンの日記
一月八日 土曜日
きょうは寒く、陽が出なかった。十分な夜具や衣服をもっていない人たちは病気に罹るだろう。
キャンパスの外はあまり落ち着いた状況ではないが、帰宅する人はますます増えている。キャンパスにはいまでは五〇〇〇 人ほどが残っているだけだ。
キャンパスの西に住んでいる陶は、家族とともに東の中庭で生活していたが、けさ家から戻ってきて、いつなんどき兵士たちが押し入って金銭を要求するかもしれないので、男性でさえ、いまの居住地域に留まるのは不可能だ、と言っている。
渡す金がない場合は、兵士たちは、「花姑娘」〔中国語は妓女の意味〕つまり若いきれいな娘を見つけてこいと強く要求する。彼の話では、家には何一つ残っていない。ドアや窓ぐらいは残っていてほしいと念じながら帰宅したのだが。
午後、日本大使館の高頭が訪ねてきて、学院や個々のアメリカ人がこうむった損害の賠償請求を出すようわたしに促した。彼が同伴してきた通訳は、中国人教職員の被害については考慮しないことを明言した。学院の被害は軽微だった(おそらく、全部でドア六枚が打ち壊された程度)ので、請求に加えるつもりはないことを伝えた。
個人的な被害については、損害をこうむったのはアリス・モリス一人だけだ。他の外国人の財産はすべて南山公寓の屋根裏にしまい込んだので、見つけられなかった、というか、まだ見つけられていない。
きのうアメリカ大使館代表の接待用の卵一〇個を贈って高頭〔日本大使館〕に思を売ったので、思いきって彼の力を借りることにした。警備兵が漢口路と寧海路を警備してくれれば、キャンパスはわたしたちが責任をもっということを、彼から上手に警備兵に伝えてもらおうと考えた。昨夜九時から一〇時までの聞に警備兵二人が養鶏場に行き、殺すぞとばかりに使用人を脅かしたので。
いろいろな噂が野火のように広がっている。中国軍が南京の近くまできている、日本軍が、変装して逃げられるように中国人の衣服を借り集めている、などなど。なるほど、民間人の衣服を欲しがっているのだろうが、おそらく、もっと真実に近い動機をいくつかわたしは知っている。
高頭に、いつになったら南京に平和が回復し、避難民が帰宅できるようになるのか、と尋ねると、「二日ぐらいしてからだ」という答えだった。農村からやってきた女性たちが言うには、ぞっとするような状況になっていて、彼女たちは、ともかく身の安全を図るため、自分の体を実際に地中に埋めなければならなかったそうだ。
後ほど、わたしたちは新街口に行った。目抜き通り(中山路)の両側にあった多くの店が焼けてしまい、焼けずに残った店は軒並み掠奪に遭ったようだ。道路にトラック二台が停まっていたが、掠奪品が積み込まれている最中だった。
六時三〇分から七時三〇分までおこなわれたスタッフの礼拝集会のあと、王さん、トゥワイネンさん、それにわたしとで警備兵に会うため校門まで出向いた。警備兵は毎日交替している。主な目的は、キャンパス内の警備にはわたしたちが当たっていることをそれとなく彼らに伝えることだ。
1月7日のラーベの日記
一月七日占領軍の方針には逆らえない!
福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーべの「市長職」も?)も我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。
そういわれてしまっては、手も足もでない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。
(中略)「市内にはいまだに何千もの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この二十八日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。死体の野ざらしほど、治安状態の悪化を物語るものはない。なのに日本軍は不感症になっている。南京を「戦場」のままにしておきたいのだろうか?
きょう午前十時ごろ、私の留守中のことだった。日本兵が一人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げこんできた。屋根裏部屋まで追っていったところで、この日本兵は、たまたま私を訪ねてきた通訳の日本人将校に取り押さえられ、放り出された。(中略)日本人将校による厳罰とは、いつもせいぜい放り出すかビンタである。どうせやるなら、見つからないようにやれ、という意味か。
リッグズが今日の視察の報告書をもってきた。うつろな目をした女性がひとり、通りをふらふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上を話した。十八人家族だったが、生き残ったのはこの人ひとりだという。残りの十七人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と三人の子どもをなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった。「安全区以外には住民はいなかったのだから、虐殺はなかった」というのは、東中野修道さんらが60年以上立ってから拵えた荒唐無稽な屁理屈。「夏淑琴さん事件」も城内南部で起きた事件。安全区でない城内に残っていた人間はすべて「敗残兵」として殺戮してよかったのか?
1月7日のヴォートリンの日記
一月七日金曜日2、女性の一団
きょうの登録は三時に終了した。ここ二日間の登録方法は最も満足のいくものだった。作業はすべて中国人がおこなったので、緊張感や恐怖感が取り除かれた。(後略)
正午に小人数の女性の一団が慌ただしく入ってきた。南京の西方一七華里〔八・五キロメートル〕のところからきたという。彼女たちは、登録したらもう安全、と思っている。3、日本人将校の一団
午前中、日本人将校の一団が憲兵を伴って訪れた。彼らは、郵便業務に関係している、と言っていた。そのうちの二人がわたしの執務室を出ようとしたときに中国語の福音書を見つけ、持って行ってもよいか、と尋ねた。4、日なたで暖
(中略)相当に寒いが、まだ晴天が続いている。大勢の人が建物の南側にたむろし、日なたで暖をとっている。7、中国赤十字会による米飯給食
きょうキャンパスで中国赤十字会が新しい方式による米飯給食を始めた。これまでは中庭の二ヵ所で給食がおこなわれていた。これからは教職員庭園の真北で、道路をはさんで反対側にある粥場で売られることになっている。8、漢口についてのラジオニュースのメモ
きょうは久びさにラジオニュースの切り抜きを受け取った。わたしたちが恐れていたことについて情報を伝えてくれるものだった。ここ数日、月明かりの夜に漢口が激しい空襲に見舞われている、というのだ。10、漢口が心配な男たち
あのような人口密集都市ではひどいことになっていることだろう。漢口は、南京と同様、恐怖の都市に化したと伝えられる。神さま、不幸な人びとにどうか哀れみを。わたしたちが南京でこうむった一〇日間の恐怖の支配を彼らが味わわずにすみますように。
男の人たちは奥さんがたのことを案じている。とくにP・ミルズと L ・スマイスが。 ( 彼女たちは以前桂林にいたが、その後は漢口に移っている。 )
安全区国際委員会の男性メンバーは、すばらしい働きをしている。彼らは自分たちの家は掠奪されるがままにまかせながらも、中国人の大集団を救済するため、もてる時間とエネルギーすべてを捧げている。ドイツ人ビジネスマンたちもとてもよくやっているし、チームワークが抜群だ。委員長のラーベは恐れを知らない。
一月六日1月6日のラーベの日記は、
ばんざい! アメリカ大使館のアリソン、エスピー、マクファディェンの三氏がアメリカの砲艦オアフ号で今日上海から到着した。すでに十二月三十一日に南京を目の前にしていたのだが上陸の許可が下りず、蕪湖で待機していたのだ。アリソン氏はかつて東京で勤務したことがあり、日本語ができる。
午後五時、福田氏来訪。軍当局の決議によれば、我々の委員会を解散して、その資産を自治委員会に引き渡してもらいたいとのこと。自治委員会が今後われわれの仕事を引き継ぐことになっているからだという。資産を引き渡す? 冗談じゃない。私はただちに異議を申し立てた。5、どういう提案をするか会議
「仕事を譲ることに関しては異存はありませんが、これだけはいっておきます。治安がよくならないかぎり、難民は元の住まいには戻れませんよ。」
(中略)
さっそく委員会の会議を開いて、福田氏にどう返事をしたものかと相談した。また、治安や秩序をとりもどすためにどういう提案をするかについても。日本から助言を得てはいるが、自治委員会はまるで無策だという気がする。どうやら狙いは我々の金だけらしい。つまり、「国民政府からもらったのだから、おれたちの物だ!」というわけだ。結局、自治委員会に引き渡さず、戻ってくる大使館員の後押しを織り込んで、安全区国際委員会としての責任を果たそうという結論になったようだ。
一月六日 木曜日登録は、すべて中国人によっておこなわれたため、大層はかどった。
きのう午後おそく中国人の登録計画がどうやら変更されたらしい。というのも、ひきつづき女性の登録は金陵女子文理学院で、男性の登録は金陵大学でおこなうという通知を受け取ったからだ。しかし、今度は軍ではなく行政職員の指揮でおこなわれることになった。
八時にはふたたび女性たちが押し寄せてきた。今回は訓示はなかったが、彼女たちは一二列ほどの縦隊に並ばされた。各列の先頭付近にはテーブルが二脚置かれ、最初のテーブルで許可証を、二番目のテーブルで登録カードを受け取るようになっていた。
日本の新聞記者数人がその場にいて写真を撮っていた。にっこり笑って嬉しそうな顔をするよう注文をつけられると、女性たちは努めてそうしようとしていた。考えただけで病気になった人がいるほど面倒なことが、簡単におわった。
新しい〔南京市政府〕自治委員会の責任者陶宝晋からけさ電話があった。彼は六二歳〔実際は七〇歳〕で、彼の最後の公職在任時期は、斉燮元の配下にあったころ(一九二四年ごろ)である。陶宝晋=陶錫山
比較的に年齢の高い避難民は徐々に帰宅しているが、若い人たちは大部分がいまなおキャンパスにとどまっている。賢明な選択だと思う。帰るべき家のない人たちのことを思うと胸が痛む。そのような人たちが大勢いる。
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